第23話
どれだけ仕事が忙しく疲れていても、千穂は体に鞭を打って屋上へと足を運んでいた。
12月を迎えて季節はすっかり肌寒いと言うのに、相変わらず美井はそこで千穂を待ってくれているのだ。
寒いだろうに、千穂のためにずっと待ち続けてくれている彼女の想いに答えたいのだ。
最近は寒さから逃れるために、彼女が持ってきた大きめなブランケットに2人で包まるのが当たり前になっていた。
より近い距離で彼女のそばに居られるために、寒いのも悪くないと…ついそんなことを考えてしまう。
触れ合う肩から伝わる温もりが、酷く心地良いのだ。
誰にも邪魔されない平穏な時間。
しかしその居心地の良さは、美井が衝撃的な言葉を投下したことによりどこか遠くへ飛んでいってしまった。
「最近ね、南ちゃん彼氏ができたんじゃないかって言われてるの」
訳のわからぬワードを無理やり脳内に詰め込んで、理解しようと努力する。
なぜそんな根も葉もない噂が経ってしまっているのか、衝撃的すぎる言葉に口をあんぐりと開けてしまっていた。
「表情がすごく柔らかくて…優しい感じで。あれは好きな人が出来たんじゃないかって言われてる」
「……ッ」
仕事中は必死に美井のことを考えずに、アイドルの五十鈴南に徹底しているつもりだった。
しかし、ファンの目というのは簡単に誤魔化せるものではない。
僅かな差を感じ取って、名探偵の如く推測を立ててしまうのだ。
焦りつつも、美井の淡々とした口調がどこか気になってしまう。
『嫌じゃないの?』と書いて渡せば、美井はケロッとした表情で笑い飛ばしている。
「えー、ないない」
あっさりと否定されてしまい、何故か予想外だと思ってしまっていた。
千穂だったら、美井に恋人がいたら酷く嫌だと思う。
彼女を独り占めしたいあまり、嫉妬に狂ってしまうだろう。
だからこそ、美井の態度にこんなにも困惑させられているのだ。
「南ちゃんは私にとって、本当に尊敬しているアイドルなの。第一、お金払わずに喋るとか申し訳なさすぎるし。けど、やっぱり好きだから学校ではいないかなって探しちゃうんだけどね」
横槍を入れずに、ジッと彼女の言葉を聞き入れる。
五十鈴南の話をする時の美井は、本当に饒舌で嬉しそうだ。
「ステージで輝いて、キラキラしている南ちゃんが大好きなんだ。けど、南ちゃんだって人間だからプライベートがあるでしょ?そこは、南ちゃんの自由にして欲しい。好きな人がいても、恋人がいたとしても。ちゃんとアイドルの時はファンに夢を見せてくれるなら、それ以上は何も望まないよ」
ファンとして、美井は理想的な言葉を吐いてくれているのに。
彼女の言葉を、受け取りたくないと感じてしまっていた。
嫉妬をして欲しいと、そんなアイドルらしからぬ感情を抱いているのだ。
こんな醜い感情を、美井に知られたくない。
面倒くさい女だと思われたくないのだ。
しばらく沈黙が続いた後、再び彼女の声が場に響く。
先ほどとは違い、どこか緊張したようにその声は軽く震えていた。
「あのさ、千穂ちゃんってクリスマスイブは何するの?」
偶然か故意かは分からないが、クリスマスイブは毎年仕事が入っていた。
確か今年のクリスマスイブも、午前中はラジオのゲスト出演として予定を入れられていたはずだ。
メンバーは絶対にわざとだと愚痴を言っていたが、真相はマネージャーにしか分からない。
今年は午後は何も仕事を入れられていないのだから、まだマシな方なのだ。
『午後は暇だよ』と書いて渡せば、美井が分かりやすくソワソワとし始めた。
「本当?あのさ、私の同室者の子、勉強合宿でいないらしくて…もし良かったら、私の部屋でクリスマスパーティーしない?」
予想外の誘いに、驚きのあまり持っていたメモ帳を落としそうになってしまう。
クリスマスなんて本来家族や友人、恋人など大切な人と過ごす日だ。
そんな貴重な1日を、千穂と過ごしたいと願ってくれる何て思いもしなかった。
「……ッ」
彼女の耳が、真っ赤に赤らんでいる事に気づいた。
よほど緊張していたのか、瞳にも薄らと涙の膜が張ってしまっている。
もちろんと頷いて見せれば、張り詰めていた糸が切れたかのように美井が肩の力を抜いていた。
そんな反応をされたら、勘違いしそうになる。
自分の都合の良いように捉えて、美井を独り占めする未来を期待してしまいそうになるのだ。
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