第3話
マネージャーにお礼を言ってから車を降りた千穂は、在籍する桜川学園の門を潜っていた。
時刻は22時を越えているというのに、警備員はもちろん、寮長にだってそれを咎められることはない。
芸能科のある桜川学園では、こうして仕事のせいで帰りが遅くなる生徒は珍しくないのだ。
「寒い…」
夏を終えて、秋が訪れているのだろう。
昼間と違い肌に触れる風は冷んやりと冷たい。
桜川学園は、普通科と芸能科の二つのコースが存在する。
もちろん千穂は芸能科に在籍しており、全寮制のおかげで他のメンバーと離れて生活出来ているのだ。
羽織っていたカーディガンのポケットに手を入れながら、寮までの道を急ぐ。
「つかれた…」
メンバーのことは嫌いではないが、四六時中一緒となるとどうにも息が詰まる。
彼女たちの話す内容といえば恋人のことばかりで、反応に困ってしまうのだ。
ルームキーで鍵を解錠してから、千穂はようやく身につけていたマスクを外していた。
芸能人として変装のために付けるマスクは、何とも息苦しい。
着替えるのも億劫で、私服のままベッドに倒れ込む。
芸能科の生徒は一人部屋を割り振られているため、それを咎める人はここにはいない。
スプリングが気に入らずベッドを買い換えたおかげで、程よい柔らかさが背中に伝わってくる。
明日は珍しく仕事がないが、学校は休むつもりだった。
「……あれ、何回着たんだろ」
ブラウンカラーのチェック柄スカートに、可愛らしいセーラー服。
酷く可愛らしいデザインの制服に腕を通したのは、両手で数える程度しかないかもしれない。
全日制の高校といっても、芸能科の生徒は出席率は勿論、成績だって甘く付けられる。
仕事をしている、才能のある選ばれた生徒たちだからと、特別扱いをされているのだ。
連日の仕事の疲れで、千穂はぐっすりと眠りについていた。
昨夜あの後ちゃんと風呂に入って、ドライヤーは勿論スキンケアまで入念に行ったのだ。
朝寝坊くらい許してほしいと昼頃まで眠っていた千穂を起こしたのは、一件の着信音だった。
「……うるさいなあ」
寝起きのため、少しだけ低い声で文句を言う。
画面を見れば既に時刻は11時で、起きるには遅すぎる時間だった。
「……沙仁だ」
電話の相手は同じ事務所の後輩である
一つ下の彼女はルナという芸名を用いて、モデルとして活躍している。
ルックス、スタイル共に素晴らしい彼女は、2ヶ月ほど前に拠点をフランスのパリに移したため、こうして電話をすることすら久しぶりだった。
「……なによ」
『ひさしぶり、元気してる?』
「……今起きたところ、沙仁は?」
『おそ!日本だともう昼頃でしょ?学校は?』
「行ってないよ…2週間ぶりの休みなの。ゆっくり寝たい」
学校へ行かないことを責めないのは、沙仁は千穂以上に忙しい生活を送っていたため、仕事の大変さを分かっているからだ。
アイドルとモデルという違いはあるが、芸能界で仕事をする大変さは互いがよく分かっている。
だからこそ、たまの休みに学校へ行けと酷なことを言ってこないのだ。
『気持ちは分かるよ。でも、せっかく休みなのに友達と遊んだりしないの?』
その言葉に頰を引き攣らせる。
天然で自由人な彼女は、時に触れてほしくない箇所にズカズカと踏み込んでくるのだ。
「…二度寝するからもう切る」
『えー!せっかくだから喋ろうよ』
「また今度ね」
一方的に通話を切って、大きなため息を吐く。
千穂だって、たまの休みくらいどこか遊びに行ったりしたい。
だけどその相手がいないのだから仕方ないのだ。
幼稚園の頃から芸能活動をしていたせいで、千穂は友達が全くと言っていいほどいない。
数少ない友達もフランスに旅立ってしまったのだから、正真正銘のぼっちになってしまったのだ。
もちろん学校に友達だっているはずがない。
行ったとしても、クラスメイトから好奇な視線を向けられることは分かりきっているのだから、そんな場所に好き好んで足を運びたくなかった。
「……友達、か」
千穂と仲良くなりたがる人は、皆んな「南ちゃん」と呼ぶ。
芸能人の五十鈴南として、アイドルの南と仲良くなりたいのだ。
「……くだらない」
所詮、皆んな外面しか見ていない。
千穂の内面なんてどうでもいいのだ。
ドラマでは演技が上手く、番組で起点が効くことを言える。
音楽番組ではアイドルとして可愛らしく歌って踊ることのできる五十鈴南。
目印であるルックスさえ封じてしまえば、見える世界が酷く醜いことを、千穂はよく知っているのだ。
時刻は既に16時を迎えて、辺りはオレンジ色の光に包まれている。
多くの生徒が寮へ向かって帰る中、千穂は逆行して学校へと向かっていた。
ジロジロと、自分に視線が集まっているのが分かる。
「ねえ、あの子…」
「え……怖いんだけど」
気味が悪そうに、ヒソヒソと話す声。
軽蔑するような目線は、全て千穂に注がれているものだ。
「お化けかと思った……」
桜川学園の制服を着た千穂は、長い髪を三つ編みで結って、ワンサイズ大きめの白いマスクで顔を覆っている。
おまけに長い前髪はコテで巻いていないため、目元を覆い隠して完全に顔が見えない状態。
夜に見れば、皆がお化けだと信じて疑わない風貌で、校内を歩いているのだ。
芸能科の校舎へと迎えば、以前撮影で一緒になった際に、口説かれた男性アイドルを見つけた。
声色をワントーン落としてから、彼に声をかける。
「あの、音楽室ってどこですか」
「うわっ…何、怖…ッ…キモ」
返事をせずに、彼が舌打ちをしてから去って行く。
心底気味悪がっているようで、彼から送られる視線は完全に冷え切っていた。
所詮、こんなものだ。
五十鈴南の可愛い顔を隠してしまえば、皆がクルクルと手のひらを返す。
彼なんて、以前は必死に五十鈴南を口説こうと四苦八苦していたというのに。
その変わり様を見て、更に冷え込んだ感情が心に流れ込んできていた。
人から軽蔑されて、侮蔑されるのが嬉しいのではない。
「……何してんだろ」
先月あたりから、暇があればお化けのような格好をして校内を歩いていた。
そして、皆んなから侮蔑の視線を向けられるのだ。
自分でも何がしたいのかよく分からない。
ただ、チヤホヤされるこの顔を隠してしまえば、五十鈴南の世界は相反される。
それを見て、どこか冷めた気持ちに包まれることで、安心したいのかもしれない。
くだらないと、周囲を馬鹿にすることでしか、千穂は自分の心を保つことが出来ていないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます