11匹目 化け物なのは誰か
「レイン、いついかなる時も3大神を信じなさい。神様は私達のことをいつも見ておられるのです」
敬虔深いシスターはそう言った。
私も親というものを知らずに孤児院で育った。そこに週に1度、シスターがやってきて神の教えを説く。
なんだか寝る前に物語を読んでくれているような安心感があり私はその時間が大好きだった。
私はいつの間にか彼女のことを「マザー」と呼ぶほど懐いていた。話をもっとしてとせがむ私にシスターは優しく言葉を紡いでくれた。その姿に憧れ、私がシスターになったのもとても自然な流れだった。
自分が支えることになった教会はフォーグで唯一の物だと聞いた時に心細くなかったと言うと嘘になってしまう。
しかし、信頼してますよと笑顔で言うマザーに私は頬を赤らめながらはいと返事をした。
今も覚えている。
私の教会につき、先輩シスターが私を眩しそうな目で見つめていたことを。
「街で唯一の教会だからここはとても忙しいの。とても疲れるわ」
やつれた顔で先輩シスターはいつもそう呟いていた。
やるべきことはたしかに多いが、自分を慕う可愛い子供達に囲まれて、笑い声が絶えない教会での生活に何がそんなに不満なのだろう。
それに神は人が乗り越えられる試練しか与えないとマザーだって教えてくれた。
私は何の疑問を抱かずに教会の仕事をこなしていった。
ある日、彼女が私に一通りの仕事を教えた後、煙の様に消えてしまったのは予想外ではなかった。
そしてようやくわかった。彼女が忙しいと言っていた本当の理由が。
「シスターレイン、手紙が来てました」
赤茶髪の少年が走って手紙を差し出してくる。
お礼を言って頭を撫でるとフェイは犬の様に満足そうな笑顔を浮かべた。
私は中身を開けてその内容に驚いた。
この教会が多額の借金をマフィアにしていると、丁寧とは言えない言葉で書き殴られる文章。先輩シスターはそんなこと一言も言っていなかった。
手紙の主は教会の土地の地主だった。居ても立っても居られず私は教会を飛び出し彼の元へと向かった。
「書いてある通りだよ、新しいシスターさんよぉ」
薄くなった髪の毛のセットを丁寧に施しながら悪魔の様に笑う男。
「こんな大金払えません」
相手に舐められたら終わりだ。きっと最後まで付け込まれる。震える足を必死に抑え、私は男を見据えた。
「だが、約束なんだ。ほら、こんなに色んな証拠が残ってる」
男は一束の書類を鍵のついた棚から取り出した。
投げて寄越すそれをみると、たしかに嘘ではなさそうだった。
「払えないってなら、他の方法を考えなきゃなぁ。シスター?人から借りたもんはきちんと返さなきゃ。子供達にも示しがつかないってもんよ」
そう言いながら、男が肩を指でなぞった。私の体に舐める様な視線を投げる。
男の言わんとすることがわかり、気色の悪さに背筋が強ばり、それが向こうにも伝わってしまった。黄ばんでガタガタの歯を覗かせながら顔を覗き込んでくる。
「いつでもおいで、俺のシスター」
情けない話、帰りは迷子の少女の様に泣くのを堪えていた。
初めて人に触れられて怯えた。温もりのない、ただただ下品で気味の悪い体温に私は何も知らない少女の様に震えた。
教会に帰り、何度も迷った末マザーに助けを求めることにした。電話越しのマザーはいつも通りの温かい
「そうなの。大変だったわね」
慰める様に言うマザーに思わず涙が出てきた。もし、マザーがここにいたなら怖かったと抱きついて大泣きしていただろう。
よかった、相談して。これで私は助けてもらえるー
「でもね、シスターレイン」
優しいマザーは言う。
「神は人が乗り越えられる試練しか与えないのよ」
言葉を返せなかった。
マザーの好きな説教の1つ。
私もよく好きで聞いていた話しの1つ。
だって、今は苦しいけど耐えればいつか報われるという教えだと思っていた、思い込んでいたから。
会話はそれ以上続かなかった。私が生返事で答えたからだ。
きっと前任者もそうだったに違いない。
眩しそうに見ていたのは私が希望の光だったのだ。
自分が地獄から抜け出すための
「シスターレイン…?」
扉から不安そうに顔を出したのはフェイだった。
最近来たばかりの少年。母親とこの街に来て、寒空の公園で忠犬のようにゆっくり死にかけながら帰らぬ母を待ち侘びていた少年。
彼は私がこの教会に来て、初めて連れ帰った少年だった。
だからなのか無意識に彼のことをとてもよく気にかけていた。おかげで臆病な彼はここに来た当初、毎日の様に泣いていたし笑うことを知らなかったが今では私の前ではよく笑う、素直な可愛げのある子供になった。
まだ一年も経っていないのに、まるで本物の親子の様な絆を感じているのはきっと私だけじゃないはず。
「こっちにおいで」
私は重い体を動かしてゆっくりと腕を広げた。
照れ笑いをしながら彼も私の中にゆっくりと収まる。
「フェイは本当にいい子ね」
小さな少年の温もりが私に伝わる。
あの化け物の様な男とは全く違う人肌に私は泣きそうになるのを堪えてぎゅっと抱きしめた。
ぎゅっと抱きしめ返してくれるこの子を守らなければ。
いつの間にか震えは止まった。
ここの子供達は私が守らなければならない。
この小さな小さな温もりを私が守らなければならない。
「フェイ。神様はね、乗り越えられる試練しか与えないのよ」
ー☆ー
ディースは奇声を上げるレインの首を刎ねようとした。
ーーゴウッ
体がふわっと浮き上がるのを感じた瞬間、背中に強い衝撃が走る。体に広がる痛みを感じながらようやく自分が建物の外まで吹き飛ばされたのだと理解した。
家は風で吹き飛ばされ爆発でもあったかのように木っ端微塵になっていた。幸いにも火は強風で掻き消され、火事になることはなかった。
「…あんた、何やってんのよ」
見上げると呆れた顔でこちらを見下ろしているマリがいた。
「今ので全身の骨が折れてんだ。すぐに立てない」
「何で仕留め損ねてんのってきいてんのよ」
頭を割と強めに叩きながら、マリは苛立ちを隠さなかった。
ディースは無言で殴られ続けた。死に際まで油断してはならないのがこの業界の常識だ。予想していませんでしたではすまされないのだ。
『ディースさん!死神が子供達を狙ってこっちに向かってます!!』
無線からロイの切羽詰まった声が聞こえた。
それから立て続けに乾いた音が響く。ロイが対蟲用の銃を撃っているのだ。早く行かなければ全滅もあり得るだろう。
「あーあ。死神様の尻拭いでもしてきますか」
マリはやれやれと首を振りながら、ロイ達がいる方へと歩き出した。ディースも鎌を杖代わりにしながらそれに続く。
「…早く行けよ」
「は?あんたそれが言える立場なわけ?」
さすがのディースでも全身を治すのに一苦労かかり、歩けるのがやっとだったがマリは傷一つないのだから走れるのだ。それでもノロノロと歩いている。
「子供達が危ないんだぞ」
マリはそれを聞くと何が面白かったのか高らかに笑い出した。
マリはディースの姿を一瞥する。
マントはボロ切れ同然になっているし、治癒が間に合わず全身傷だらけだ。さらに大鎌をついて歩く姿はなんとも路上に住む老人さながらみすぼらしかった。
「あはははは、やっぱりあんた蟲狩りに向いてないよ。今すぐやめなって」
「てめぇ…」
『ディースさん!マリさん!』
悲鳴混じりの声が無線から聞こえてきた。
「今行くわ」
マリは短く答えると、スキップしながら歌う様に言う。
「人の生き死にを気にする蟲なんて異常よね!
きっと死神様はまともじゃない!
だから力も目覚めない!
死神様はまだ蟲じゃない、でも人でもない!
貴方はただの化け物よ!」
ー☆ー
私はシャワーに打たれていた。
もう汚れなど等に落ちているのに、まだ肌にあの汚物のような男とのやり取りがこびり付いているようでやめるにやめられなかった。
ついさっきの会話がまた頭に蘇る。
「まあ、これで今週分は延期してやるよ」
男はタバコの煙を私に吐きながらそう言った。
「こん、しゅうぶん?」
「ああ、今週分。来週分もしっかりよろしくな、シスター」
ガハハと笑う男。
笑う度に醜い体がプルプルと揺れる。
私はそれを見ながら世界が遠のいていくのを感じた。何もかもが現実味を無くし、私だけ取り残されたような気がした。
私はゆっくり服を着て、そのまま男の屋敷を出た。何も考えたくはなかった。ただ教会に帰りたかった。
教会に着くなりシャワーへ向かった。
真夜中の帰宅だったので子供達はみな眠りにつき、教会の中は静かなものだった。
私は静かに泣いた。シャワーの音が声をかき消した。
そんな日々が何年も続いた。
子供達の前では気丈に振る舞うが、あの男に汚される度に自分の中の何かが死んでいくのがわかった。
そしてある日、いつも通り長いシャワーを浴びている時だった。
ふと鏡に目をやると驚いてしまった。
痩せこけ虚な目を浮かべ、身体中に痛々しい殴られてつけられた痣。
これが私なのか。あの時の先輩と同じ目をさている。死んでいるのか生きているのかわからない、あの目をしている。
ーーなんて惨めなんだろう。
枯れない涙がシャワーと一緒に流れていく。
でも子供達の、みんなの幸せのために耐えなければ。私がみんなを守るんだ。私がみんなを守るために、みんなをマモルタメニ。
カサカサになった唇を噛み締め、声にならない声で呟いた。
「なら、」
ー☆ー
「やめるっす!!」
ロイは発砲しながら叫ぶが、それはもう無意味なことだった。
かつて教会で愛を説いていた女はもういない。
そこにいるのは「空腹」に耐えかね、自分で育てた子供らを襲う蟲がいた。
逃げ惑う子供たちを1人また1人と喰っていく。
ロイも必死で子供達を守ろうとしたが、パニックになった子供達は泣き叫び、指示を飛ばしても言うことを聞かずとてもじゃないが独りで守り切れるものでもなかった。
何故2人とも来てくれないんだ。情け無い話だがロイには人を助けられる力がないのだ。ヒーローにはなりきれない。
ーーカチッ
銃が情けない音を出した。
弾切れだ。相手がニヤリと笑うのが見えた。
最後の手段がなくなったロイは子供達を抱き抱える様にして庇い、もうダメだとぎゅっと目を閉じた。
「いい加減にしな」
マリが投げナイフを死神に投げる。
彼女は振り返りながら、風でそれらを弾き返した。
「半身抉られて動いてるなんてしぶとすぎなのよ。それぐらいやられれば蟲だろうが化け物だろうが死んどきなさいよ」
マリは間を空けずナイフを投げ続ける。
どうやら、マリの寄生蟲の具現化はナイフらしい。ナイフを尽きることなく投げ続ける。
死神はジリジリと後ろへ下がるが、ナイフは掠りもしていない。
「ツヨク、ナラナキャ」
「え?」
「モット、モットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモット」
唸るような声で死神は言った。
マリはそれに対して眉をしかめる。
「それで、あんたは子供達を守りたくて強くなりたかったの?皮肉なもんねぇ、その子供達を喰って今生きているなんて」
「チガウ」
あの時つぶやいた言葉を思い返した。
『なら、私の事は誰が守ってくれるの?』
水と一緒に排水口へと流れていった言葉。
馬鹿な事を言ったと、振り払うように体を洗い流す。だが、一度思いついてしまった想いは染み付いて消えない。
それからは我慢を強いられる時は常にその言葉がよぎるようになった。
子供達は私が守る。
だけど私を守ってくれる人は誰もいない。
毎日神様に祈りを捧げるけれども、この毎日に終わりが来る事はない。救いなどないのだ。ならば、
「ワタシハ、ワタシノタメニ」
ゴウっと風が集約する音がした。
マリは避けようと集中する。
「ワタシヲマモルタメニツヨクナル!!」
凄まじい風が巻き起こり、視界が一瞬奪われる。
しまったと思い目を凝らすがそこに死神はいなかった。
辺りを見回してもいない。どこへ行ったかも皆目検討もつかない。
人のこと言えないなとマリは頭を掻き、死神探索へと足を走らせた。
ー☆ー
子供達は寝静まった。
フェイとエリンとの3人でなんとか手分けして寝かしつけるいつもの仕事が終わる。
すやすやと何も知らない寝顔に愛おしさを感じるのは変わらない。彼らを守りたいと思う気持ちも少しも変わっていない。
ただ、気づいてしまったあの日から少しずつ膨れていく感情。
ーーああ、私も誰かに守られて幸せに眠れたい。
何も考えずに布団へ潜り、明日に期待しながら眠りにつきたい。
この子達ばかり幸せになって狡い。私だってこんな幸せそうな顔で眠りにつきたい。
子供達の笑顔を見ても幸せと喜ばなくなったのはいつからだろう。さっきも言ったように彼らを守りたいと思う気持ちもたしかにある。
だけれど、あの化け物のような男との関係の足枷でもある彼らを純粋な心で愛せなくなったのも事実である。
愛くるしい寝顔にほんの少しでも嫉妬した私を、神様だってきっともう見放しているに違いない。
「建て壊し…ですか?」
そしてあの夜が来る。
あの男は何故か電話をしてきた。
突然の電話に戸惑った。何年も彼の言う通りに従順に従ってきたのに今更何を言っているのだろうと思った。
当然、私は彼の家に訪ねた。
いつものアレが欲しいのかと思いきや、あいつはこちらを見ようともせずにこう言った。
「お前に飽きた」
呆然としてる私に、もうこれ以上言う事はないと手のひらで追い払う仕草をする。
新聞を読みながらタバコを蒸す。こちらを卑下することもなく、卑下する価値もないとでもいうように。
その後は皆が想像する通りだ。
気がついたら私があいつを粉々にしていた。
刻みに刻んだ。
この世にこの化け物が一片でも残っているのが嫌で、丁寧に丁寧に最後の最後まで風ですり潰した。
私にこんな力がある事に驚いたかどうかなんてよく覚えていない。そんな些細な事どうでもよかった。
それよりもしがらみから解放された私は今までの人生で、最も幸福だった。
ーーああ、なんてことない。
誰も救ってくれないなら、私が私を救うしかないじゃないか。
私は私を救うために強くならなきゃ。
こんな自分本位な考えダメだろうか。
邪念が入り混じった願いに、神は怒りに震えるだろうか。
でも救われたいと願う事は間違っているの?
間違じゃない。
だって人はシアワセニナルタメウマレテキタンダモノ。
ー☆ー
少女から逃れ、気づけば目の前よく知る教会があった。
私は軋む扉を開け、中へと入った。
荒れ果てた教会は窓からの月明かりでうっすらと明るい。そんな中を迷わず進む。
「そっか、これは誰も知らないのね」
私は祭壇へと向かい、壁に垂れている紐を引いていく。すると、祭壇奥の壁のカーテンがあがり綺麗なステンドグラスが現れた。
月明かりを通したステンドグラスは幻想的に輝いている。
前に子供達が悪戯しようとして危なかったのでこうして普段は隠していた。
フェイがやってくる前だったからもう10年以上カーテンの後ろで隠れていたわけだ。
埃まみれで綺麗とは言い難いステンドグラスを眺めながら、私は祭壇の机に腰を下ろした。
少しずつ再生しているとはいえ、右半身は相変わらず大きく抉られている。
さっき子供達を何人か喰ったので少し頭が冷静になってはいたからわかる。
今日、私は死ぬのだ。
きっとここもすぐに見つかる。この状態でもうそんなに逃げられる気がしない。生きているのが奇跡な状態だ。
なら、最期にもう一度「彼」に会いたい。
罪を着せてしまった「彼」に。
床が軋む音に私は閉じていた瞼を開けた。
ああ、待っていたわ、愛しい私の子。
「おかえり、フェイ」
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