第8話
ライブに来てくれるファンの人の中には、その日のために飛びきりおしゃれをしてくる人も珍しくない。
特に女性ファンに多く、ファッションはもちろん、髪型まで凝ったものにして会場まで足を運んでくれるのだ。
美井もそのタイプのファンらしく、握手会やライブに来る彼女はいつも可愛らしい格好をしていた。
それが、きちんと努力の積み重ねであることは分かっている。
必死に試行錯誤して、推しメンである南のために頑張ってくれているのだ。
「うーん…こうかな?」
気になって足を運べば、いつも通りそこには美井の姿があった。
放課後の屋上へ行ける頻度は不定期で、週に一度会えれば良い方かもしれない。
たまにしか会えないというのに、美井は千穂を見つけるたびに嬉しそうな表情を浮かべるのだ。
「千穂ちゃん来てくれて助かったよ」
一緒にスマホゲームをすることもあれば、五十鈴南の良さについて話されることもある。
しかし、今日は違った。
やってきた千穂に対して丁度いいと言わんばかりに、彼女は千穂の髪でライブ参戦のためのヘアアレンジ練習を始めてしまったのだ。
「ハートアレンジは前やったからな〜…くまさんヘアも可愛いけど、あれ周りに迷惑かもだし…」
コードレスヘアアイロンで手際良く千穂の髪を巻いた後、何度も結っては解いてを繰り返している。
今週末にライブがあるため、その時の髪型を練習したいそうだ。
南に喜んで貰いたいから、本人相手に練習をする。
なんともおかしな光景は、第三者が見れば笑ってしまうこと間違いなしだろう。
「あ、これいいかも」
前髪を触らないことを条件に髪を触らせることを許したが、美井はかなり手先が器用なようで、先ほどから可愛らしいヘアアレンジを次々と生み出している。
器用だね、と紙に書いて彼女に渡せば、美井は嬉しそうに頬をかいていた。
「実は美容師になりたいの」
『その腕前なら絶対なれるよ』
「ありがとう」
力の加減が分かっているのか、結われている際も全く痛くない。
おまけに巻くのも上手く、南の専属スタイリストになって欲しいくらいだ。
高校生でここまで器用なら、将来は安泰なのではないだろうか。
「よし、これにしよう」
そう言って完成した髪型は、低い位置でのローポニーテールだ。
先ほどまで結われていた髪型に比べれば、かなり大人しめな印象だった。
てっきり、もっと目立つような髪型にするのかと思っていた。
高校生というより、大学生くらいの年代の女性が良くしているイメージのものだ。
「南ちゃんって、一つ上とは思えないくらい大人っぽいんだ。可愛いのに、洗練されてるっていうか…だから、私もちょっとは近付きたいなって」
『本当に、五十鈴南が好きなんだね』と書き連ねた紙を見て、美井は一瞬照れ臭そうな顔をした。
そしてしっかりとこちらの目を見ながら、ハッキリと返事をしてくれる。
「うん、大好き!」
素直に真っ直ぐとした瞳でそんなことを言われて、嬉しくない人なんていないだろう。
柄にもなく、美井のことを可愛いと思ってしまっていることに気づく。
ここまで誰か1人を想うことができる彼女が、生き生きとして見えた。
「次はファンサうちわ作るんだ〜」
トートバッグから、大きめのうちわと用紙を取り出している。
ステージから何度も見て来たが、作るところは初めて見た。
「うさみみポーズしてってお願いするんだ」
ここまで健気に制作に励んでいる姿を見て、今目の前でやってあげたい衝動に駆られる。
しかし、美井はそれを望まない。
この子はステージ上にいる、アイドルの五十鈴南からしてもらいたいのだ。
何とも複雑なファン心理を理解するのは本当に難しい。
「……っ」
ファンの人たちはこうして南のために頑張ってくれている。
だからこそ、絶対に次のライブも成功させようと胸に誓っていた。
ライブというのは、沢山のスタッフの支えがあってなりたっている。
照明はもちろん、音響スタッフや、他にも縁の下の力持ちとして支えてくれる沢山の人たち。
演者と、演者を応援する人たちのために皆が力を合わせてライブ成功のために取り組んでいるのだ。
「今日の南ソロの衣装めっちゃ可愛くない?」
「わかる、似合ってるよね」
メンバーから指摘され、お礼の言葉を口にする。
前日からリハーサルを行い、ライブは無事に本番を迎えていた。
前半のセットリストを終えて、現在は軽い休憩タイムだ。
それもあと30秒で終わって、後半戦は南のソロ曲と共にスタートする予定だった。
ミニ丈のスカートはボリュームがあって、アイドル衣装らしくとても可愛らしい。
それに合ったヘッドドレスも、きっとステージ上で目立つ良いアクセントになるだろう。
「……よし」
暗闇に包まれたステージ上で定位置に着く。
そして時刻通りに、曲のイントロが流れるのと同時にパッとスポットライトが灯された。
途端に大きな歓声が鳴り響き、皆のサイリウムがピンク色に灯される。
南を応援するため、会場はピンク色の明かりに包まれていた。
ふと、ファンサ用うちわが視界に入る。
しかしそれはあの子のものではなく、歌いながら密かに探してしまっていた。
広い会場で、当然見つけられるはずはない。
こんなことなら、どこら辺に座るのか聞いておけば良かった。
あんなに一生懸命ファンサ用うちわを作っていたのだから、せっかくだから応えてあげたい。
あの子の、喜ぶ姿が見たいと思ってしまっているのだ。
「みんな、私のことずっと好きでいてね」
この曲の1番の佳境であるセリフを言う箇所で、カメラに向かってうさ耳ポーズをする。
あざとく首を傾げたためか、客席は今日一番といっても良いくらい、割れんばかりの歓声が響いていた。
あの子も、喜んでくれているだろうか。
「……ッ」
そこで、千穂は自分が特定のファンを特別扱いしてしまっていたことに気づいた。
決して許されないことだと、今まで肝に銘じて来たつもりなのに。
美井に喜んで欲しいあまり、半ば無意識に贔屓してしまっていたのだ。
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