第9話


 恋愛禁止というルールを真面目に守ってきた南が、今までファンを特別扱いしたことは一度もなかった。


 バレはしないだろうけれど、美井を贔屓してしまったことは確かだ。


 「……はあ」


 マネージャーに聞いた話だが、うさみみファンサはかなり好評だったらしい。


 次のライブでもやるように言われたくらいだから、アイドルとして間違ったことはしていないはずだ。


 何も知らない人から見れば、ただのアイドルとしてのファンサービス。

 しかし、そこにはしっかりと特定の相手への贔屓的な感情が込められていた。


 近くにいたせいで、情でも湧いてしまったのだろうか。今後このようなことはないように、身を引き締めていた。





 だけど、あの子に会いたいと思ってしまっている自分がいるのだ。

 友達が少なかったせいで、勝手に美井に対して友情でも抱いてしまっているのだろうか。


 「……美井は、どう思ってるんだろう」


 お化けのような格好の千穂に対して優しく接してくれてはいるが、内心どんな感情を抱いてるのだろうか。


 友達と思っているのか、はたまたただの知り合いか。

 そんなことを考えてしまう程度には、美井のことが気になってしまっていた。






 

 ラブミルとしてはもちろん、五十鈴南個人でも仕事は舞い込んでくる。


 それに加えてダンスやボーカルレッスンまで入ってくるために、再び屋上へ足を運んだのは更に1週間が過ぎた頃だった。


 千穂の姿を見て美井が嬉しげに手招きをするのも、もはやお決まりの光景となってきている。


 「千穂ちゃんひさしぶり!聞いてよ〜、この前のライブ最高だったの」


 余程ライブの余韻が忘れられないのか、美井は千穂が座るのを待たずに立ち上がり、こちらへ駆け寄ってくる。


 そして、千穂の手を取ってギュッと握り込んできたのだ。


 「すごく可愛かったんだ」


 同年代の友達が殆ど居なかったせいで、プライベートでこうしたスキンシップには慣れていない。


 振り解くこともできずに、されるがままに手の自由を奪われていた。


 そのせいで、次第に頬が熱を持ち始めているのだ。


 「ヘアアレンジ練習付き合ってくれて本当にありがとね。しかも、うさみみポーズもしてくれてさあ」


 まさか、ここまではしゃいでくれるとは思わなかった。


 心の底から嬉しそうに、美井は喜んでいる。


 あれほど強く決意をしたつもりなのに、あっさりと崩れ去ってしまいそうだった。


 ここまで喜んでくれるなら、たまには贔屓も良いかもしれないと、そんなことを考えてしまっているのだ。


 こんなのおかしい。

 今までの千穂じゃないと、自分でも分かっているのに。


 込み上げて来た想いは確かに千穂のもので、だからこそこんなにも心は掻き乱されているのだ。





 幼い頃から柔軟をしていたおかげで、体の柔らかさには自信がある。


 身も心も落ち着かせられるヨガはスポーツジムのプログラムの中で特にお気に入りだったというのに、今日は全くと言っていいほど集中出来ずにいた。


 これならまだ体を動かしていた方が良いとマシンへ向かっていれば、背後から肩を叩かれる。


 こんな風に、ここで千穂に声を掛けてくるのはジム友達の瀬戸杏だけだ。


 「なんか仏頂面してるね。何かあったの」


 彼女であれば、千穂と美井の複雑な関係を良く知っている。


 半ば愚痴を吐き出すかのように経緯を説明すれば、杏は酷く可笑しそうに笑い出した。


 ジッと睨みつければ、ちっとも悪びれない様子で謝りの言葉を入れられる。


 「ごめんごめん…それで、またその美井って子に掻き乱されてると」

 「ちがっ…」

 「揶揄うつもりで近づいたのに翻弄されちゃうとか……千穂って意外とアホ?」


 生まれてこの方、アホだなんて言われたことがない。

 冷静で、臨機応変に対応ができる優等生として、芸能界でも重宝されてきたのだ。


 しかし、その指摘に何も言い返すことが出来なかった。

 杏の言う通り、今の千穂は何がしたいのか自分でも分からない正真正銘のアホな行動を取ってしまっている。

 

 千穂だって、まさかこんなことになるとは思わなかったのだ。


 「だって、美井って本当に真っ直ぐなの。好きってめちゃくちゃはっきり言うし、表情がコロコロ変わって…」

 「なに、好きなの?」

 「好きじゃない!」


 好きではないけど、なぜか目が離せないから困っているのだ。


 勢いよく言い返した千穂に対して、杏は呆れたように大きなため息を吐いた。


 「…まあ、最近の千穂は何というか…人間らしいよ」

 「なにそれ」

 「前は凄いストイックだった。ここで会う時も、五十鈴南が抜けていなかったっていうか…五十鈴南として、求められる姿で生きてる感じだったよ」


 意図せずとも、求められる姿で生きてきたのは確かだ。


 芸能人としてその場に適した発言を意識するうちに、私生活でも私情より求められる言葉を吐くようになっていた。


 自分の感情より、周囲の流れで言葉を選ぶようにしていたのだ。


 五十鈴南として、今までずっと気を張って生きて来たのは確かだった。


 「けど今は、この子何がしたいんだろって…見ていてすごいアホだなって思う」

 「またアホって言った…」

 「アホでいいじゃん。むしろ今までの千穂は頭が良すぎて怖かった。失敗しない、ロボットみたいで……感情的になって、失敗して、それでアホみたいに慌てる方が、人間らしくて私は良いと思いよ」


 アホの方が良いだなんて、今まで初めて言われた。

 失敗なんてしない方が良いに決まっている。優れた方が生きる上では有利だと、これまで生きてきた中で学んできたのだ。


 それは確かに間違っていないと、自分でも分かっている。けれど、千穂は今の人間らしい自分も、そこまで嫌いではなかった。

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