第5話


 ファンと接触するのはご法度だと、マネージャーから口煩く言われてきた。

 デビューしてからずっと、千穂はその言いつけをバカ真面目に守ってきたのだ。


 結局あの後、一言二言会話をしてすぐに美井とは別れたのだから問題はないはずだ。


 ファンと会ってしまったが、そもそも五十鈴南だとバレてすらいない。


 あれからずっと五十鈴南の良さについて語られ続けて、居た堪れなさから場を後にした。


 饒舌に南の良さを語られて、胸の奥底がくすぐられているようなもどかしさに襲われたのだ。


 「みなみん、どうかしたの?」


 心配そうにするファンの男性の声に、咄嗟に我に帰る。

 握っていた手に力を込めて、満面の笑みを返した。


 「なんでもないよ」

 「本当?なんか、嬉しそうだったよ」

 

 そんな顔をしていただろうか。

 演技は得意なはずなのに、気が緩んでしまっていたのかもしれない。


 自分自身に喝を入れてから求められたくまさんポーズをした後に、手を振ってファンの男性を見送った。


 いまは握手会真っ最中。

 一番人気のある南のレーンはいつまで経っても列が途切れず、長いこと立ちっぱなしの状態で交流を楽しんでいるのだ。


 「疲れた…」


 握手会の日は足の疲労が凄まじく、ひどい時は腰まで痛くなる。


 アイドルなのだから、当然それを顔には出すわけにはいかない。


 ファンの人たちは、わざわざ五十鈴南に会うためにここまで足を運んできてくれているのだ。


 次に南のブースに入ってきたのは、可愛らしいミニスカートを履いたサキ。


 つまり、数日前に会った如月美井だ。


 彼女はいつも可愛らしい格好をして、髪の毛も綺麗に巻かれている。


 南に会うために、オシャレを欠かさない彼女のことはよく覚えていた。


 「ひさしぶり南ちゃん、今日も可愛い」

 「サキちゃんこそ。そのイヤリング初めて見た。新しいの?」

 「うん、南ちゃんに会うから見せたくて…」

 「すっごい似合ってるよ、サキちゃんにぴったり」


 人差し指で彼女のイヤリングに触れれば、美井は分かりやすく頬を赤らめた。


 以前屋上で会った時とは違う、本当に照れ臭そうな表情。


 可愛らしく、女の子らしい。


 こんな風に千穂の前では恥じらったりしないだろう。


 離れて行く美井を見送ってから、無意識に言葉が溢れる。

 

 「私の前と全然違うじゃん」


 千穂の前と、南の前。

 同一人物だというのに、美井は全く違う反応をしているのだ。


 あんなに千穂の前だと饒舌だったというのに、南相手だと目線すらろくに合わない。


 その違いが、どこか面白いと興味を抱いてしまっているのだ。



 

 今朝は朝早くからバラエティ番組のロケ撮影を終えたのち、ラブミルのメンバーとレッスン場でダンスの練習に励んでいた。


 当然授業を受けることも出来ぬまま、18時を回る少し前に寮の自室に帰ってくる。


 いつもだったらすぐに風呂場へ直行している所だが、千穂はわざわざ制服へ着替えていた。


 もちろん、既に授業は終わっている。

 日は暮れ始めていて、こんな時間に制服に着替える生徒は千穂くらいだろう。


 「今日も、いるのかな」


 何となく、興味が湧いているのだ。

 如月美井という人間に。


 自分の前で正反対のリアクションを見せる彼女に、好奇心をくすぐられてしまっていた。




 屋上に出る扉を開けば、予想通りそこには彼女の姿があった。

 壁にもたれ掛かりながら、スマートフォンを弄っている。


 そもそも、この子はこんな所で何をしているのだろうか。


 推し活と言っていたけれど、そんなの部屋でやればいいというのに。

 寮は校舎内にあるのだから、わざわざここに居座る理由が分からなかった。


 不思議に思いながら美井の元へ駆け寄れば、こちらに気づいた彼女が嬉しそうな表情を浮かべた。


 「やほ、今日も来たんだ」


 そっと彼女の隣に腰を下ろせば、自然と美井が弄っているスマートフォンの画面が視界に入る。


 今日はネットショッピングをしていたようで、通販サイトページには沢山のイヤリングが表示されていた。


 「先週の土曜に握手会に行ったら、南ちゃんがイヤリング褒めてくれてさあ。嬉しかったから、また可愛いの買おうと思って」


 本当に、この子は口を開けば南、南と言ってばっかりだ。


 握手会では恥ずかしそうに頬を赤らめていた姿はどこにもない。


 こんな風に自然に微笑む美井の姿は、千穂でなければ見れないだろう。


 ふと、胸の奥底からいたずら心が湧いてくる。


 この子はプライベートで五十鈴南と会ったら、どんな反応をするのか気になってしまったのだ。


 「あれ、もう行くの?」


 美井の言葉に頷いて、手を振ってからそのまま屋上を後にする。


 階段を途中まで降りてから、周囲に誰もいないことを確認して、そっとマスクを外した。


 縛っていた三つ編みを解いて、顔を覆っていた前髪は斜めに流す。


 高い位置でポニーテールをして全体のバランスを整えた後、再び屋上へと戻った。


 ゆっくりと、彼女へ近づいていく。

 

 突如現れた人物が誰か気になったのだろう。

 顔を上げた美井は、南を見て酷く驚いたように目を見開いていた。


 「……ッ」


 よほど驚愕しているのか、口元まで押さえてしまっている。


 一体なんと声を掛けてくるのだろう。

 あれほど南への愛を語っていたのだから、早々に好きとでも言ってくるかと思っていたというのに。


 美井はこちらに何も声を掛けぬまま、足早に屋上を後にしてしまった。


 「え……?」


 予想外の反応に、何とも間抜けな声を漏らす。

 てっきり嬉しそうに声をかけてくるかとばかり思っていた。


 しかし実際は、まるで興味がないと言わんばかりに足早にどこかへ行ってしまったのだ。


 「……なんで?」


 ぽつりと疑問符が溢れる。

 そもそも、千穂が美井を揶揄ってやるつもりだったというのに。


 どうして千穂の方が、彼女の言動に心を狼狽えさせてしまっているのだろうか。


 揶揄うつもりが、こちらの心が掻き乱されてしまっているのだ。

  



 

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