第13話


 ハンカチを差し出せば、美井は震える手で必死に涙を拭っていた。

 千穂にとって、彼女は酷く魅力的な女の子だ。


 容姿は平均以上に整っているし、手先だって素人とは思えないくらい器用で、その技術には目を見張るものがある。


 部屋も物が多い割にはきちんと片付いているような綺麗好きな一面があって、何より洋服や化粧のセンスなど、自己プロデュース力に秀でている。


 十分に自信を持って良いほど魅力的だというのに、本人はそうは思っていない。


 自信というのは簡単に持てる物ではないと分かっているが、美井はもっと堂々としても良いはずだと思ってしまうのだ。


 

 隣の部屋からピッと照明を落とす音が聞こえたのは、時計の針が12時を回った頃だった。


 「多分寝たかな…?」


 美井と顔を見合わせてから、立ち上がって部屋を後にする。

 作戦は酷くシンプルな物で、ここから先は千穂の役目だ。


 起こさないようにゆっくりと扉を開けば、既に眠りについている同室者の姿が視界に入った。


 再び扉を閉めて、足音が鳴らないように彼女の枕元まで足を運ぶ。


 あらかじめ三つ編みは解いており、後頭部の髪を前に持ってきている。

 顔どころか胸あたりまで前を覆い隠しているため、どう見てもホラー映画に登場するおばけのような出立ちだ。


 セーラー服のおばけが、真っ暗闇の中枕元に立っている。


 冗談では済まされないような仕返しだ。


 軽く肩を揺すれば、同室者の生徒がうざったそうに声を上げた。


 睡眠を妨害されて、酷く不快そうにゆっくりと瞳が開いていく。


 「…なに」

 「……メルナ」


 前屈みになって、同室者の顔にグッと近づく。

 わざと髪の毛が彼女の顔に当たるようにして、出せる範囲で一番低い声で呻いた。


 「イジメシタラ、ミチヅレスルゾ」


 あえてカタコトで呪うような言葉を吐けば、同室者の女生徒が声にならない悲鳴をあげる。


 弾かれたようにベッドから転げ落ちた彼女は、必死に床を這って千穂から離れようとした。


 ボロボロと涙を流している生徒に対し心を鬼にして、更に声を上げる。


 「キイテルノカ」

 「ひいっ……ごめ、ごめんなさっ……!」


 ようやく体制を直したのか、足をもつれさせながら部屋を出ていく。


 想像の何十倍も怖がっており、あまりにも上手くいき過ぎて拍子抜けしてしまう。


 あれ程恐怖心を植え付けたのだから、恐らくあの子の根性も叩き直されただろう。


 「帰るか……」


 これで一安心だと、千穂も自分の部屋へ帰ろうと踵を返す。


 廊下を歩いていれば、美井の部屋の扉が開けっ放しになっていることに気づいた。


 そっと覗き込めば、同室者の女生徒と美井の姿が視界に入る。


 「ごめん……っ、いじわるしてごめん、もうしないから…」

 「……分かってくれたらいいよ」


 号泣しながら謝るいじめっ子の姿。

 本来スカッとするべき場面に、無性に腹が立ってしまっていた。


 同室者の生徒はよほど怖かったのか、怯えるように美井に抱きついていたのだ。


 「は……?」


 あんなに美井に嫌がらせをしていたというのに、変わり身の早さに怒っているのではない。


 無遠慮に抱きついている姿を見て、何故かカッとなってしまったのだ。


 ノックもせずにズカズカと足を踏み入れて、抱き合っている2人の元で足を止める。


 「……うわああぁっ、おばけっ…むり、こわい!」


 再び登場したおばけに怯えている女子生徒の腕を掴み、無理やり美井から引き離す。


 再び呪うような声を上げるか悩んだが、万が一美井にバレる可能性を考えてグッと堪えた。

 

 すっかり腰を抜かしている同室者に向かって、大きく舌打ちをしてから、今度こそ部屋を後にする。



 自室へ向かうまでの間、すれ違った生徒数名が泣きながら逃げ出していたが、そんなことどうでもいい。

 

 なぜか先程の光景が、頭にこびりついて離れないのだ。


 「……もう、何なのよ…」


 込み上げてきた苛立ちは一向に収まる気配もなく、千穂の心を酷く掻き乱していた。


 心を落ち着かせようと、一度購買に立ち寄ってから甘いスイーツを物色する。


 そのせいで夜の購買には女生徒のお化けが出ると更に噂に尾ひれがついたのを、当然千穂が知るはずもなかった。







 ベッドに横たわりながら、如月美井は先程の出来事を思い出していた。

 美井のために、千穂は手を差し伸べてくれた。


 強がって一人で我慢していたものを、簡単に解してくれたのだ。


 「千穂ちゃん……」


 夏休み終わりに受けた模試の結果が良くなかったことが、同室者の生徒が攻撃的になったきっかけだ。


 それ以来部屋に居づらくなり、図書室や自習室など転々としていたのだ。


 そのため、屋上であの子に出会ったのは本当に偶然だった。


 初めは話し相手が出来たと、暇潰し感覚であの子と会うのが楽しみだったというのに。


 気づけばいつ会えるだろうと、次第にそんなことを考えるようになっていた。


 最近では友人の誘いを断って、現れるか分からない千穂を待ってしまうほどだ。


 「……千穂ちゃんって、何者なんだろう」


 学年はもちろん、苗字。

 そして彼女の顔も、声だって知らない。


 なのに、千穂のそばに居ると酷く居心地がいい。


 美井のために、千穂は体を張ってくれた。

 美井を、守ろうとしてくれたのだ。


 ジンと、胸が温かくなる。


 「……変だなあ」


 自分でもおかしいと分かっている。

 顔も分からない相手が、気になるだなんて。


 布団を頭まで被ってから、自身の頬を押さえる。

 熱くなっているのは布団に包まって熱気が篭っているせいだと、一人で必死に言い訳の言葉を並べてしまっていた。

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