囚われた人々 Ⅰ

 ダンスフロアーにひしめく男や女。レーザーライトが天井で明滅して、ミラーボールに反射する。バスの効いたビートが体の芯を振動させ、女性ラッパーがフランス語で韻を踏む大音量の美声に酔う。リズムに合わせて体をゆらしていると、ある種の無我といった状態でいられる。

 俺は他人に決めつけられるのも型に嵌るのも嫌いだ。だから世間のレールに乗らず、新卒入社もせずに、フリーターをしていたはずだ。ミナと別れてからそのまま数年。ペルガミノ社で記事を書いていて分かった事がある。社会に自分を認めさせるというのは、結局、他人の定める基準に応じて行く事に他ならない。心の内から真っ直ぐに伸びて出て来た、妥協の無い、あるがままの思想や想い。それが多くの人に驚嘆される事などまずないのだ。自分の主題はこの辺りにあるのだろう。だが、時折運が良いと、記事の中に一言や二言、想いに近い事が書けるだけだ。

世話になっている経済誌側の編集に数本企画を立案していた。そのうちの一つ、『恋人・友人化するAI』が、途中まで良い感じで進んでいたのだが、結果としては採用されなかった。温めていた内容なだけに、先行して行った調査や取材の労力が無駄になった。あれだけ嫌いな「おしゃべりプログラム」と会話したと言うのに。

 こういった、ままならない憤りは、慢性的な不満として溜まって行く。だから、酒で流し、薄暗い室内を満たす音楽で頭の中を埋める。

 フロアーの端にあるスタンディング・テーブルから、自分のプラスチックのカップを取った。そしてマルガリータの残りを胃袋に注ぎ足す。神保町で打合せした帰りには、乗換駅にあたる渋谷のクラブ・クリステヴァで憂さを晴らして帰る事が多い。

 話声もろくに聞こえない中、肩を叩かれ振り返った。

「川浪さん、今日は来てたんだ」

 顔を近づけ、音楽にかき消されないように声を張って、藤代が話しかけて来る。

 ここで知り合って、会えば世間話程度には話すようになった。どうやら、A大の学生のようだし、着ているモッズ系のファッションも一つ一つの値段は高そうだ。実家が太そうなのが癪に触る。だが懐いて来るのは悪い気はしない。最近流行りだしたスマート・グラスをチェーンで首からぶら下げている。最近はそんなヤツが多い。俺自身サングラスの様に持ち歩いていた。実際の視界に対して映像を重ねる事が出来る。なので「現実を拡張する」などと謳われていた。今や普通の眼鏡と見分けがつかない。処理をスマフォに依存するタイプが大半で、彼のモデルは最新の製品だ。最近どこかの雑誌の記事で自分でも取り扱った気がする。

「この間、川浪さんの記事を読みました。ミッシング・テクノロジーの特集のやつ」

 世話になっている経済誌で、先輩ライターが取りまとめた特集に噛ませて貰った時のモノだ。

「ありがとう。どうだった?」

「いままでだったら、必要とされた研究段階を経ずに、新規性の高い成果が様々な国の研究機関で発見、発明されているんですね」

 藤代は、記事にあった言葉をそのままつなぎ合わせたような要約をする。俺は自身のコラムで行った指摘を思い出させようとした。

「幾つかの研究分野では、深層学習によるサジェストが導入されている。主にそれが原因だろうね」

 込み入った話が難しい大音響の中。だが、つい喋りすぎる。

「川浪さんのおっしゃる通りなんでしょうね」

 拙い世辞とわかっても悪い気はしない。いつもの様に、この世間を知らない学生に、業界の話を誇張して語り、自慢気に仕事の内容を話す。そうやって悦に入る気になりかけた。だが、横で俺たちの話を聞いている女がいる。コイツのツレらしい。

「そういえば、藤代くん、そちらは?」

「今日、ここで知り合ったマミカちゃんです」

 ぴっちりしたジーンズに、ノースリーブのニット。薄く品良い化粧だが、アイシャドウにはラメが入っていて唇が赤い。

「はじめまして、ライターさんなんですね」

「うん、そうそう」

「お話興味あります。お伺いできますか?」

 彼女が俺に興味を示した事で、藤代の笑顔がやや陰る。だが気にしない事にした。ダンスフロアーから離れて、バー・カウンターに移動する。ここなら音は少しマシで、会話はしやすい。マミカはモヒートを注文して、俺はメスカルをロックで頼んだ。

 ライターになった動機や得意とする分野について聞いてくる。最初は、藤代にそうするように、少し盛って自慢気に話した。だが、立ち振る舞いから、どうやら業界の事が知りたい学生ではない事が分かる。化粧と照明の加減で若く見えた。しかし年齢は俺とさして変わらないだろう。目尻や痩せた指の皺が物語る。こちらの底が割れる前に、途中で話し方を改めた。

 彼女は質問を続け、まさに、いつも不満に思っている事を尋ねてくる。

「やっぱり、ライターの仕事も自由に書きたい事を書ける訳ではないのでしょう?」

「基本的には編集者との共同作業だ。それに読者層にウケる切り口を要求される。場合によっては、結論付けすら自分の信じている事と違うね」

 俺はメスカルで喉を潤す。

「大変そうね。思っている事を言えないのは」

「それでも、世の中に受け入れられそうな考えを連ねて行くと、偶然自分の考えと同じ結論を導ける事もある」

「結局は、他人の基準や価値観に沿わせるのね」

「そうなるね。自己の信念に忠実にとか、心の中の想いに誠実にとは行かない」

 マミカは瞼を伏せ、モヒートのカップを揺らしながら言う。

「その人達も、どこかから学んだ何かに合わせている。互いに互いを、他人のモノサシで判断しあっているんだわ。その表面張力から逃れられないのね」

 彼女の目が潤んでいる。

「そうだね、パノプティコンだ。相手を説得する材料として、自分の信じる事ではなく、社会的に認知度の高い理由や論拠を引用して正しさを確認しあいながら物事を運用していく。正しさに対する一種の監視だ。」

 数年前に入門書を読んだフランスの哲学者フーコーを引き合いに出して応じる。

「元々はイギリスの法学者ジェレミー・ベンサムが、十八世紀に刑務所建築として考案したアレね。フーコーが、現代的な権力作用の特徴を説明する引き合いに使ったんだったわね」

「パプティノコンは、監視塔から、全ての監獄を一望監視できるような設計なんだ。だが囚人は監視者を見る事は出来ない。そのため常に監視されているという意識が内面化される。現代社会では、いつだって他人の基準がまとわりついてくる。SNSなんて最たるものだね」

我に返り、ふと目をやると、会話からあぶれた藤代がソルティドッグを口に運んでいた。こちらに気付いて口を開く。

「じゃあ、僕はフロアーの方にいますね」

 何かを察した彼を二人で送り出した後、また向き直る。唇の紅い色が鮮やかだ。それから自然と眼が合い、視線が絡みあった。


 翌週の木曜日もまた、週一の打合せのためペルガミノ社に居た。

「川浪さん。この間の件は乗り気じゃないって事でいいですか?」

 ブースで向かい合った岡部は俺にそう尋ねた。ちょっと渋るとこのように結論を急がせる。馴れ馴れしいが、事務的で筋の通った話をする。そして冷たい男だ。澤口はデスクに出世し担当を外れた。今はコイツになっている。

 しかし最近、回されるまともな仕事が、似たような経済系のIT記事ばかりだ。俺を型に嵌めてしまいたいのだろう。ダレソレにはこの類の仕事と決めてしまえば、仕事を振るのも楽に違いない。そういう差別的な性分と、自己欺瞞から、ライターが自身の幅を広げられなくても頓着しないという訳だ。それに拍車を掛けるものなのだった。経済誌への専任を条件にした専属契約の打診などは。澤口の方がまだましだ。

「一応言っておくと、毎回名前が出るんですよ?」

 よく着ている、黒のポロシャツにチノパン姿で勿体付けて笑って見せる。

 ピント外れもいいとこだ。記名記事は良く書いている。今さら、それで釣れると思われているのは、馬鹿にされていると思う。ぐっと堪えて応じた。

「いろんな分野の記事を書いていたいんだよ」

「だから、このあいだ武藤さんの企画の時、噛んでもらったじゃないですか」

 この誤魔化しだ。先輩ライターの武藤がメインを張る企画でバイオ系だった。絡ませて貰ったのは有難く思っている。だが俺が受け持ったのは、以前書いたIT記事の焼き直しだ。あんなもので、別分野と言われるのはあまりに釈然としない。だいたい、決めたのも岡部ではない。

「ちょっと考えさせてくれない?」

 はらわたは煮えくり返るが、一旦そうおさめた。

「承知しました。結論は早めにお願いしますね」

 不服そうな表情が出たのを見逃さなかった。気に食わない。俺は内心舌打ちする。

岡部は新たに封筒からゲラを出すなり、再度破顔して、ニヤニヤと話し始める。

「じゃあ、この前頂いた原稿の打合せをしましょうか?」

 この切り替えの早さと、調子の良さが、なんとも不信感を禁じ得ない。

 締め切りの違う、幾つかのゲラについて詰めた。相手がコイツでも、これらは、昔と変わらない。適当で面白可笑しい記事になる。ただ単価が安い。だが気は楽だし、視野や世間が狭窄していく感じがなくて心地よくすらあるのだった。

 複雑な想いが顔に出たのだろう。途中で「難しい顔をしてどうかしたのか」と、こっちの内心を探って来る。無遠慮で思慮の無い事、はなはだしい。こちらとしては、探られたくなく濁す事にした。

「いやいや、気にしないで、ちょっと記事の内容を検討しながら、聞いているだけだから」

「なにかあったら気軽に言ってくださいよ」

 さっき、こちらの意向を誤魔化したばかりでこの定型句だ。若さというより、生来の想像力の無さと、不誠実さを感じさせるのだった。

 岡部は編集者の机が並ぶ執務エリアに戻る。何か報告しているらしい様子が見える。帰ろうとすると立ち上がり掛けた澤口と目が合った。打合せブースに戻るように、ジェスチャーを寄越す。

 嫌な予感しかしないが、仕方なく戻って座りなおした。直ぐにやって来て腰かけながら言う。

「経済誌専任の件、乗り気じゃないんだって?」

 ほらこれだ。ソフトケースからタバコを取り出して、弄びながらこちらを伺う。

「少し考えさせて頂ければとお答えしただけです」

「聞いたよ。理由も。ならさ、ヤマトヒカリの記事を書かないかい?」

 意外な言葉だった。ここ数年、爆発的に耕作面積を増やし、去年にはコシヒカリと逆転したイネの品種だ。多国籍バイオ・メーカーであるアルカネナの日本法人が苗を独占的に販売している。

 ネタとして旬は過ぎているが、自分の扱う内容としては新規性がある。しかし、どうして俺に書けと言うのだろう。

「バイトの学生ライターが倒れたんだ。直ぐ記事にしないとならない。だが人手が足りないんだ。取材済みだから、すぐ取り掛かって貰える」

 理由は飲み込めた。目の前で澤口が、資料らしき印刷物を角2の封筒から取り出して広げる。一枚目にはカラー写真が四枚印刷されていた。稲刈り後の水の無い田んぼに、数穂だけ生えた稲が映っている。去年の十月頃の写真だ。長野の地名が走り書きしてある。

「これは?」

「そもそも、稀にだが、稲刈り後の株や、こぼれ落ちた籾から穂を付けることは昔からあるんだ。問題は、これがヤマトヒカリで後者だってこと」

 澤口はタバコを加えて火をつけて吸い込む。もう一枚のプリントを読むと、どこかの雑誌のコピーであるようだ。《第一世代》しか発芽しないように遺伝子的に仕組まれている。なのに《第二世代》を発芽させたという訳だ。

「見ての通り、既に別誌で記事になっている」

 どのみち、ヤマトヒカリは従来のアルカネナ製の苗と同じく、自己採取を認められていない。その点において現象の話題性も乏しい。会社の資本も大きく各方面に及んでいる。なので都合の悪い内容には出版社側の忖度も働く。記事になっている事が、すこし意外だった。

「これ今年の掲載なんですね」

「取材を重ねて、田植えが近いこの時期にタイミングを合わせたんだろう」

「なるほど、遺伝子の比較画像まで載ってますね」

「今回は後追いなので、大きく扱う訳ではない。だけど写真の手配も出来たし、記事にしておきたいらしい。頼めるね?」

 露払い済みであるなら取り扱っておきたい。どうやら、そういう温度感である事が察せられた。

「まぁ、締め切りは近いし、稿料はバイト・ライターの枠しか用意してないんだけど」

 最後にそう言われたが承諾した。この件に関しての打ち合わせを終え、澤口は執務エリアに戻る。俺は受け取った資料を鞄に詰めて帰宅準備をしていた。そこに岡部がにやけた顔を見せる。

「よかったじゃないですか、違った分野の仕事が出来て」

 そんな事を言い出した。仕方なく、お愛想程度に頷いておく。するとさらに重ねて言った。

「川浪さん、僕がデスクに掛け合ったんですからね。そこんとこ覚えておいてくださいよ」

 こんな調子だ。俺には、澤口がバイトの尻ぬぐいの気の利いた解決方法を考えついたのだとしか思えない。こいつなりに信用されてない事を分かっているようには思う。だが手柄だけ持って行こうとする。その上この押し付けがましさだ。こういう不誠実さが、鼻に付き憤らせる事を理解していない。

 そこまで考えて、ビジネス・カジュアルを着こなす嫌味なデスクに信頼を寄せている事に気づいた。つい自嘲する。俺の薄ら笑いを岡部は好意的に解釈したようだ。誤解させたまま、やり取りして、ペルガミノ社を後にした。


 渋谷から井の頭線で一本。明大前にあるワンルームの木造アパートが今の自宅。ベランダの先に見える夜空が、都心部の灯りに照らされていた。さっきまで原稿を書いていたノートパソコンを閉じて、袖机の一番下に片づける。土曜とはいえ営業日が明確でないため、つい手を動かして気付けばこんな時間だ。夕日を背にして玄関と居室の間にあるキッチンへ向う。冷蔵庫から発泡酒を取り出した。プルトップを開け、その場で半分ほど胃袋に注ぎ込む。

 仕事机に戻り椅子に腰かけて缶を置く。脇に置いてあったスマート・グラスと接続されているイヤフォンを身に着けた。両手を開けたまま情報を閲覧できると謳われている。だが手の動きを読み取らせて操作するのだから、そう上手くは行かない。

 視界の右下に時計が表示されており、その脇にある赤い円をタップする。室内に幾つかのアイコンが現れた。アプリ一覧から「コーザル・ワールド」を起動して認証する。ロード・シークエンスを経て、現実の室内がかき消えた。

家具も調度品もない。壁面、床、天井、全てが白かった。清潔で生活感の無い正方形の部屋の真ん中である。ここはエントランス・ルームと呼ばれ、個人に割り当てられるVR世界の玄関だった。

机の上の発泡酒のあるあたりに手を伸ばして缶を取る。グラスが認識して、こちらでも見えるようになった。実際には、つまり物理現実では椅子に座っている。だが「コーザル」内で、他人から見て俺を示すアバターは立っていた。現実の身体をスキャンしたものなので実物と同じに見えるはずだ。

とりあえずまた喉を酒で潤してから、左手で前を指さした。スマート・グラスのセンサーがそれを検知する。正面の扉が近づいて来た。「コーザル」の中で俺のアバターがそちらに向かって歩いたのだ。視界いっぱいに広がった扉をタップする。開かれて外の景色が映し出された。日差しがまぶしい。空は青く、海水がぶつかる不規則な音がする。再び左手で指さすとアバターは外に出た。

 足元の木製の通路は、サンゴの環礁内の浅瀬にあり、より幅の広い桟橋に合流していた。いくつもの海上コテージからもそこに繋がっている。振り返ると自分も、そういったものの一つから出て来た事が分かる。透き通った水の上を離れた小島までずーっと伸びていた。

 一日家に居たので、物理現実での服装も似たようなラフさだが、俺はサンダル履きでバミューダパンツにタンクトップを着ているように見えるはずだ。

 画面右端のプライベート・チャットのアイコンに「1」と数字が浮かび「2」「3」と増える。

 「コーザル・ワールド」を始めた時から、親しくしてくれる友人からだった。彼は「ベネディクト」というハンドルネームを利用している。『サイバースペース』という本の著者から拝借したそうだ。俺は単に「トシ」と名乗っていた。だが、大きな特集に名を連ねたとき、自慢気に本名を話してしまっている。

〔こんばんは~〕

〔今日は早いね〕

〔すぐに、チハルさんのバーに行くけど、トシさんもいつも通り来る?〕

 三行並んでいる。缶ビールを持ち換えて、右手で入力エリアをタップ。視界にフリック・キーボードが表示される。

〔こっちも、ポータルから向かっている所〕

 返事を送信して、桟橋の先に見える島の方へと向かう。

 「コーザル」では、小遣い程度の賃料で土地が借りられて、誰でも隠れ家的な店が持てる。その為、カフェやバーという名目で、あちこちに溜まり場が出来ていた。ボドゥ・ベルもその一つだ。

 建物は、島の反対側のビーチに面している。海に向かって大きく開口しており、店の前のテラスにも席が並べられていた。

 水平線の彼方まで遮るものはない。テーブル席が三つ。カウンターには、チハルさんが黒いベストとズボンに白いワイシャツ、蝶ネクタイといったバーテンダーらしい姿で立つ。皆が現実の自分の姿をアバターに使っているとは限らない。彼女の姿は少し前に雑誌を賑わせた若手女優をベースにしているそうだ。

〈こんばんは〉

 そう言って店内にはいる。

〈トシさん、いらっしゃい。今日は早いね。ベネディクトさんまだ来てないよ〉

 笑顔で出迎えてくれる。グラスに内蔵されたスキャナが、実際の表情を読み取り、再現する仕組みだ。声はマイクが拾って相互にヘッドフォン越しに再生される。

〈プライベート・チャットでは今から来るって言ってたので、すぐだと思います〉

 カウンター席に座りながら応える。よくよく考えれば、チハルさんだって、自宅の椅子か何かに腰かけて、ここにログインしている事を思い出すとちょっと笑えた。

 酒類を提供するにはする。アバターの手に持つ事ができ、口に運ぶと量が減る。良くできてはいるが流石に酔えないし飲めない。なので俺はいつも物理現実から持ち込んでいる。

〈そういえば、ミッシング・テクノロジーの記事読みましたよ〉

 チハルさんが思い出した様に言った。

〈ありがとう。どうだった?〉

〈既に一部の国で、いくつかの遺伝子疾患を受精卵の段階で治療する事が合法化されているんですね〉

〈その部位の特定が、既存の研究から飛躍した成果だった。そうもっぱらの評判なんです〉

 同じ特集企画で、別ライターが書いた記事にあった話だ。俺には、どう飛躍しているのかまでは正直分からない。書いた本人も、多分海外の記事の指摘を参考にしただろう。だが、したり顔で分かった風な事を言って応じた。

〈でも、治療の結果、社会的に優位な形質が発現するように調整される。日本でも、回復してきた出生率が手伝って市場規模が拡大した。デザイン・チャイルド・ビジネスと揶揄されている。難しいですよね〉

 チハルさんが、記事の言葉を引用して言う。遺伝子を改変する事は人間の生の本来性に対する冒涜である。抑えきれず、自説を述べかけて口をつぐんだ。

〈こんばんはー〉

 店の外から挨拶と共に男が入って来る。丸メガネの奥の笑顔の似合う細い目。白いズボン、麻のシャツを着たアバター。ベネディクトだ。

 最初のうちは、カウンターでチハルさんを交えて、三人で話していた。だがNPCを連れた常連が来店し、二人でテラス席に移る。その時一旦グラスを外し、自宅の冷蔵庫から、発泡酒の缶を取り出してきて「コーザル」に戻った。

〈やっぱり、人工知能は嫌いなんだね〉

 帰って来た俺にベネディクトはそう言う。

〈そうだね〉

 スマート・スピーカーがカウンセリングを行っていた事件。あれからこっち、コミュニケーションを提供するAIに不信感を拭えない。だが、心理療法こそ行わないものの、会話機能は無くならなかった。それに去年「コーザル」に導入された自律的に発話して活動するNPCは、ホーソン・テクノロジー社との提携で実現されている。店によっては、オーナーではなく、そいつらが店のホストを勤めて人気を博していた。世の流れに対する諦観と共に発泡酒を流し込む。

 ベネディクトはハイボールの入ったグラスを傾ける。酒は呑まないそうで、実際はコーラを飲んでいるらしい。

〈嫌なことでもあった? 言っていた件を断れなかったとか〉

〈その事、実はまだ悩んでいるんだ〉

〈でも、得意分野だし、稿料は良いんだよね。オファーを受ければいいのに〉

〈型に嵌められて窮屈な想いをするのが嫌なんだ〉

〈前に言っていたね。自分の可能性を奪われて行く気がするって〉

〈社会は何かしらの枠に当てはめてしか人を評価しない。世の中の機構に役割を押し付けられる。それは歯車にされるってことだ〉

 だが、社会に自分の主張をぶつけるには、相応の影響力が必要なのだ。なにかそういう立場になる必要がある。例えば業界での評価というヤツだ。

〈だけれど、稿料を上げるには近道なんでしょ。難しいよね〉

 彼は前に言った事を踏まえて応じてくる。指摘の通りだ。今まであったどんな奴とも違って、俺の気持ちを自然と喋らせる。最初は不自然な感じがしたが、気が付けばつるんでいた。

〈そういえば、僕もミッシング・テクノロジー読ませてもらったよ〉

〈気になる記事はあったかい〉

〈DIY生物学に関する話題が随分怖かったよ。アメリカでブームなんだってね〉

〈記事にあった通り、素人が植物のDNAを改変して家庭菜園で育てているらしい。オープンソースのデータ・ベースからレシピを探して来て、人工遺伝子の合成を請け負う会社に発注するんだ。最近見つかった植物の細胞核に入り込めるレトロ・ウィルスを利用しているらしいよ〉

〈それ、個人で出来る所がアメリカらしいよね〉

 ベネディクトがぼやく。

〈確かにらしいと言えばらしいかもね。とんでもない時代に生きているもんだよ。本当に〉

 そう頷いてから缶に口をつける。少しの沈黙があり、彼は再び口を開いた。

〈そういえば、新しく解放されたゲームに面白いのがあるんだ。気分転換に試してみない?〉

〈どういう内容?〉

〈台湾大学の考古学者になって、老子が書き残した、仙丹の精製方を記した木簡を探すらしいよ。民間軍事会社が邪魔してくる〉

〈MMOではなさそうだね〉

〈数年前の映画を題材にした、アクション・アドベンチャー・ゲームだね〉

 普段と違い、今日は少し心が惹かれる。実生活の問題を忘れて「コーザル」で娯楽に興じるのも悪くないかもしれない。付き合いでプレイしてみる事にした。

 ボドゥ・ベルの室内に戻り、場所を移る事をチハルさんに伝える。客と連れのNPCが軽い挨拶をして来た。俺は気付かないフリをする。

〈こんにちは、またご一緒した時にでも〉

 ベネディクトが代わりに、そう応じた。

 島の中央にサーバを移動するための共用ポータルが設置されている。「コーザル」内には、色んな意匠のものがあった。この島では、林の中にある五メートル四方ほどの平たい岩だ。五センチ程の幅の線が丸く輪を描くように掘られている。その直径三メートルの中に入ると、メニューが出て来た。俺たちは、ゲーム用のロビーに移動する。数あるタイトルの中から、ベネディクトが目的のゲームを選ぶ。名前を聞いた事のあるコンテンツだった。


 俺とベネディクトは台湾大学の考古学教授と助手になっていた。上司で旧友の謝凱(シェア・カイ)を交え、水の都「蘇州」に向かう。目的は、煉丹術の手がかりとなる道士の墓。および、行方不明となった、責任者である父を探すため。調査に金を出している資産家、董張偉(トウ・チャンウェイ)の依頼だった。

 現地で探索チームの陳(チェン)博士に出迎えられた。予想と違い美しい女性で、何処となく芦屋マミカに似ている。父がいなくなった古い図書館に案内してくれた。建物に残された壁画から、地下に墓がある見当を付ける。床石を持ち上げ、謝凱を残し、三人で奥に進んだ。墓所の中には遺体と足元を埋め尽くすネズミ。不潔な水。表面には何故か石油が膜を張っている。このゲームで気に入ったのは、AIと連動したNPCが出てこない事だ。プレイヤー以外の人物は旧態依然として、話しかけると決まったセリフを繰り返す。その日は、道士の副葬品である写本を手に入れた所でセーブした。


 ペルガミノ社で打合せした翌日。遅くに起きだす。マミカとの約束があり、渋谷に向かった。井の頭線の改札を出た所でスマフォを確認するが、連絡はまだないし、待ち合わせにはまだ時間がある。

 道玄坂のファスト・ファッション店に入った。ボトムスは可能な限りジーンズ・メーカーのモノを買いたい。だが店内で価格を見るに、普段着ならばと思わなくもなかった。夏向けのシャツの値段を見ながら、今年は買い足した方がよさそうだとも思いめぐらす。

 そこに、スマフォが震え、アプリにメッセージが入った。

〔駅に着きました。待ち合わせ場所に向かいます〕

 ハチ公口から来ると、道が文化村通りと道玄坂に分かれた。そのY字路の頂点、渋谷109の丸い塔の下で合流する。クリステヴァでの一夜のあと、デートは二回目だ。今日はこざっぱりとデニムのロングスカートに、レースの飾りのついた白い長袖のシャツ。前回と違い、清楚な雰囲気で現れた。

 昼食を約束しており、マミカの選んだ店に向かう。センター街の奥、ビルの三階にある、エチオピア料理店に入った。

 写真と名前では、どんな食べ物か分からず注文は任せた。運ばれてきた二枚の大皿にはクレープに見える薄く焼いた生地が乗せられている。その上に肉や野菜、ペースト状のシチューが二種類盛り付けられていた。フォークや箸の類はない。

「これどうやって食べるの?」

 ついそう尋ねる。

「このインジェラで包んで、手で食べるのよ」

 マミカは笑いながらそう答えて、クレープをちぎって、それで肉を掴んで口に入れた。赤いマニュキュアが目を引く。俺も真似して食べはじめた。

 他愛無い話をし、ごく単純な事に微笑み合う。食事を終えて、コーヒーが運ばれてきた時、思い出したように尋ねた。

「今日は平日だけど、仕事は休みなの?」

「午前中に済ませたわ。去年から、N大の生物関係の院で教えてるの」

「へぇ、先生なんだね」

「そうね、なんだか結局、大学に戻っちゃったの」

 そのセリフから、きっと一度、研究機関か何かに就職したのは察せられた。深くは詮索しない事にする。

食事を終えたあと、二人で近くの百貨店にはいった。ブルジョワくさい商品について好き勝手に話しながら、エスカレーターで階を昇って行く。最後は七階の本屋に行き着いた。

 偶然、ペルガミノ社のライター仲間が同じフロワーにいる。名前を憶えてはいないが相手もそうとは限らない。女性といるのを、気付かれる気恥ずかしさもある。「神保町で済ませろよ」と毒づきながら、見つからないよう避けた。マミカは何か雑誌を買ったようだった。

 百貨店を出て、夕暮れ近く、自然な流れでラブホ街の方に歩く。初めてではないのに、前回は誘いそびれている。いくぶん緊張しながら「寄って行かないか?」と尋ねた。彼女は「いいよ」と笑いながら応じて、軽やかに体をぶつけて来るのだった。


 行為を終え、語らいあった後。しばらくは、うとうとしていた。だがマミカは俺より早く起きだす。薄暗い中、買った雑誌を取り出して読み始めた。こういうドライな所がチャーミングに感じる。

「灯りを点けていいよ」

 そう言いながら俺はベッドライトを点けて上半身を起こした。彼女の見ている誌面をのぞき込む。意外な事に、この間ヤマトヒカリの発芽について書いた週刊誌だった。

「この雑誌、よく読んでいるの?」

「んー、そうでもない。時々かな」

 そう言いつつ飛ばしながらページをめくる。横から覗き込んでいると、俺が書いた、ヤマトヒカリの発芽を扱った記事の所で手が止まった。さっきより真剣に読み始める。

「それの原稿、俺が書いたんだ」

 体を密着させて、なんでもないように言って反応を窺った。

「えー、本当に?」

 俺の記名のある場所を指さす。

「ほらここ」

 彼女は、目を見開いて驚いて見せた。

「色んな、有名雑誌に記事を書いているのね」

 苦笑しながら、編集プロダクションというものを説明して、俺の立場を理解させる。

「へぇ、そういうものなの」

 それからマミカの興味は雑誌に戻ったようで、ページに目を落とす。締めに使った昔の映画でゴールドブラムという役者が演じたセリフが気に入ったようだ。

「生命は必ず、道を見つける」

 マミカは口に出して呟いた。

 読み終わると、幾つかの質問をして来た。専門的な内容は答えようも無かったが、原稿を書くプロセスを交えて説明して見せて、体面を保ったつもりになる事にした。

「随分、この記事に興味があるんだね」

 これ以上ボロが出ないうちに、話の流れを変えようと尋ねる。

「実は、以前、私アルカネナで研究者として、これの開発に携わっていたのよ」

「ヤマトヒカリの?」

「ええ、そうよ」

 意外な偶然に言葉が詰まった。それを誤魔化すために、笑いながらハグして驚いて見せた。

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