第45話


 人気の少ない海沿いの公園をゆっくりと歩く。

 少し遠い場所にあるショッピングモールと観覧車の明かりがキラキラと煌めいていた。


 美容室を出てから、2人の間に会話はなかった。

 久しぶり過ぎる再会に、何と声を掛けていいのか。

 どちらから声を掛けるべきか、悩んでいるのだ。


 自然と足は美容室から近いこの公園へと進んでいたが、何から話せばいいのか迷ってしまう。


 しかしこのまま無言でいても埒があかないと、千穂は勇気を出して、離れていた間に聞きたかったことを口にした。


 「小説家と美容師を両立するのって大変じゃないの?」

 「大変だけど…どっちも、私のやりたいことだから。すごく楽しいよ」

 「そっか…」


 2人で並んで歩きながら会話をする。そんな当たり前のことに、胸を躍らせてしまっていた。


 本当はずっと、この子とどこかへ遊びに行ってみたかった。


 長い前髪越しではなくて、直接この子の目を見て話したかった。

 クリスマスイブの日は、美井が用意してくれたご馳走を2人で食べたかった。


 初日の出だって、2人で「綺麗だね」と言い合いながら、ゆっくりと眺めたかったのだ。


 デートをして手を繋いで、くだらないことで笑い合いたい。


 あの頃の千穂はそんなことばかり考えていたのだ。


 「……小説、全部読んだよ。ゴーストも」

 「本当?恥ずかしいな…」

 「…あれって、どこまでが本当?」


 震える声で、彼女に尋ねる。


 作品の最後には、お決まりの文面でこの作品はフィクションですと書かれていた。

 

 『ゴースト』の中では幸せになれた2人。

 不安で瞳を揺らす千穂の手を、安心させるように美井が握り込んだ。

 

 「…全部、本当だよ」


 彼女が足を止めたことで、千穂もその場に立ち止まる。

 向かい合いながら、美井の方が背が高いことに気づいた。


 大人っぽいデザインの、高いヒールの靴を履いているからだ。


 「……私ね、ずっと自分に自信がなかったの」

 「うん…」

 「南ちゃんの隣にいて良い人間じゃないって…自分に自信が持てなかった……けど、私が好きな千穂ちゃんが、南ちゃんなら…」


 至近距離で、手を握られているだけで緊張してしまう。


 長い間想い続けていたというのに、彼女との距離は一向に縮まらなかった。


 そんな相手とこんなにも近い距離で見つめ合えるだけで、涙が込み上げて来てしまいそうになるのだ。


 「……あなたの隣に立った時、ふさわしい人間になりたくて沢山努力したよ」

 「知ってるよ…美容師としても、小説家としても、凄い人気あるもん」

 「……もう、遅い?」


 一筋、美井の瞳から涙が零れ落ちる。

 酷くか細く、今にも消えてしまいそうなくらい苦しげな声で、美井はそっと言葉を零した。


 「……9年前の返事…もう一度…今聞いたらダメ?」


 堪らずに、力強く彼女を抱きしめる。

 肩に顔を埋めれば、大好きだった石鹸の香りがした。


 離れていた間、忘れたことなど一度もない。

 毎日彼女のことを考えて、その度に胸が締め付けられるように苦しくなった。


 あの時は、言えなかった。

 紙に書いて渡すと言う卑怯なやり方でしか、想いを伝えられなかったのだ。


 「……好き」


 一度言うと、抑えが効かない。

 感情のブレーキが壊れてしまったかのように、想いが溢れ出てくる。


 「もう離れたくない……ずっと一緒にいたい」


 長年閉じ込め続けていた想いを伝えれば、そっと頬に手を添えられる。

 今にも唇が触れてしまいそうなくらい近い距離で、美井は千穂が欲しくて仕方なかった言葉をくれた。


 「…私も、あれからずっと…千穂ちゃんのことが好きだよ」


 あの時は目元を隠していたが、今回は違う。

 南の姿ではなく、千穂として。

 その言葉を貰えることが出来たのだ。


 彼女の唇に吸い寄せられるように顔を近づければ、ぷいっと背けられてしまう。

 

 どう考えてもキスをする流れだったというのに、予想外の反応にショックを受けていれば、彼女の耳が見たことがないくらい赤く染まっていることに気づいた。


 「だって、内面で一番大好きな千穂ちゃんの顔が…南ちゃんだったんだよ?緊張しない方が無理だって」


 恥じらう姿に、笑ってしまう。

 本当にこの子は千穂の全てが好きなのだ。


 そして、それはこちらだって同じだ。

 少し強めに頬を掴んでから、優しく唇を重ね合わせる。


 柔らかい感触に触れて、体の奥底から幸福な感情が込み上げてくるのが分かった。


 リップ音をさせながら唇を離してから、耳元で揶揄うような声を上げた。


 「早く慣れてね」

 「……うん」


 心底恥ずかしそうに、こくりと頷いて見せる美井が、たまらなく愛おしいと思う。


 ドキドキと早くなる彼女の心音を聞きながら、幸せのあまり涙が溢れてしまいそうだった。


 この子と出会って、千穂は泣いてばかりだ。

 以前は演技でしか泣く機会なんてなかったというのに、切なさや愛おしさで、彼女を想って泣いてばかりいる。


 人間らしく、沢山悩んで遠回りをしたおかげで、こうして美井と想いを通わせあえた。


 もしかしたら、もっと近道があったかもしれない。

 9年もすれ違わずとも、彼女と幸せになれた道は他にあったかもしれないけれど、今こうして美井の温もりに触れられるだけで、千穂はもう十分だった。

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