第34話
高校生の頃は、リップといえば赤色やピンク色など、分かりやすく可愛らしい色を付けていた。
アイシャドウやチークも、お気に入りの色ばかり塗っていたけれど、今は違う。
全体のバランスを見て、このアイシャドウなら似合うリップはこの色などと、調和を大切にするようになったのだ。
大人びた服装ではなく、年相応の服に髪型。
背伸びをしたものではなくて、今の美井の魅力を最大限に引き出す格好だ。
それは、美井だけじゃない。
応援している五十鈴南も、6年の月日と共に随分と大人っぽくなっていた。
髪色も明るいブラウンカラーで、より一層洗練された大人の雰囲気を醸し出している。
23歳になった南は、握手会で手を握るには萎縮してしまいそうなほど、美しい女性になっていた。
本当に色が白くて、二重幅がくっきりしている。
五十鈴南というアイドルが、美井は本当に好きだった。
いつも通り彼女の方に手を伸ばせば、強すぎない力でギュッと握られる。
途端に、南はどこか心配そうな顔を浮かべていた。
「サキちゃん、手荒れてるの…?」
「うん、やっぱり美容師だと職業病みたいなもので」
「そっか…」
心配しているのか、温めるように優しく包み込まれる。
しかしその温もりを感じられたのは一瞬で、制限時間と共に直ぐに離れてしまった。
「またね」
可愛らしく手を振りながら見送られて、同じように振り返す。
この僅かな時間に感じられる幸福を糧に、また明日も頑張ろうと思えるのだ。
握手会会場を後にした美井は、一人でファッションブランドが多く入ったビルへやって来ていた。
可愛い服を買うのは好きだけど、今欲しいのかと問われれば言葉を濁してしまう。
職業柄、お客様の前では綺麗でいなければいけない。
美容師というのは人を綺麗にする仕事だから、美容師自信も魅力的ではならないと、服装には随分と気を使っているのだ。
悩んだ末に使い勝手の良さそうなボトムス2着と薄手のシャツを1着購入してから店を出る。
自宅に帰るために駅のホームで電車を待っている間、大きな広告版が視界に入った。
「本当にすごい…」
今度リリースされるスマホアプリの広告らしく、中心には可愛らしく微笑んだ南の姿。
彼女はどんどん実績を積んで、今では女性に憧れるアイドルと謳われるほどだ。
南が愛用していると分かれば、たとえ高い化粧品であっても一時期店頭から無くなってしまう。
そのため、最近では南と同じものを買いたくても入手するのが困難になってしまっていた。
アイドルとして、芸能人として。
どんどん遠いところへ行ってしまっているのだ。
自身の実家が一般家庭とは違うことを、美井は幼い頃から気づいていた。
周囲に比べれば家の敷地面積は広く、金銭面で苦労をした経験は一度もない。
大女優と人気脚本家の娘として、何不自由ない暮らしを送ってきた。
しかし、それは何とも息苦しいものだった。
何をしても、周りの大人からは大物の娘としか見てもらえない。
学校へ行っても、女優の娘として好奇心や冷やかしから声を掛けてくる生徒が多かった。
だからこそ、全寮制の桜川学園に入ろうと思ったのだ。
遠く離れた全寮制の高校で、そのままの自分を見てもらいたかった。
中学時代の同級生には黙ってもらうように頼んでいたため、高校生の間は伸び伸びと生活することが出来たのだ。
紙袋を沢山抱えてから実家へ帰って来れば、母親に出迎えられる。
娘から見ても、母親は本当に綺麗な容姿をしていた。
元アイドルで、現在は大女優。
誰が見ても美しいと褒める母親とは違い、美井はそこまで可愛くない。
平均以上ではあると言われるが、憧れのアイドルである南や母親のように目を見張るほどの可愛さは兼ね備えていないのだ。
「洋服買ったの?言えば買ってあげたのに」
「もう社会人なんだから、これくらい自分で買うよ」
娘の手が離れていくのが寂しいのか、最近は以前にまして甘やかされている気がする。
両親には小さい頃から甘やかされて、沢山愛を注いてもらった自信がある。
2人を見て劣等感を抱くこともあるが、美井は優しい両親を心から愛しているのだ。
ショップで購入した服を開封して、ハサミを使ってタグを切っていく。
広げてみれば美井好みのデザインで、やはり買ってよかったと思ってしまう。
なんだかんだおしゃれをすることは好きなため、服を沢山買うこと自体はそこまで苦にならないのだ。
「これ、あの服と合うかな……」
クローゼットから幾つか洋服を取り出し始めてて、今日買ったものと合わせてみる。
着回し重視で購入したために、大体の服と合わせて着られそうだ。
服を全てハンガーに掛け終えてから、ふと机の上に視線を寄越す。
数冊置かれたノートは、以前に比べれば触れられていなかった。
「……最近、忙しかったから」
そうやって、言い訳してばかりいる。
美容師になるという夢は着々と進んでいるが、美井にはもう一つそれ以上に叶えたい夢があるのだ。
酷く不安定な仕事で、誰にも言ったことはない。
時間を縫って作業は進めているが、確かな一歩は踏み出せないままでいた。
「……何してるんだろ」
時間は有限ではないと、分かっているのに。
いまだに前を踏み出せないのは、自分に自信がないからだ。
美井は母親が女優で、父親は脚本家だ。
2人とも才能に溢れた人であるが故に、その娘である美井は酷く期待されていた。
しかし、美井は2人のように天才ではなかったのだ。
勉強は得意ではなく、運動だって苦手だ。
音楽の才能はもちろん、美術の授業なんて目も当てられないくらい酷いものだった。
唯一得意だった教科は現代文くらいだろう。
幼い頃から、たびたび言われていた。
「娘さんは、普通なんだね」と。
あの2人の娘の割には平凡だと、陰口を叩かれていたことも知っていた。
幼少期に何度もそんな経験をしたせいで、美井は縛り付けられているのだ。
自分は特別な人間ではないと、自信を持てずにいる。
眩しくて偉大すぎる両親の背中を見続けていたせいで、自分への自信が他の人よりも低いのだ。
「……はあ」
だからこそ、母親が五十鈴南を家に連れてきた時。
真っ直ぐに直視することができなかった。
ファンとしてではなく、友達のように接することが出来なかった。
美井にとって、南は憧れの存在だから。
自分とは違う、才能に満ち溢れた凄い人。
ただの七光として、南のそばにいたくなかった。
心の底から尊敬しているからこそ、自信のもてない自分が南の隣にいることが許せなかったのだ。
プライベートの彼女に声も掛けられなかった。
ファンとして尊敬の気持ちはもちろんのこと。
彼女の隣に立って良い人間でないと思っていたからこそ、南の隣で堂々としていられなかったのだ。
「…かっこわる」
自己肯定感が低い上に、もう一つの夢の前では足踏みしてしまっている。
千穂は、そんな美井の弱さを見抜いていたのだろうか。
「だから、いなくなっちゃったのかな…」
引き出しからメモ帳を取り出して、ベッドに横たわりながらパラパラと捲る。
年明けに一緒に初日の出を見た時に、渡されたもの。
あの日を最後に、千穂は美井の前に姿を表すことはなかった。
「……どこにいるの」
一番最後のページには『好き』という文字が乱暴に書かれている。
屋上で、彼女が最後にくれた言葉。
「千穂ちゃん…」
屋上で、千穂は泣いていた。
好きだよと言うメッセージと共にキスを残して。
そして卒業までの間、彼女は一度もあの場所に訪れなかった。
一体、どこにいるのだろう。
もうとっくに、美井のことなんて忘れてしまっているのだろうか。
顔も知らないというのに、千穂のことを忘れることが出来ずにいる。
日に日に膨らんでいくこの想いは、一体どこへ着地するのだろう。
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