第33話


 人気の少ない放課後の屋上。

 そこには長い前髪で顔を半分まで覆い隠して、マスクをつけた女の子のおばけがいると噂になっていた。


 スカートも長く、長い髪は三つ編みにされていて。

 皆んながお化けだと噂していたあの子。


 誰もあの子を知らない。

 学年はおろか、名前すら。


 本当におばけなんじゃないかと言われていたあの子に、美井は恋をしていた。


 初めて見かけた時。

 美井はあの子を本当におばけなのだと勘違いして、だからこそ声を掛けた。


 同室者と上手くいっていなかったために、居心地の良い場所をおばけに占領されたくなかったのだ。


 しかし、よくよく見ればどう見てもおばけではなくて、彼女から返ってくる言葉は優しいものばかりで次第に惹かれていった。


 同室者と上手くいっていない時手を差し伸べてくれたこと。

 木に登って降りられない猫を助けようとしていこと。


 彼女のお節介で優しい性格が、堪らなく好きだった。


 おばけと噂されて、誰も知らないあの子を独り占めをしているようで、どこか気分が良かったのも事実だ。


 週に一度、曜日は決まっていない。

 あの時の美井は彼女と会える日を、本当に楽しみにしていたのだ。


 あれからもう、6年という月日が経ったというのに、一度も忘れたことはない。

 美井はあの子に、千穂への恋心を忘れられずにいるのだ。






 スマートフォンの画面をスクロールしながら、指にピリッとしたひりつきを感じて思わず顔を顰める。


 「痛っ……」


 職業柄仕方がないが、やはりどうしても慣れそうにない。


 ポーチからハンドクリームを取り出して満遍なく塗り込んでいけば、ラベンダーの良い香りが鼻腔を擽る。


 少し値が張るものだが、社会人だからと背伸びをして購入したものだった。

 友人からも良い香りと評判が良く、何度もリピートして購入するほど気に入っていた。


 専門学校を卒業してから、アシスタントとして美容室で働きはじめて早2年。


 少しずつ技術も尽き始めて、最近はカラーにおけるグラデーションの技術を身に付けることに奮闘していた。


 一つ、あくびが大きく溢れる。昨夜は確か眠りについたのは深夜を過ぎており、連日の労働で疲れも溜まってしまっている。

 

 「ねむい……」


 アシスタントはいわば美容師の見習いで、およそ3年ほどの研修を得て、ようやく一人前のスタイリストとしてお客様と接することができる。


 それまでは下積み期間で、先輩の手伝いから技術の吸収。

 そして何より、雑用を全て任されるのだ。


 当然朝は早く、毎日忙しい日々を送っている。

 休みもあってないようなもので、色々と勉強をしなければいけないのだ。


 そのため、休憩などの合間時間を縫って、美井は応援している五十鈴南のSNSをチェックしていた。


 「ブログ更新してる……」


 URLをクリックすれば、明日放送されるバラエティ番組の番宣と最近ハマっているお菓子が紹介されたページが表示される。


 自撮り写真に写っている南は相変わらず可愛らしく、つい癒されてしまっていた。


 最近、お茶の間で彼女を見ない日は殆どない。

 

 明日出演するバラエティ番組ではMCアシスタントを務めていたりと、活躍の幅を広げているのだ。


 「本当にすごいや…」

 

 今からおよそ6年前。

 ラブミルは活動休止に追い込まれるほど、世間からバッシングを受けていた。


 暫くしてから復帰してもその声は止まず、風当たりが強い中で南を筆頭に頑張ってきたのだ。

 

 元々歌唱力も高かったグループだったが、休止中にダンスレッスンにも勤しんだのだろう。


 キレのあるダンスで、ぴったりと意気の揃ったパフォーマンスは、離れていったファンを取り戻すには十分だった。


 そして、何よりグループの顔である南がCMはもちろん、女優業と様々な分野で結果を残したのが1番の要因だ。


 「……格好いいなあ」


 高い演技力も、可愛らしいルックスも。

 バラエティ番組で見せる彼女の人柄の良さに、世間の風向きも少しずつ変わり始めた。


 『あの五十鈴南がいるグループなら』と、好意的に見てもらえるようになったのだ。


 他のメンバーも南に釣られるようにメキメキとスキルを伸ばして、ラジオやバラエティ番組と幅広く活躍していった。


 一時期どうなることかと危ぶまれたが、彼女たちは再び国民的アイドルの座に返り咲いたのだ。


 そして、騒動の発端となった四谷瑠美は、アダルトビデオの女優になったと風の噂で聞いていた。


 適材適所と言うべきか、中々に好評らしい。


 「美井ちゃん、また五十鈴南ちゃんのこと調べてる」


 てっきり休憩室には誰もいないと思っていたため、驚いて顔を上げる。


 先輩スタイリストである女性が、揶揄うように美井のスマートフォンを覗き込んでいたのだ。


 彼女はまるで芸能人のように綺麗で、おまけにお客様を楽しませる話術もある。


 そして何より、腕の良さから指名を多く受けている、美井の憧れの先輩だった。


 「めちゃくちゃ可愛いですもん、私の憧れです」

 「美井ちゃんも可愛いと思うけどなあ」

 「由羅さんに言われると緊張するんでやめてください」


 冗談まじりに言えば、由羅がおかしそうに笑う。

 3つ上の彼女は本当に綺麗で、由羅が微笑むだけでパッと場が明るくなってしまうくらい、華のある女性だ。


 しかし本人いわく、今まで芸能活動をしたことは一切ないと言う。

 中々お目にかかれないレベルの美人を前にしても、美井の心が揺さぶられることはない。


 憧れはあっても、それが恋愛感情に発展することはないのだ。


 それも全て、あれ以来ずっとあの子に心を奪われ続けているせいだ。

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