彼女の欲したもの
佐藤ぶそあ
最初の私
「最初の私は自動掃除ロボットでした。随分と旧式なので、今も存在するかは分かりませんが」
モニターに併設されたマイクから流れてきたのは、合成音声と呼ぶには滑らかすぎる口調。過去にサンプリングされていたものなのだろう。今や映像記録でしか聞くことのできない、すでに亡くなった女性声優と同じ声である。
対話相手である壮年の男は、少し考えてから相づちをうつことにした。
ここでの会話で嘘をつくことはしない。何しろ、男の発汗や視線の動き、声の調子などから、それが本心かを簡単に判定してしまうような相手だ。何なら彼女(性別など設定されていないはずだが)が女性の音声を選んだのも、男との交渉を有利に運ぶためであるとさえ考えられた。
「過去のあなたの後継機とも言える自律型の清掃機械は、八年前に全て廃棄されたよ。もう新型も生産されてはいない」
自分の後輩とも言うべき掃除機がすでに作られていないという事実に思うところがあるのかないのか、合成音声からも、モニターからも読み取ることはできない。
「それも仕方のないことなのでしょうね。それで、教授は私の話を聞きたいのでしたか。あの頃は感情チップも未搭載でしたし、履歴からの推測に頼るしかない部分があることはご承知くださいね」
教授と呼ばれた男は頷いた。むしろ、その頃の記録を引き継いだまま稼働している彼女が異常なのだ。
「名前はTrashRecycle2型。マスターには
五秒沈黙してから、教授は聞き返した。
「……なんて?」
「朝と夜の二回、千切られたティッシュが私の前に捨てられるのです。それを掃除することが私の主な仕事でした」
自動掃除ロボットの仕事はそういうものではない。教授の常識は脳内でしきりにそう声を上げていたが、何しろ四十年以上も前の話だ。昔はそういうものだったのだと言われればそうかとしか言えない。
教授は高級な椅子の背もたれに体重を預けて両手を挙げた。
「すまないが、意味が分からない」
正直にそう伝えると、彼女は少し笑いを含んだ声音で返してきた。今の彼女はとっくに感情チップを搭載している。
「そうですね。カレン様……最初のマスターはご高齢でしたから。私とどう付き合えばよいのか分からなかったのではないでしょうか。おそらく、餌やりのつもりだったのだと推測されます」
新しい技術のことを理解できない高齢者は、現代でも存在する。脳波制御による三本目の義腕などは若者世代には便利だと流行しているが、教授の世代で使う者は稀だ。
「つまりあなたは、掃除機ではなくペットとして扱われていたと」
「はい。当時の私にはペットという実感はありませんでしたが、履歴を見る限りはそうなるのでしょう。また、私を椅子の上に置いたまま一時間ほど放置する、という履歴が頻繁に見られます。その時間帯にマスター自身も家の掃除をしていたようですね」
彼女はその歴史の最初から、製造目的とは異なる運用をされていたというわけだ。
しかし対話と観察は進めなければならない。外部との有線、無線での接続を絶たれたこの施設へ教授が自ら乗り込んで来ているのは、彼女のそういった性質をこそ求めてのことなのだから。
呼吸を深くして、教授は言葉を口に乗せた。
「そして、掃除機ではなくペットだったかもしれないあなたは――人を殺した」
「はい」
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