第15話


 芸能人として人気があるのはありがたいことだが、なにかと不便を感じることも多い。


 街中を歩くときは変装をしなければならず、それは店内の中でも変わらない。


 体を鍛えるためにスポーツジムに来ているというのに、バレないように顔を隠さなければならないのだ。


 スポーツ用のマスクをつけて運動をするのは、最初は息苦しかったが最近では随分と慣れてきた。


 通いやすさを重視して学校近くのジムを選んだが、今のところファンの人から声をかけられた事は一度もない。


 郊外にあるが故に、そもそも利用者すらあまりいないのが吉と出たのかもしれない。


 だからこそ、年の近い瀬戸杏とは自然と話すようになったのだ。


 プログラムで重なるたびに会話を交わすうちに、徐々に仲良くなっていた。


 今も彼女と並んで話しながら、ゆっくりとウォーキングマシンで体を動かしている最中だった。


 「それで、まだ好きって認めてないわけ?」

 「は、私が?美井を?なんで」


 最近の出来事を話したところ、杏は呆れたような表情を浮かべていた。


 顔だけをそちらへ向けて反論の言葉を述べれば、彼女はため息まで吐いてしまっている。

 

 「執着し過ぎでしょ」

 「別に……友達相手にも、これくらい執着するって」

 「しない。そこまでいったら重度のオタクか恋だから」

 「だったらまだオタクの方が可能性ある」


 ピッとマシーンを操作する機械音が聞こえた後、隣のマシンがゆっくりと停止する。


 完全に止まったところで、タオルで汗を拭きながら杏がピシッと人差し指をこちらへ向けてきた。


 「……私と千穂が会うのって、1週間とか、間が開けば3週間に一回とかよね」

 「そうだね」

 「その間、私に会いたくて堪らなくなったりする?私に会えなかったら不安になったりするの?」

 「一回もないよ」

 「私だってないよ。友達相手にはそれが普通なの」


 だからそれは恋なのだと指摘されても、素直に受け取めることが出来なかった。


 そう言われても、いまいちピンと来ない。

 

 幾ら初恋がまだとはいっても、まさか同性に対してそんな感情を抱いたりはしないだろうと、思い込んでしまっているのだ。






 最寄駅の前で配っていた、新しくリニューアルオープンしたパチンコ店のうちわ。


 さっさと捨てようと思ってすっかり忘れていたそれを、千穂は戸棚から引っ張り出してきていた。


 机には画用紙とスティックノリ、カラーペンを並べて、まるで工作のように黙々と作業に取り組んでいた。


 「こうかな…?意外と難しい……」


 以前美井が作っていたファンサ用うちわ。

 もしこの感情がファン心理と同等であるというならば、同じように作りたくなるのではと思ったのだ。


 バーンして、と指さしを望むファンサうちわは、適当に作ったこともあり10分もしないうちに完成してしまった。


 何百枚と見てきたそれを、まさか自分で作る日が来るとは思いもしなかった。


 「……何してんだろ」


 初めての体験に少しだけワクワクしたが、かといって楽しくて堪らないと言ったわけでもない。


 作っている間は特に胸は踊らず、そもそも美井に指さしポーズをされて騒ぐ自分が想像できないのだ。


 間違いなく可愛いとは思うが、かといって彼女にそれをして欲しいとは思わない。

 

 「……っ、」


 我に返って少し恥ずかしくなってくる。

 こんな風にファンサ用うちわを、アイドルがファンに対して作るなんて理解不能だ。


 間違いなく、何かがおかしい。


 それくらい、如月美井に心を掻き乱されてしまっている。


 杏の言う通り、千穂はすっかりアホな子になってしまっているのだ。






 

 握手会にやってくるファンの反応というのは様々だ。


 推しのアイドルに緊張している人もいれば、楽しみにしていたのかテンションが高めの人もいる。


 中には説教じみた言葉を掛けてくる人もいるし、本当に好きだと優しい言葉をくれる人。


 本当に人によって様々で、その時間をいつも楽しみにしていたというのに。


 柄にもなく、千穂は緊張してしまっているのだ。

 ファンとして会いに来てくれた如月美井。

 目の前にいる彼女が、いつもと違って酷く大人っぽい雰囲気を纏っていたからだ。


 「南ちゃんのパンツスタイルって珍しいね。格好いい」

 「……ッう、うん…」


 声が上擦りそうになるのを堪えながら、必死に笑みを張り付ける。


 初めて見るホワイトカラーのワンピースは、彼女にとても似合っていた。


 タイトなデザインで、ニット生地が体のラインを強調しており、大人っぽい印象を受ける。


 「今日、大人っぽいね」

 「そうかな?南ちゃんにかわいいって思ってもらいたかったから…」

 「めちゃくちゃ可愛い」


 勢いよく漏らしてしまった本音に、美井が分かりやすく頬を赤くさせた。


 緩く巻かれている後れ毛や、細い手首に付けられたバングルも。


 全ての要素が、より一層彼女を輝かせているのだ。


 「ありがとう…嬉しい」


 スタッフに剥がされる前に、小走りで美井が去っていく。


 否定するわけでもなく、嬉しそうにはにかんでいた彼女の姿が、焼き付いて離れない。


 口元を押さえながら、思わずその場にしゃがみ込んでしまっていた。


 「は……?」


 何だあの可愛い生き物は。

 嬉しそうに、恥ずかしそうに。


 はにかむ姿が無性に可愛いと思ってしまった。


 「南さん大丈夫ですか?」


 体調不良と勘違いしたのか、近くにいたスタッフが駆け寄ってくる。


 「胸が痛くて…」

 「大丈夫ですか!?一回休憩入れましょう」

 「いや大丈夫です…」

 「けど、頬も赤いですし…熱とか…」

 

 アイドルの握手会で、アイドルの方がドキドキさせられて、顔を熱らせてしまっている。


 どうしてか、こちらの方が翻弄させられてしまっている。

 アイドルがファンに対して緊張するなんて聞いたことない。


 無理やり連れて行かれた控え室で、千穂は一人自問自答を繰り返していた。

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