第22話


 プライベートの時に比べれば、握手会で会う如月美井は喋ってくれる方だろう。

 もちろん屋上で会うより口数は少ないが、余所余所しくなるわけではない。


 嬉しそうに微笑んでくれるし、千穂が喜ぶ言葉だってプレゼントしてくれる。


 「この前のライブも本当に良かったよ」

 「本当?」

 「うん、新メンバー発表あってビックリしたけど…」


 ギュッと、彼女の手を強く握る。

 今なら、何も疑問を抱かれずに美井の手を握ることが出来るのだ。


 握手会に足を運んできてくれた彼女は、相変わらず恥ずかしそうにしている。


 時折チラチラと合う視線が、焦ったくてもどかしい。


 美井は、瑠美をどう思っているのだろう。

 ファンとして、推しメン以外の他のメンバーと握手をすることは決して咎められることではない。


 あくまで娯楽としてアイドルを応援している彼女に、我儘を押しつけられるはずもなかった。


 もしかしたら、美井だって瑠美のレーンに並んだ可能性もある。


 先ほども、瑠美に推し変をするから今日で南と握手をするのは最後だと言ってきたファンの人がいたのだ。


 「サキちゃんは、推し変したりしない?」


 本名を知っているのに、ニックネームで呼ぶのはどこか変な感じだ。


 少しでも気を抜けば、美井と呼んでしまいそうだった。


 千穂の言葉に、美井は少しだけ驚いたような表情を浮かべていた。


 「するわけない!私は南ちゃん一筋だし…」

 「じゃあ、好きって言って欲しい」


 自分が何を言っているのか。それを理解した時には、全てを声に出してしまった後だった。


 こんな風に、ファンの人に強請ったことなんて一度もない。

 そもそもそれはアイドルである千穂が言われるべき言葉なのだ。


 うろうろと戸惑ったように彼女の瞳が彷徨う。

 耳を赤くさせながら、消えてしまいそうなか細い声で言葉を漏らしていた。


 「だ、大好きだよ……」

 

 心底恥ずかしそうに顔を手で覆いながら、彼女がレーンから去っていくのをジッと眺めていた。


 角を曲がり、背中が完全に見えなくなったところでぽつりと独り言を溢す。


 「……録音しとけば良かった」


 これでは職権濫用だ。

 アイドルという立場を利用して、好きな人から愛の言葉を引き出した。


 自己嫌悪に陥りつつも、美井に好きと言ってもらえたのが素直に嬉しい自分がいる。


 何とも単純なことに、彼女の言葉に喜んでしまっているのだ。


 今まで感じたことがないほど、心臓は煩く鳴っていた。


 たとえ同じ意味じゃなかったとしても、好きな相手からあんな風に言ってもらえて嬉しかったのだ。


 「南ちゃん、か……」


 所詮、美井が好きなのはアイドルの五十鈴南で、千穂じゃない。


 分かりきっていることだというのに、我儘な千穂はそれが何ともやるせなかった。






 冬の朝というのは冷え込んだ空気が透き通っていて、思わず深呼吸をしたくなってしまう。

 特に桜川学園周辺は自然に囲まれているため、余計に澄んでいるような気がするのだ。


 マフラーに顔を埋めながら、制服を着ている生徒とは反対方向に向かって歩く。

 今日は音楽番組のリハーサルがあるため、朝早くからテレビ局へ向かっているのだ。


 12月に入って、授業には一度も出ていないかもしれない。

 美井に会うために制服はよく着ているというのに、どこかおかしな感じがする。


 眠さであくびを噛み殺していれば、大好きなあの子の声が聞こえて足を止める。


 振り返れば、そこには予想通り千穂を虜にしている彼女がいた。


 「朝から2人と会うとか珍しくない?」

 「リリ奈珍しく早起きだね」

 「同室者の目覚ましに起こされたの。あ、美井そこ寝癖ついてる」


 友達2人と楽しそうに歩きながら、学校へ向かう美井の姿。


 寒いのか千穂と同じ巻き方でマフラーを巻いている。

 そんな些細な共通点に、胸をときめかせている自分がいた。


 ホワイトカラーのマフラーは、彼女の色白な肌によく似合っている。


 「今日体育やだな」

 「シュート入れられる自信ないよ」


 体育の授業はあまり得意ではないのだろうか。

 ジッと耳を傾けるが、反対方向へ向かっている彼女の声はすぐに聞こえなくなってしまった。


 どんな顔で授業を受けているのだろう。

 きちんと真面目にしているのか、それともこっそりとスマートフォンを弄って怒られたりするのだろうか。


 「…いいなあ」


 無意識に言葉が溢れ落ちる。

 当たり前のように、美井のそばにいられること。


 楽しげに笑い合って、くだらない話をして。

 あの子の日常生活に、すんなりと溶け込める友達が羨ましいと思ってしまう。


 今までずっと、我慢をしてきた。

 学校へ行くことも、友達を作ることも。


 芸能人として成功するためには必要な犠牲だと、受け入れてきたつもりだった。


 自分は達観していると大人ぶっていたけれど、全然そんなことはない。


 もし、千穂がアイドルでなければ。

 あんな風に友達として一緒に笑い合えたのだろうかと、そんなことを考えてしまうのだ。


 仕事へ行くよりも彼女の側にいたいと、そう強く願ってしまっていた。

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