第4話


 よく漫画やアニメに登場する、学校の屋上に出入りする描写。


 巷では、あれはフィクションの中だけだと言われているが、桜川学園は違う。


 屋上に入るための鍵は掛けられておらず、好きに出入りすることが出来るのだ。


 辺りには誰もいない中、ようやくマスクを外して新鮮な空気を吸い込んだ。


 芸能科の生徒と普通科の生徒では、寮はもちろん校舎すら分けられている。


 一般的に互いの校舎への行き来は緊急事態以外行わないよう言われているが、今のところバレた試しは一度もない。


 制服のデザインは一緒なのだから、顔さえ隠してしまえば側から見たら確かめようがないのだ。


 「綺麗だなー…」


 都内の郊外は、都会の喧騒とはかけ離れた環境に囲まれている。


 高いビルは殆どなく、車の通行量すらそこまで多くない。


 芸能科の校舎からも景色を見渡すことが出来るが、普通科校舎から見る夕焼けの景色の方が、千穂は好きなのだ。


 そのため、変装をした帰りにはここに立ち寄って、景色を眺めてから帰るのが日課となっていた。


 「……そろそろ行こうかな」


 マスクを付け直してから振り返るのと、屋上の扉が開いたのは殆ど同時だった。


 驚いて顔をあげれば、そこには目を見開いた女子生徒の姿がある。


 「……っ、うわぁ!おばけっ…」


 口元を押さえながら女子生徒は悲鳴をあげているが、内心千穂も心臓がバクバクと早く鳴り始めていた。


 彼女のことを、千穂は知っていたからだ。


 「……あれ、襲ってこない……おばけって、普通こういう時刺したり、突き落としたりしてこないの…?」


 少しずつ冷静さを取り戻してきたのか、女子生徒が不思議そうにし始める。


 恐怖心も薄れてきたのだろう。

 おばけのような出立ちの千穂に、興味を持ち始めているのが分かった。


 前髪越しに、彼女をジッと見つめる。


 「ねえ、こんな所で何してるの?ていうか、最近話題になってるお化けってあなたでしょ。みんな怖がってるよ」


 きっと、千穂がおばけのふりをしてみんなを怖がらせている愉快犯だと思い始めたのだ。


 次々に言葉を投げ掛けられるが、返事をするわけにはいかない。


 声を聞かれてしまえば、間違いなく正体がバレてしまうだろう。


 「……なんで答えないの?」


 唇を尖らせる彼女に、言えるはずがないだろうと心の中で悪態を吐く。


 目の前にいる女生徒のことを、千穂は3年近く前から知っていた。


 まだあまりグループの人気が無かった頃から五十鈴南に会うため、握手会やライブに足蹴なく通っていたのが、この『サキ』という女子生徒だったからだ。


 幾ら声を作っても、声優でもないのだからファン相手に誤魔化せるはずがない。


 このまま走って逃げだそうかと企んでいれば、サキは自身のスクールバックの中から小さなメモ用紙とシャーペンを取り出して、こちらに渡してきた。


 「ごめん、無神経だったかも…」


 もしかしたら、サキは喋ることが出来ないと勘違いしたのかもしれない。


 ジンと、彼女の優しさが胸に染み渡る。

 手を伸ばして受け取れば、サキがそっと口角を上げて見せた。


 申し訳なさそうにする彼女相手に、ペンを放って走り出すような無情さはあいにく持ち合わせていなかった。


 スラスラと、ペンを紙に滑らせていく。


 『おばけじゃない。けど、正体はあかせない』


 と書いて渡せば、サキはマジマジと紙を見つめていた。


 「字可愛いね、女の子って感じで羨ましい。私、字下手だからさあ。名前は?それも教えてくれないの?」


 まさかそこを指摘されるとは思わず、一人で笑いそうになってしまう。


 天然なのか、誉めているというのに彼女からいやらしさは感じなかった。


 千穂と書いて見せれば、サキは更に嬉しそうに微笑んだ。


 「千穂ちゃんかあ。私は如月きさらぎ美井みいだよ。よろしくね」


 キサラギだから、名前を文字ってサキと名乗っていたのか。


 本名ではなく、偽名やニックネームをアイドルに伝える人は少なくない。


 美井も、南相手には本当の名前を名乗っていなかったのだ。

 

 お互い偽名の名前で呼び合っていたのかと思うと、どこかおかしく感じてしまう。


 千穂が紙に文字を書いて、美井が言葉で答える。


 筆談なんて初めてしたため、少しでも早く書こうとペンを必死に動かしていた。


 『こんな所で何してるの』

 「推し活。私アイドル大好きなの、ラブミルってグループのセンターの子知ってる?」


 こくりと首を縦に振れば、より一層美井が嬉しそうに顔を綻ばせる。


 そして、饒舌に五十鈴南について語り出した。


 「カラコン入れてないのにあの目の大きさは本当に凄いし、顔もめちゃくちゃ可愛くてさあ…しかもファンサも凄いの!」


 美井が取り出したスマートフォンの画面には、五十鈴南が所属するアイドルグループ、ラブミルのSNSアカウントが表示されていた。


 ブログはもちろん、全てに目を通しているのだと彼女が自信満々に答える。


 『なんで、そんなに好きなの?』


 紙を渡せば、美井は少しだけ悩む素振りをした。

 しかし答えは決まっていたのか、すぐに答えを教えてくれる。


 「えー、なんでだろ……やっぱり可愛いし」


 やはり、所詮顔か。

 アイドルとして人から評価される立場なのだから、外見で判断をされるのは慣れていた。


 先ほどから、美井は南の顔しか褒めていない。

 結局皆んな、五十鈴南の顔が好きなのだ。


 芸能人なのだから当たり前のことだというのに、どうしてこんなに虚しくて堪らないのだろう。


 そっと顔を背けようとすれば、引き留めるかのように美井がさらに言葉を続けた。


 「プロ意識めちゃくちゃ高いんだよ。バラエティ番組とか出る時も、いつも何話すかネタ考えて出てるってブログにも書いてた」


 それはたしか、アイドルデビューしたばかりの頃に書いた内容だ。


 当時はまだあまりバラエティ番組に呼んで貰えず、必死に試行錯誤していた。


 まさかそこまで覚えているとは思わず、美井の言葉を聞き入ってしまう。


 「歌もダンスも上手いけど、デビュー当時はそうじゃなかったからすごい努力家なんだと思う。あとね、ここだけの話なんだけど…」


 内緒話をするように、耳元に美井の顔が近づいてくる。


 柔軟剤だろうか。石鹸の様な優しい香りが、彼女にピッタリだと思ってしまう。


 「一回だけ電車で南ちゃん見かけたんだけど、妊婦さんに席変わってあげてたの。まだあんまり人気ない頃だったから変装してなくてさ」

 「……ッ」


 何とも言えない感情が込み上げてきて、それから逃れる様に想いを紙に書き殴る。


 『妊婦さんに席変わるのなんて当たり前でしょ』と言う千穂の素っ気ない言葉にも、美井は得意げに返事を返していた。


 「そういう当たり前って思われることを、サラリと出来ちゃう所が好きなんだ」


 マスクをしていて良かったと、心底思う。

 ジワジワと、なぜか頬が赤らんでしまっている。


 彼女の言葉に、喜んでいる自分がいたのだ。


 好きなんて、散々言われてきた言葉なのに。 

 握手会では最早お決まりの様に、好きだとか可愛いと言った言葉をファンの人から貰ってきた。


 言われ慣れて、それを言われても何も感じなくなっていたというのに。


 どうして、この子の言葉はこんなにもすんなりと胸に響いてくるのだろう。


 南の本質を見ようとしてくれているような気がしてしまうのは、ただの千穂の願望なのだろうか。

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