青髭と吸血鬼の嘘八百

チェシャ猫亭

臭気というものは

 子供の頃、「青髭」の話を読んで、嘘くさいなあ、と思った。

 彼の妻になった女性が、青髭の留守中、ひとつだけ覗いてはいけない部屋がある、と言われるのだ。

 これって、覗けって意味ですよね。

 当然、妻は、その部屋の鍵を開け、前の妻たちの死骸を発見する。


 これでもう、嘘、と思った。

 昔でしょう、今みたいに気密性の高いサッシドアじゃないでしょ。

 腐乱死体をいくつも部屋においといて、臭わないわけ、ないでしょ。

 この話を読んだのは、おそらく八歳くらいの時だけど、そんな子でも丸わかりの、まさに子供だましの話だ。

 挿絵もついいて。黒い室内に、人型のものが黒く、いくつか描かれてて、それが想像力を掻き立てて、複数の死体の、腐乱臭を想像させて、背筋がぞっと。



 腐乱臭というものに興味を抱いたのが、ちょうど八歳ころだったような。

 当時、冬に、湯たんぽで火傷して、左足の脛の下の方がケロイドになっている。完治したからケロイド状だけど、水ぶくれが破れて膿んで、ヘンな緑色の膿が出て、その臭いをかぐのが好きだった。

 薬を塗って、膿は次第に消え、体液が出て、乾いてがばがばになってズボン下を汚し、そして、いつの間にかケロイドになった。


 これがあったから、青髭の話を読んで、具体的な腐臭を想像できたんだと思う。


 吸血鬼に関しては、腐臭というより、血を吸うことへの疑問っていうか。なんで、あんな塩辛いものが栄養になるのかね。

 看護師だった母が、そういうことを言っていて、なるほど、と思った次第。ついでだけど、蚊は血を吸っても、高血圧に、なるわけないか。


 膿は肉が腐ったもの。血が腐ると、どうなるんだろう。

 青髭の場合は、どちらも腐って、あの悪臭だよね。


 去年の夏、隣室の女性が消息不明、とかで、ひと騒動あったのだ。体操サークルに顔を出さない、電話にも出ない、姿を最近、見かけましたかと聞かれたけど、おつきあい、ございませんので。

 そしたら、その二日後だったかな。

 隣室の前を通ったら、なんだか臭い。


 あれ、と思った、その夜のことだよ。

 廊下が騒がしいので、ドアを細く開けてみたら。

 隣室のドアが大きく開けられ、何とも言えない悪臭。

 黒い袋に入れられていたのは、もしかして。

 お巡りさんも、ふたり来ていた。

 湯たんぽの火傷でできた膿を。体中に浴びせられた様な。

 とんでもない、異臭。


 隣室の女性、孤独死してました。

 死後、一週間たってたそうです。エアコンかけてたのに、夏だと、あんな臭くなるんだね。


 あれから、隣室のドアの前には消臭剤が置かれたけど、気休めに過ぎず、本当に参った。

 完全に悪臭が消えたのは、年末、リフォーム業者が入り、室内をシンナー臭くして、こっちまでシンナーにやられそうになって、それからやっと、消臭剤が要らなくなった。


 エアコンかけてた部屋でも、たった七日で、ひとつの死体で、あれほど臭う。

 つくづく、青髭は嘘八百だった、と実感したのです。

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青髭と吸血鬼の嘘八百 チェシャ猫亭 @bianco3

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