第28話


 予想通り、四谷瑠美のニュースは翌朝のトップニュースとして取り上げられていた。

 どのチャンネルも決まってラブミルのことばかり報道されていて、無意識に溜息を落としてしまう。


 活動停止に追い込まれたために、ネット上ではさまざまな憶測が飛び交っている。


 他のメンバーも枕営業なのではないか。

 たまたま撮られたのが四谷瑠美なのではないかという疑う声。


 ラブミルは被害者で、悪いのは四谷瑠美とプロデューサーだ。

 ここまで築いてきたものを、こんな風に壊されてラブミルが可哀想だという声。


 恐らく、6体4ほどの割合で、世間の声は確かに非難の方が大きい。


 失った信頼を取り戻すのは簡単なことじゃない。

 3年掛けて積み上げてきたものを取り返すために、今までと同等、あるいは今まで以上に血の滲む努力をしなければいけないのだ。




 こんなにもゆっくりとした朝を迎えるのは久しぶりだった。

 皮肉にも、活動休止をしたおかげでまったりとした朝を過ごせているのだ。


 「……なんか変な感じ」


 本来であれば、今日は生放送の音楽番組出演とそのリハーサルで忙しいはずだった。


 大晦日やお正月も、引っ張りだこの予定だったというのに全ておじゃんだ。


 昨日とは打って変わって空は晴れており、空気が澄み渡っている。


 確かもう既に冬休みに入っているはずだから、美井はあの場所にいないだろう。


 会ったら、どんな顔をすればいいのだろうと考えてから、そもそも顔が見られる心配はないことを思い出す。


 マスクをつけて、長い前髪で目元を覆った姿。


 「…それでも、好きになってくれたんだ」


 きっともう、二度と現れないだろう。

 南の顔を知らない状態で、千穂の中身だけで愛してくれる人。


 多くの人が外見から人を好きになるのだから、決しておかしなことではない。


 寧ろ、顔も知らずに千穂に恋した美井が純粋過ぎるのだ。


 だからこそ、千穂はこんなにも彼女に惹かれてしまったのだろう。





 暇な時は、一体何をすればいいのだろう。 

 スポーツジムへは午前中へ行ってしまったため、他に何をすれば良いのかちっとも分からない。


 テレビを付けてもラブミルの話題ばかりで、辟易してすぐに電源を落としてしまった。


 思い返してみれば、千穂は好きなアニメや漫画がない。


 ドラマだって好き好んで見るわけでもなく、これといった趣味がないのだ。


 趣味はもちろん、誰かに対してのめり込んだ経験だって今まで一度もなかった。


 千穂にとって、美井は生まれて初めて心を奪われた存在なのだ。


 「いま、何してるのかな……」


 手が空いたからというのは、建前に過ぎなかった。

 本当は気になって仕方なく、そわそわと落ち着いていられなかっただけだ。


 冬休み中だというのに、制服に着替えて校舎まで足を運ぶ生徒なんて千穂くらいだろう。


 「……いるかな」


 授業もない、長期休暇中の屋上。

 こんな所、用がなければ誰もこないだろう。


 息を乱して階段を登り切ってから、ようやく扉の前に到着する。


 一度大きく深呼吸をしてから開けば、地上よりも冷え込んだ冷たい風が肌に触れた。


 「……ッ」


 2人の定位置となった壁際に、ブランケットに包まれた彼女の姿がある。


 酷く寒いだろうに、彼女の健気さが愛おしくて仕方なかった。


 「びっくりした…来ないかと思った」


 そもそも約束など交わしていない。

 お互いが暗黙の了解のように、自然と足を運んでいたのだ。


 ただ、会いたかったから。

 ここでしか、この子に会うことが出来なかったから。


 好きな人のために、2人ともわざわざ冬の屋上に来ていたのだ。


 隣にしゃがみ込めば、ブランケットを掛けられる。


 一つのブランケットに2人で包まるのが、千穂は密かに好きだった。


 隣同士で、美井の話を聞くことで幸せを感じていたのだ。


 「…昨日は驚かせちゃってごめんね。言わないつもりだったんだけど…クリスマスで浮かれてたのかも」


 当然、避けては通れない話題。

 

 自分の想いを吐露してしまいそうになるのを必死に堪えながら、彼女の言葉に耳を傾ける。


 好きな人が、同じように自分のことを好いてくれている。


 奇跡のような状況だというのに、「私も好きだよ」と伝えられない。

 そもそも、声を発することすらできないのだ。


 「好きって言いたかっただけだから。本当に気にしないで?やっぱり私、南ちゃん一筋だし」


 酷く気を遣わせてしまっているのが、申し訳なかった。

 その南が千穂だと分かったら、美井はどんな顔をするだろうか。


 騙していたのかと怒るのか。

 嬉しいと喜ぶのか。


 どちらの姿も、想像できない。

 ただ一つ言えるのは、彼女を酷く戸惑わせてしまうということだろう。


 「南ちゃんが所属するラブミルさ…今結構大変みたいで。ネットでも叩かれて…南ちゃん、大丈夫かなって心配なの」


 メモ用紙を取り出して、思ったままに言葉を綴る。

 『美井が応援してくれるなら、きっとその子も頑張れるはずだよ』と。


 無責任にも取れるその言葉を、美井はゆっくりと噛み締めていた。


 「だといいな〜…」


 少しだけ自信なさげな表情を浮かべている彼女に、ズルい質問をしてしまう。


 『南に、アイドルを続けて欲しい?』と書いて尋ねれば、すぐに千穂が欲しくて堪らなかった答えをくれた。


 「うん…私にとって本当に憧れの人で…大好きだから、続けて欲しい」


 本当に、千穂はズルい。

 美井がそう言うことを、分かっていた。


 知っていながら、あえてこの質問をしたのだ。


 だったら仕方ないと。

 美井がそう言うなら、頑張るしかないと。


 自分の欲望を、彼女のせいにして抑え込もうとしている。

 達観したフリをしているけど、全然そんなことはない。


 愛する人にここまで言ってもらえないと決心が揺らいでしまいそうなほど、千穂の心はぐらぐらと不安定に揺れてしまっているのだ。



 美井の気持ちを受け入れたとして、いずれは素顔を明かさなければならない日がくる。


 五十鈴南を憧れの人として見ている美井が、南を自分の恋人だと受け入れられるだろうか。


 彼女の憧れの人を守るためというのは建前だ。  

 素顔を明かして美井から距離を置かれるのが怖かった。


 憧れなんていらなかった。

 対等に、同じ立場で。

 思いを通わせて、美井と恋人同士になりたかった。


 『五十鈴南は、大丈夫だよ』と、安心させるような文をゆっくりと書いて見せる。


 こんなにも思ってくれる人がいるから。

 どれだけ辛くても、苦しくても。


 この思い出があれば、堪えていけるような気がしたのだ。


 「あのさ、もし良かったら…ここで一緒に初日の出みない?4時くらいに集まってさ」


 本来であれば、生放送番組の出演で行けなかっただろう。


 仕事がなくなって、ようやく好きな人とゆっくり出来るなんて本当に皮肉だ。


 断る理由なんてどこにもない。

 思い出したら、きっと涙が込み上げてしまいそうな、彼女との日々。


 それが増えるほど後が辛いと分かっているのに、愚かな千穂は目先に眩んでしまっているのだ。

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