第7話
ジムで疲れた体を癒すため、湯船にはお気に入りのバスソルトを入れる。おまけにバスキャンドルまで焚いて、リラックス出来る空間を作り出していた。
お風呂に上がってからは、ボディミルクで自身の体をマッサージして、自分自身を癒すことに徹底したというのに。
先ほど生じた二つの疑問に、千穂は頭を抱えてしまっているのだ。
リラックスしようにも、先程の美井の姿が脳裏に焼き付いて離れない。
なぜ、美井はあの場所に居続けるのか。
そして、彼女に対して抱いた謎の既視感。
後者に関してはどれだけ考えても、ちっとも分かりそうにない。
そもそも、千穂の勘違いという可能性もある。
しかし前者に至っては、あまり接点のない千穂でも薄々と訳を感じ取っていた。
「……同室者と揉めてる、とか?」
一人部屋を快適に使える芸能科の生徒とは違い、普通科の生徒は二人一組で部屋を割り振られているのだ。
あの場所にいたのだから、美井は間違いなく普通科所属の生徒だろう。
「虐められてたり……」
嫌な考えが脳裏に過り、咄嗟に下唇を噛み締める。
なぜか分からないが、あの子が誰かに傷つけられる姿を想像すると無償に心がムカムカとしてしまう自分がいた。
あんな気分のままではゆっくりと眠りにつけるはずもなく、千穂は一人で学園内にある購買へとやって来ていた。
全寮制ということもあり、敷地内にはスーパー代わりの購買が夜遅くまで空いているのだ。
スキンケアの後にマスクを付けるのが嫌で変装をせずにやって来たが、夜ということもあって客は殆どいない。
生活用品をカゴに入れてから、せっかくだからとスイーツコーナーの前で足を止めていた。
スタイル維持のために控えた方がいいことは分かっているが、たまにならいいだろう。
モンブランとシュークリームでどちらにしようか悩んでいれば、トントンと優しく肩を叩かれる。
「南さん、お久しぶりです」
綺麗な声色で千穂を呼んだのは、小柄な女子生徒だった。
普通科に在籍している一つ年下の女の子で、かつては天才子役と言われていたのが今目の前にいる
現在は引退して一般人として生活しているが、その演技力を活かさないのは勿体無いと思ってしまう。
しかし、本人は子役に対する未練は微塵もないようで、生き生きとした日々を送っているようだった。
「咲ちゃん、ひさしぶりだね」
そして、咲は千穂が可愛がっているモデルの沙仁と恋人関係にある。
沙仁も咲も女性同士ではあるが、お互い性別を超えて恋愛しているのだ。
大切な友人の恋人ゆえに、時折すれ違った際には声を掛け合うようにしていた。
本気で思い合っている二人は純粋に微笑ましい。
誰もが羨んでしまうほど、彼女たちは互いを愛し合っているのだ。
沙仁がパリに旅立って遠距離になっても二人の仲は健在らしく、千穂も沙仁から頻繁に彼女の惚気を聞かされていた。
「こんな時間に買い物?」
「ルーズリーフが無くなってたの思い出して…朝一で来るか悩んだんですけど、気分転換に」
「そっか。校舎内とはいえ、帰る時気をつけるんだよ」
会釈をして咲が文房具コーナーへ向かったのを確認してから、再びスイーツに視線を移す。
せっかくだからシュークリームにしようと手を伸ばしてからカゴに入れて、レジへ向かおうとした時だった。
先ほどまで千穂の脳裏を支配していた、あの子の声が聞こえて来たのだ。
「あれ、咲だ!」
驚いて、思わず顔を上げる。
そこには確かに、嬉しそうに咲に声をかける美井の姿があった。
私服なのか、ワンサイズ大きめのラフなトレーナーを身に付けている。
「咲、夜更かしは貧乳の元だよ。たくさん寝なきゃ」
「もう、そうやってすぐ揶揄う」
「そんな咲のために豆乳パックを一つ奢ってあげよう」
親しげに話す会話から、二人が友人同士であることは見てわかった。
屋上で話すときのように、美井はにこにこと楽しそうに笑みを浮かべている。
「……あの二人、仲良かったんだ」
友達の、恋人の友人。
遠いのか、近いのかよく分からないけれど、全く無関係というわけではなかったのだ。
ついジッと見入っていれば、彼女の視線が一瞬だけ千穂と合わさった。
しかしそれは本当に僅かな時間で、すぐに恥ずかしそうに目を逸らされてしまう。
「……なによ」
咲に対しては、嬉しそうに笑っていたと言うのに。
千穂の姿であれば、同じように笑い掛けてくれるのに。
アイドルの五十鈴南であれば、美井はこんなにも素っ気なくなってしまう。
それが、酷くもどかしく感じてしまっているのだ。
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