第6話 赤坂ランチ

 華菱社長に連れられ、赤坂を歩く。

 灰色のスーツを着こなし、髪を高い位置で結い上げ、ブラックコーヒーをたしなみながらカフェテラスで小型パソコンのキーボードを叩く女性。

 マカロンタワーの飾られた、小さなパティスリー。

 道行くどの景色も、お洒落で洗練せんれんされて見えるのは首都マジックだからだろうか。 

 きょろきょろと見てしまう私は、間違いなく観光客だ。


「どうしたんですか、おのぼりさん」


 華菱社長はくすっと笑う。 


「ここは人が多いイメージだったけど、案外ゴミゴミしていないんだなぁって」

「赤坂はビジネス街です。休日は人通りが少ないのですよ。だから、閉まっている飲食店も多いのです」


 彼は大袈裟おおげさに肩をすくめる。



 美しいガーデンに、歴史を感じる洋館の前を通り過ぎようとした時。

 白いタキシードを着た男性と、ウエディングドレス姿で可愛らしいピンクのブーケを持った女性がカメラマンに写真を撮られているのが見える。

 結婚式の前撮りだろうか。

 花嫁姿の女性の笑顔が眩しいのは、太陽光のせいではないだろう。


「うわぁ、綺麗。こんな素敵なところで撮るんだ」


 自らの現状と重ね、自然とため息が出てしまった。


「社長、失礼だとは思うけど、お相手は?」

「いません」


 社長はすかさず答える。


 で、ですよねぇ。


「でも、縁談えんだんは沢山御座いますよ」

「そうなの!?」


 意外だ。

 でも、よく考えたら社長だし、そんな話があるのもおかしくないだろう。


「逆に貴女は? ああ、ごめんなさい。捨てるものがないから今こんなところにいるのでしたね」

「ううっ……」


 図星ずぼし過ぎて反論できない。


「僕が言うのはお門違いなのは分かっておりますが、地元を離れようとしているのには何か理由があるのですか?」

「……それは」


 蒔絵師としての技術を活かせる、新しい挑戦がしたいこと。

 仕事と婚活の両立が上手くいかなくて、家族からのプレッシャーがきついという愚痴も、口が滑って話してしまい、後悔する。


 どうして昨日出会ったばっかり、かつ、これから一緒に仕事をすることになるかもしれない人にこんなプライベートな話をしてしまったのだろう。



 華菱社長は憶した様子もなく、猫のように目を細め、首を傾ける。


「なるほど。貴女の言い分はよく分かりました。しかし、結婚に関してでしたら、この仕事を理解し、応援してくれる男性は地元にもいると思いますけどね」

「……社長には分かんない、絶対」


 自分の容姿に自信のある社長には、本音は恥ずかしくて言えない。


 いくら婚活パーティで綺麗に着飾きかざったときに出会い、何度かお茶や食事をして「性格が合いますね」だなんて言われて。

 実際付き合ってみたとき、自分の本当の姿を見られたらリセットされるのだから、そんな工程こうていを繰り返すのは疲れたよ。


 たどり着いたのは、高層ビルの最上階にあるフレンチレストランだ。

 中央のショーケースには、彩り鮮やかな柑橘かんきつやベリーといった初夏のフルーツをたっぷりと使ったケーキが飾られている。


「華菱様、いつもありがとうございます。いつものお席をご用意致しました」


 黒いベストにちょうネクタイの、男性ウェイターが深々とお辞儀をし、個室に案内される。

 窓からは、赤坂のビル街を見下ろせる。

 白いテーブルクロスがひかれ、白い皿の上に白いナプキンがリボンのような形で置かれている。

 こんなに高級そうなお店、行かないから緊張してしまう。


南瓜かぼちゃの冷製スープです。プロシュートを混ぜているので、コクのある風味が特徴的です」


 底の深い透明な皿に、濃いだいだい色のスープがサーブされる。

 上には、薔薇の様にくるりと巻かれた生ハムに、ころんとチャーミングなピンクペッパーと、色の引き締め役となる香草のディルが乗っており、見ていて楽しくなる。


「きれいだし、繊細な味!」


 一口食べ、思わず声を上げてしまう。


「美しいだけではなく、味も最高ですよね」


 華菱社長はスープをスプーンですくって口に運ぶ。


「こんな素敵なところ……連れてきてくれてありがとう。社長は一人でも行くの?」

「ええ。ちなみに、一人でもこの個室ですよ」

「それは、お料理をゆっくり味わって楽しみたいから?」

「違います。僕の姿を見た他のお客様が、僕の美しさに酔いしれてお料理本来の魅力が分からなくなってしまうのを防ぐためです」


 ごめんなさい華菱社長。

 あなたを目の前に食事しても、きちんと味が分かります。


 手の平程の大きさで、かすかに湯気の白パンと、メインの料理が運ばれる。

 牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニには、惜しみなくトリュフが振りかけられ、華やかな薫りがソースとお肉の香ばしさをより引き立たせている。

 パンを小さくちぎり、小さな容器バターをたっぷりとつけて食べる。


「パン、焼きたて! ふわっふわ!」

 店員が空になったお皿に追加のパンをさり気なく置く。

 柔らかな牛フィレ肉と、とろけるようなフォアグラを一口にナイフとフォークで切ると、透明な油が皿へと流れる。

 一切れ一切れを大切に頂く。 


「美味しい! 牛肉はお肉のなかでも別格。輝く太陽の下、健康な草原を元気に走り回っている姿が想像できちゃう! そのエネルギーを頂いてる気がするんだよね」


 華菱社長は口を手でおさえて笑う。


「何ですか、その想像。ものすごく独特どくとくな表現ですね。それより貴女、パン5個目ですよ」



 はっ!

 そんなに食べてたの?!

 無くなった頃にさり気なく置いてくれるから、ついつい食べてしまった!


「良いんですよ、パンお代わり自由ですから。別料金でも、気にしませんけどね」


 社長は気にしてないみたいだけど、なんかたくさん食べること知られちゃって恥ずかしいなぁ。


 メインディッシュを食べ終えた後、デザートメニューが渡される。

 本日のデザートは、ブラックベリーとカスタードクリームのタルト、琵琶びわ白桃はくとうのショートケーキ、オレンジとグレープフルーツのパフェ。


 どれも絶対美味しいのは間違いない。

 うーん、どうしよう。 


「決まりました?」

「悩んでる……タルトかショートケーキで」

「僕はタルトに決めました。ところで、僕と結婚しませんか」

「うん、じゃあ私もタルトで!……って、え?」


 この人、今、プロポーズした?  

 デザートのメニュー選ぶのと同じくらいの軽さでプロポーズしたよね!?


 社長は、ポケットから大振りのハンカチを取り出して広げる。

 ハンカチの中央から、紅薔薇の花が5本。

 華菱社長は、紅薔薇を1つに束ね、片手で私に差し出す。


「僕が出来る、唯一のマジックです。名付けて『薔薇と僕と運命の悪戯いたずら』。これをもって、正式にプロポーズします。僕と結婚しませんか」


 えっ、えええええええ!

 あの、その、えっとですね。

 ちょっと待ってよ!

 何でそうなったの!?


 ぶんぶんと吹っ飛びそうなくらい勢いよく首と両手を振る私に、社長は心外だというように目を見開く。


「僕、本気ですよ? この花言葉の文字通り」

 

 5本の花言葉の意味は、「あなたに出会えて本当に嬉しいです」。

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