第19話
日本で有名な大女優と脚本家の家となれば、室内は当然豪華な家具で溢れていた。
テレビも一体何インチあるのかと疑うほど大きく、置かれている家具も一つ一つ高級感が漂っている。
部屋だって、一般家庭では到底考えられないほど広い間取りだ。
いくら千穂が人気のあるアイドルとはいえ、やはりそわそわと落ち着かない。
そして何より、キッチンから聞こえる2人の声が気になって仕方ないのだ。
「ねえ、お母さんどう言うこと?緊急事態っていうから急いで来たのに…!」
「あら、緊急事態でしょ?大好きな南ちゃんが来るんだから」
「だからって…!もう、こういうのやめてってば」
「なんでよ?南ちゃんのことあんなに好きって言ってたのに」
「好きだから…お金払ってないのに会うとかずるいし…それに何話したらいいのか…」
「お母さんの仕事仲間が家に来ただけって思えばいいじゃない。それならズルくないでしょ?歳も近いんだし、そんなに意識せずに話しなさいよ。ほら、もうすぐご飯出来るから座って待ってなさい」
椿に背中を押されたようで、キッチンから美井が出てくる。
握手会や、屋上で会う時とは違う。
ダボっとしたパーカーの、ラフな出立ち。
また新たな一面についチラチラと視線をやっていれば、偶然パチリと瞳が交わった。
「……ッ」
恥ずかしそうに、すぐに視線は逸らされてしまう。
そして、美井は6人がけテーブルの一番左端の席に腰をかけた。
千穂は机を挟んだ反対側の右端に座っているため、対極的な位置に腰掛けている状態。
「美井ちゃんっていうんだ、えっと…好きな食べ物とかあるの?」
「シチューが好きです…」
「あー…そうなんだ」
まるで初めて聞いたフリをしながら、お見合いのように薄っぺらい会話を繰り広げる。
シチューが好きと言う彼女は、一向にこちらを見ようとはせず、気まずくて仕方ない。
屋上で楽しげに話していた姿とは、まるで別人のようだった。
「お待たせ、出来たわよ」
器用にプレートを3つ持った椿が、キッチンから現れる。
余所余所しい雰囲気が漂ったリビングに、彼女の明るい声が響き渡っていた。
「ちょっと、美井なんでそんなところに座ってるのよ。失礼でしょ」
美井は腕を掴まれて、無理やり席を移動させられている。
千穂の向かいには椿が座っており、美井は母親の隣。先ほどより距離が近づいたとはいえ、相変わらず美井は口を開こうとしない。
食事中、見かねたように椿が2人に対して話題を提供してくれていた。
「美井はね、ずっと南ちゃんのこと大好きなのよ」
「ちょっと、お母さん…!」
「なによ、本当のことでしょ」
「本当のことだから、言わないで欲しいの!」
唇を尖らせて怒っている姿を、初めて見た。
こんな顔もするのかと、新たな発見に喜んでしまっている自分がいる。
親の前では、美井はこんな風に言い返したりするのだ。
「美井ちゃんが私のこと好きでいてくれて、本当に嬉しいよ。握手会もよく来てくれてるでしょ」
自然と、口角が上がってしまう。千穂の言葉に、美井は恥ずかしそうに会釈をしてくれた。
こんな風に、前髪越しじゃなくて。
美井の姿をしっかりと見て、彼女と向き合うのは初めてだ。
五十鈴南としてとはいえ、プライベートの状態で美井と会話が出来ることに胸を躍らせてしまっていた。
手洗い場に備え付けられた鏡の前で、自分の姿を確認する。
食事をしたためにリップは取れてしまったため、スカートのポケットに入れていた口紅を取り出して塗り直す。
念入りた手を洗ってから、再びリビングへ戻ろうと足を進めていた。
椿は本当に料理が上手で、お手製のチーズハンバーグはすぐに平らげてしまった。
美井が料理が上手だったのは、母親の影響だったのだろう。
「あれ……」
一室扉が開いており、そこから明かりが漏れ出ている。
そっと除けば、室内には美井の姿があった。
辺りには寮の部屋と同じように南のグッズが溢れているため、おそらくここが美井の部屋なのだ。
本当にこの子は五十鈴南が大好きで、応援してくれている。
「美井ちゃん」
声を掛ければ、美井が驚いた様子で振り返る。
そして、パッとなにかを後ろに隠していた。
後退りながら、小さい声で返事をくれる。
やはり、屋上で会う時の彼女とは様子が違う。
「なに…?」
「美井ちゃんさ、その…そんなに私に気を遣わなくて良いよ?歳も変わらないんだし、もっと気を抜いて…」
「私にとって、南ちゃんは憧れの人だから…友達みたいに接するなんて無理だよ」
どうして彼女の言葉に、こんなにももどかしさを抱いてしまっているのだ。
千穂として、顔を隠して会う時みたいに、南としても接してくれたら良いのに。
何故だか無性に、歯痒くて仕方ないのだ。
「じゃあ、私戻るね…」
先を行こうとする美井の腕を掴む。
まだ話は終わっておらず、きちんとこの子と向き合いたいのだ。
「待って」
「離してっ…」
身を捩った反動で、美井が持っていたものを落としてしまう。
先ほど声をかけた時に美井が隠したものは、どうやらキャンパスノートのようだった。
腕を伸ばして拾おうとすれば、大きな声で止められる。
「見ないで!」
千穂が取るよりも先にノートを引っ掴んでから、美井は慌てたように部屋を後にしてしまった。
1人残されて、わけがわからずにぽかんと立ち尽くす。
「なんで…?」
一体、美井がなにを隠そうとしたのか。
知りたいのに、それを尋ねても南相手では答えてくれないだろう。
憧れの人相手に、美井は気軽に言葉を交わそうとはしないのだ。
千穂が掲載されたファッション雑誌や、青年漫画で巻頭グラビアを務めた時の雑誌。
他にも沢山、彼女が南を思って集めたグッズが室内には溢れている。
無意識に、ギュッと手のひらを握りしめていた。
「……意味わかんないよ、もう」
皆んなから恐れられ、不気味がられていたおばけのような千穂。
化け物じみた姿をした自分に対して、嫉妬をするなんて異常だ。
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