第10話
ハッと息を吐いても、まだ白い吐息は出てこない。寒いと言っても、まだ本格的な冬は到来していないのだ。
スポーツジムからの帰り道。
辺りは暗く、歩いている生徒は殆どいない。
もう冬が近づいているため、長袖じゃないと過ごせないほど夜は冷え込んでいた。
早く帰って温かいココアでも飲もうと考えながら歩いていれば、自動販売機の前に見知った顔を見つける。
寒くて早く帰りたかったはずなのに、千穂は半ば無意識に足を止めてしまっていた。
「え…」
そこにいたのは、先ほどまで話題に上がっていた美井だったのだ。
寒そうにミルクティーの缶を両手で掴みながら、自動販売機前のベンチに座っている。
「なにしてるの…」
当然、その声は彼女に届かない。
遠い距離から、ジッとその姿を見つめることしか出来ないのだ。
声を掛けたいが、今の姿ではあの子に話しかけられない。
プライベートの五十鈴南に美井は会おうとしないから。
憧れの存在だからと、会話はもちろんろくに目すら合わなくなる。
アイドルの五十鈴南では、美井の友達にはなれないのだ。
ギュッと、下唇を噛み締めていた。
やはり、あの子は同室者との間で何かトラブルが起きてしまっているのだ。
そうでなければ、この寒い夜空に一人でポツンと佇んだりしないだろう。
何か暖かい言葉を掛けてやりたいのに。
今の千穂では、それをしてやることもできない。
千穂なのに、今の姿は彼女にとって千穂ではない。
誰からも愛されるアイドルの五十鈴南では、如月美井に声をかけることすら出来ないのだ。
与えられた仕事を完璧にこなすというのが、芸能人としての五十鈴南のモットーだった。
実際、その姿勢が評価されてスタッフからの評判も悪くない自信がある。
人との結びつきを大切にする業界だからこそ、寄せられた期待には応えようと人一倍努力してきたのだ。
フラッシュがたかれる中で撮影してもらうのも、すっかり慣れてきたはずなのに。
レギュラーモデルとして所属している雑誌の撮影中に、千穂はまったく集中出来ずにいた。
先ほどからあまり良いショットが撮れないのか、一向に撮影が終わる気配がなかった。
「ちょっと休憩入れようか」
「すみません…」
入れ替わりで、他のモデルが撮影準備に入る。
千穂より可愛い女の子なんて、この業界ではうじゃうじゃいる。
それでも選んでもらっているのだから、期待に応えて結果を残すのが使命だというのに。
「……何してんだろ、私」
可愛らしく撮影されているモデル仲間を見ながら、ため息が溢れた。
斜め横から見る女性は、顔のEラインがとても綺麗でスタイルも良い。
目の前にこんなに綺麗な人がいるというのに、千穂の脳裏にはあの子の顔が浮かんでいる。
あれから仕事が忙しく、屋上へは行けていない。
今までも週に一度行ければ良いペースだったが、すでに2週間近く行くことが出来ていないのだ。
そもそも二人の接点はあの屋上だけで、住んでいる部屋番号すら知らない。
友達の少ない千穂とは違い、明るい美井には他にも沢山友達がいるのだろう。
もしかしたら、千穂がどうにかしなくても他の友達が助けてくれているかもしれない。
「……あれ」
名案とも取れる答えにどうして、どこかモヤッとしているのだろう。
他の人が助けてくれるなら、それで全て解決するのだから良いはずなのに。
ぐるぐると靄のかかったような醜い感情は、千穂が生まれて初めて抱いたものだった。
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