第30話


 パンパンに膨れ上がったゴミ袋を指定の場所に置いた後、寒さに堪えながら部屋へと戻る。


 近いからと薄着出来てしまったが、やはりマフラーを巻いてくるべきだったかもしれない。

 

 年越し前の大掃除をしたのは初めてだった。

 今までであればそんな暇はなかったというのに、突如仕事がなくなったため時間に余裕がある。


 部屋の中は意外といらない物で溢れていて、片付け終わった部屋は随分とスッキリしていた。


 今までは、世間一般的にする当たり前すら出来なかったのだ。

 果たしてどちらが幸せなのか、今の千穂には分からない。


 手を擦り合わせながら歩いていれば、突然腕を掴まれる。


 「あ……」


 振り返った先にいたのは、スポーツジム仲間である瀬戸杏だ。

 同じ学校に通っていることは知っていたが、こうして校内で会うのは初めてだった。


 お互い暗黙の了解のように、ジムで会うのがお決まりになっていたのだ。


 ラブミルの騒動以降会っていなかったため、本当に久しぶりかもしれない。


 「そんな薄着じゃ風邪ひくよ」

 「ゴミ捨て行ってたの。今戻るところ」

 「よかったら、私の部屋来ない?お嬢……同室者が買ってきた美味しい紅茶があるの」


 どうせ部屋に戻っても暇を持て余すだけだと、彼女の誘いに乗る。

 杏は普通科に所属しているため、2人1組で一室の部屋を使っているはずだ。


 「お邪魔します」と声を上げて室内に入るが、中には誰もいなかった。


 「同室者の人は?」

 「冬休みだから、実家に戻ったよ。私も明日戻る予定」

 「そっか…」


 多くの生徒は実家に戻っているらしく、たしかに校内にいる人数はまばらだった。


 千穂も久しぶりに実家へ帰っても良いかもしれない。

 仲は良いというのに、仕事が忙しかったせいで全く帰れていないのだ。

 

 きっと千穂が帰省すれば喜ぶだろうし、久しぶりに家族で迎えるお正月も良いだろう。


 美井と初日の出を見た後にでも帰ろうかと予定を立てていれば、温かい紅茶を差し出される。


 フルーツティーだそうで、マスカットの爽やかな香りが漂っていた。


 「……ラブミル、活動休止なんでしょ」

 「うん…まあ、期限付きだけどね。その間個人の仕事はして良いことになってるし」

 「……千穂、何かあった?」


 視線を紅茶から杏へ移せば、心配そうな彼女の瞳と合わさった。


 「え……」

 「また、前みたいに戻ってる」

 「なにそれ」

 「感情よりも、頭使って生きてる感じ……理性で抑え込んで合理的な判断してた頃と、同じ顔してるよ」


 ギュッと、マグカップを握る力が強くなる。

 顔付きなんて、自分で分かるはずがない。


 しかしそれを否定できないのは、心当たりが全くないわけではないからだ。


 「……そう?」

 「如月美井と会って、凄く楽しそうだった。この子、こんなに幸せそうな顔するんだって思うくらい…美井のこと話すときの千穂は、女の子の顔してたよ」


 もう仕方のないことだと、受け入れているつもりなのだ。

 軽く下唇を噛み締める。


 あの子と一緒にいると、本当に楽しかった。

 幸せで、嬉しくて。生きることの喜びを、感じられたような気がした。


 「……もう、いいんだ」

 「なんで?千穂ばっかり我慢しなくても…」

 「アイドルとして、好きでいてくれるだけで十分だから」


 それが、千穂の導き出した答えなのだ。

 美井が好きなのは千穂で、憧れの人は南だ。


 それは決して交わらず、平行線なまま関係は変わらない。


 もしも、万が一美井が南である千穂を受け入れてくれたとしても。


 大人気女優の娘とラブミルメンバーの交際報道なんて、格好のネタだ。


 あの子を巻き込むわけにはいかない。

 ラブミルが大変な時に、自分勝手な行動を取れるはずもなかった。

 

 「あの子が好きなラブミルを…五十鈴南を守りたいの」


 自分でもどこまでが本音で、綺麗事なのか分からなくなっていた。


 本当は一緒にいたい。側にいて、彼女と色々な経験をしていきたい。


 その願望は、恐怖という感情で抑え込まれてしまう。

 もし、千穂の正体が南と分かった時、美井はどんな反応を示すだろう。

 あの子に正体を打ち明ける覚悟が千穂にはないのだ。

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