7匹目 サソリの毒
「今、死神が、子供の家に向かってるって、言いました?」
フェイが震える声で尋ねた。
通信は勝手に切られ、詳細は分からないがマリがこんな嘘をつくとも思えないので、きっとそうなのだろう。
「そうらしいっすね」
「そ、そんな、なんで…」
なぜよりにもよって子供の家に向かってるのかはわからないが、今はそんなこと気にしたある場合ではない。
ロイはよいしょっと気絶しているディースを背負って扉をゆっくり開く。
「どうやらサソリはどっかに行ったらしっすね。きっと人の多い所に行ったんっすね。とにかくここから出て、子供の家に向かうことを考えるっす」
ロイも悔しそうに歯を食いしばる。
きっと、サソリは人が多い所へ行って喰っている。それでも、蟲でないロイにはなす術がない。倒すためには蟲であるマリやディースの力が無いとダメなのだ。
ロイはそれ以上は話さず、ディースを背負って廊下を進む。
いくら鍛えていても自分よりも遥かに身長が高いディースを背負うのは苦労した。走れるわけもなく息を切らしながら屋敷を出ようとした。
「おい、これはどう言うことだ」
背後から声をかけられる。振り返るとまだ頭がぼっとしているのか、呆けた顔で血塗れの屋敷を見回している。
「トカゲのおっさんじゃないっすか」
ロイはふと何かを考え込むとゆっくりとディースを下ろした。
「これはお前らがやったのか?」
「トカゲのおっさん、」
ロイはファイティングポーズをとる。
「ちょっと手伝ってほしいんっすよね」
ー☆ー
「まさか、お前に投げ飛ばされるとはな」
「おっさん、最初から思ってたけど弱いっすよね」
ロイ達はフェイの案内で路地を走っていた。
ディースは今、大きなトカゲの背の上で揺られていた。
「よくそれで仕事務まったすね」
「うるせ、油断してなきゃ勝ってた」
「はいはい」
「あーくそ、何なんだお前らは」
ロイはそれに答えず、目の前でフェンスをよじ登り転げ落ちるように着地するフェイに付いて行った。
フェイは先程から一心不乱に路地裏を駆け抜けている。
子供の家ー彼の家族が住む家に「死神」が向かっていると聞いたのだから焦って当然だ。
「フェイも速いしよ、ちとは人間背負ってる俺の身にもなれよ」
フェイのどこにそんな体力があったのだろう。後ろから付いてきているトカゲは既にヘロヘロだ。さっきから横幅の細い道や、フェンス、更には人家の屋根の上を通ったりしている。流石のロイもそろそろ疲れが出て、追いかけるのがやっとだ。
しかし、その甲斐あってか普通なら1時間ぐらいかかりそうな距離を彼らはものの30分ほどでたどり着いた。
「ちょ、ちょっと待つっす!」
ひいひい言っているトカゲやロイなんぞに目もくれず、フェイは一目散に家に向かって行った。もし本当に「死神」がいるのならフェイはひとたまりも無い。
息をつく暇もないなとロイは一歩踏み出した時だった。
「そこを動かないで下さい」
夜に溶けそうな程の静かな声と共に目の前を紅い何かが横切る。
地面にその
見ると、見覚えのある紅の尻尾が地面に深々と刺さっていた。
「見つけましたよ。先程はよくも私の尻尾を切り落としてくれましたねぇ」
サソリが返り血で真っ赤になった顔に笑みを浮かべている。月明かりで照らされた尻尾は先程よりも不気味な色合いになっていた。
「タイミング悪いっすね」
ロイは数歩下がり、生唾を飲んだ。
ディースは気を失っているしマリはまだ来ない。
つまりマリが来るまではディースと子供の家の住人達、ついでにトカゲも守らなければならない。
そんなことできるか?蟲ではない、一般人の自分に。
もしかしたら「死神」はもう来るかもしれない。
そしたら2人を相手にしなければならない。
「トカゲのおっさん! ディースさんとどっかに逃げてくださいっす!」
ロイはバッグへ震える手を伸ばす。
「ここは、俺に任せるっす」
取り出したのはリボルバー式の拳銃。銃身は長く、重量も相当あるようで両手でやっと構えている状態だ。
「あらあら、貴方はあまり銃をもったことないのですか?」
震える銃口をサソリは笑いながら指差す。
「仕事柄多少の扱い方は知ってますが、構え方がなってませんねぇ。まあ、私は銃が好きじゃないんですけどね。命を奪うのが一瞬過ぎて」
そう言うと、サソリが視界から消えた。
ーーパンッ!
気がついたらサソリが背後に立って、手を叩いた。大きな音にロイは面食らってしまう。
「ほら、もし銃だったら今ので一撃でしょう!」
笑いながらそう言うと同時に尻尾でロイを薙ぎ払った。数十メートル先まで吹っ飛ばされる。骨の髄にまで響く攻撃に一瞬意識が飛ばされる。
ーー逃げたい
頭の隅でたった14年間しか生きていない弱虫な自分が泣き叫んだ。
ーー逃げたっていいじゃないか。ここは蟲に任せて、人間の俺はどこかに隠れたっていいじゃないか
サソリの紅の尻尾が視界の端に入る。
ーードカッ
何度も尻尾が振り下ろされ、どこが痛いのかさえ分からない。
ーードカッ
いつの間にか銃は手から離れていた。
ーードカッ
人よりも良い耳がサソリの楽しそうな笑い声を拾った。針は使ってこない。完全にお遊びだ。
ーートカゲのおっさんはきちんと逃げただろうか。まあ。そろそろディースさんが目覚めるから大丈夫だろう。
ふと、姉の顔がよぎった。
ーーああ、ヒーローになりたかったなぁ
警察官だった姉に憧れていた。
両親が死んでから、若いながらも女手1つで自分を育ててくれた。どんなに辛くてもその正義感で常に迷わず生きていく姉はまるで正義のヒロインのようだった。
貴方がなりたいならヒーローにだってなれるわよ。
そう言って、頭をくしゃっと撫でる姉を思い出した。
ぐっと歯を食いしばる。再び腹に目掛けて打ち下ろされた尻尾にロイはしがみついた。そして
「俺はヒーローになるんっす!!
鼓舞するように叫ぶと、がぶりとその尾に噛み付いた。そして力任せに食いちぎる。
「ッ!!このっ!!」
尻尾から振り落とされた。地面に叩きつけられるが、辛うじて受け身をとり衝撃を和げた。
「どうやら、すぐ死にたいようですねぇ!」
サソリの針がこちらに向かってくる。だが、ロイは慌てずにぺっとサソリの肉を吐き出した。
紅の血肉と混じって一緒に口から出てきたのは、小さなピン。
ーーグシャ
頭上でサソリの尻尾が粉々に飛び散った。
蟲狩りが特殊に作った手榴弾を食い千切った傷痕に埋め込んだのだ。とても小型で威力も強くない。だが、蟲の細胞を弱める薬が中に仕込まれている。
「ギャァアア」
本日2度目の尻尾の損傷にサソリは悲鳴を上げた。
しかし、威力が弱すぎた。吹き飛んだのは尻尾の3分の1程度で再生はしていないが、断面からは鋭い骨が飛び出しておりロイを殺すのに充分な機能を持っていた。
そんなことは想定内だった。
すでにロイは銃に向かって走り出していた。
銃も対蟲用に作られた特殊な物で、着弾すると体内で弾が弾ける。それにも例の薬が塗られており蟲の再生を遅らせ、重傷を負わせることができる。一発では仕留められないが、何発か当てれば人間でも蟲を仕留められるのだ。
「このガキィ」
サソリが血走った目でこちらを睨み、尻尾の先端からはみ出ている骨を向けてきた。
あとちょっとで銃に手が届くと思った瞬間、ぐらりと世界が歪んだ。脳震盪だろうか。なんとか踏ん張るがダメだ、間に合わない。
ーー貫かれるっ…
「何? この状況」
目の前が暗くなったと思ったら、聞き慣れた声が上から降ってきた。
「ま、マリさん…」
安堵の息が漏れてしまった。血痕が数カ所に残っているが、彼女に自身に傷はない。
いや、正しく言うなら傷はなかった。
今はまさに左の掌がサソリの骨によって貫かれている。それでも全く動じる様子もないマリは呆れたようにこちらを見下ろしている。
「誰です? 貴女?」
急な邪魔者にサソリは怪訝そうにしている。
骨を引き抜こうとしたが、マリが貫かれた左手でそのまま骨を掴んで離さず更に苛々を募らせた。
「ほら、立てるでしょ?」
サソリを無視してマリはロイに右手を差し伸べた。
正直足に力を入るのも難しかったが、マリの手を借りてなんとか立ち上がる。
「あんた、毒食らってんの?」
針は食らっていないがサソリの肉を食い千切った時に口から多少入ってしまったのだろう。蟲のディースですら倒れる毒だ。少量でも人間のロイには影響出たのだ。マリがわざとらしく溜息をつくと同時に体が軽くなるのを感じた。
「ほら、早くディース見つけて子供達を避難させな」
マリは手をぱっと離すと早く行けと手をひらひらさせた。
ロイは「ありがとうございます!」と大声で言うとさっきまでの怪我は全部無かったかのように軽快に走り出した。
「良い加減、離してくれませんかねぇ」
「あんたの喋り方、ウザ」
サソリは顔を引きつらせて、マリごと尻尾を乱暴に振り払う。マリも手を離し、距離を取ってナイフを構えた。
「貴女も人間ではないのでしょう?なのに、随分と傷の治りが遅いのですねぇ」
「まあ、蟲の回復力も個体差があるからね。私の自己回復力はほぼ普通の人間と変わらないわ」
マリは穴が開いたまま治りそうにない左手を煩わしそうに見つめた。手からはボタボタと血が垂れ、傷の周りは毒により青紫に変色していた。
「私の毒は普通の人間なら1分程で全身に周り体の自由が効かなくなります。貴女のその回復力なら最高でも2分程度しか保たないでしょうねぇ」
「充分よ」
マリは力強く地面を蹴り、サソリに一気に近づく。ナイフで切りつけようとするが、避けられてしまう。
「私の毒はねぇ、最初は痺れだけで次第に熱を持って痛みが現れる。その痛みは風に触れるだけでも刃物で何度も刺されるような激痛へと変わるのですよぉ。痛みで人の顔が歪む様を見るのが大好きでしてねぇ」
「おじさん、蟲になって後悔はしてないの?」
「蟲? 私のこの今のわたしのことですかねぇ。後悔なんてとんでもない」
化け物、彼女の言う「蟲」になる前は仕事で人を殺める毎日だった。人を殺すことに快楽なんて知らなかった。ただ仕事として殺していた。手際良く、証拠は残さない。組織の中でも優秀でボスにも気に入られていた。
だが、ある日、気がつくと見知らぬ男がが目の前で泣き叫んでいた。後ろには彼の家族だろうか。女と子供が同じように泣いている。
誰だろうか、そんな疑問よりも自分の血が強く脈打ち、毒でも盛られているかのような高揚感が全身へと伝わった。
何かを懇願しながらこちらを見上げるその視線には畏怖の念が込められており、まるで神にでもなった気分だった。今までだって恐怖に駆られた表情は幾度となく見て方が何故か今日はいつもと違う。
気がついてしまったのだ。
ターゲットでもない人間を、きっと今の今まで幸せで平凡な日々を送っていたであろう人間を地獄の底に顔を押し付けている。
なんと気分がいい。
今までただの殺し屋として特に何の感情にも浮かされず組織の駒として生きてきた自分は、人の上に立ちその生死を握っているのに気がついてしまったのだ。
「感謝してますよぉ。この力で私は好き勝手に人を殺せる。全ては私の思いのままです」
ボスだって命令しているが、内心怯えているのが見てわかった。うまく使っているつもりだろうが、サソリが目の前に立つと緊張しているのがよくわかった。
なんとも面白い。街1番のマフィアのボスが唯一恐怖するのが、この私だなんて。
「なるほど、『天職』だったわけね」
「天職! まさにそれですねぇ。あの日からこの高揚感が抜けないのですよぉ! 生きていることが実感できる! この力のおかげです!」
サソリはマリの左手を捻り上げた。そして、力強く傷口へと指を突き立てる。
「ほら、私にその綺麗な顔が醜くなる様を見せてください。そして私に生を媚びてください!」
「ふふっ」
耳を疑った。左手の青紫は膝にまで侵食し、そこまで毒が回っているのはたしかだ。この段階でこれだけ強く掴まれたら蟲と言えど激痛で悲鳴を上げるはず。
それなのにこの少女は笑ってみせた。見上げてくる顔も嘲るような笑みを浮かべており、混乱で彼女が左腕の関節を自身で外しても直ぐに反応できなかった。
「私も、所謂『天職』なの」
寒気がする程の笑みを浮かべる少女は流れるようにナイフをサソリの左目に突き立て、抉り出した。サソリは痛みで悲鳴を上げつつ、マリから後退りゆっくりと距離をとる。しかし、華奢な少女は外れた左腕をそのままに同じ歩幅で近づく。
「蟲になって後悔する奴も多いのよ。人を殺したくなかった、元に戻してくれって。でも私にもそう言う奴の気持ちがよくわからない」
尻尾で何度も貫こうとするが、彼女は少し避けるだけでそのまま近づいてくる。避けてると言っても、致命傷にならないようにしているだけで毒の付いた骨に頬が、右腕が、脚が切られ、傷だらけになっている。
傷から毒が入り、全身が青紫になっていた。左腕なんぞは綺麗だった肌が爛れ始めている。
「私にとって人の生も死もどうでもいい。生きることなんてつまらない私に『蟲を殺す』って意味を作ってくれたのよ」
それでも止まらない歩みに今度はジリジリと恐怖が背中から這い上がってきた。
醜く爛れても彼女の笑みは絶えない。
月明かりに照らされた彼女は人間とは程遠い、まさに
「ば、化け物っ!」
そう叫ぶと同時に冷たい何かが頬に触れた。
マリが右手で頬に触れている。毒によって熱を持つ段階をとうに過ぎ、今は死にかけているはずの人の肌と思えない程冷え切った手だ。
サソリの毒は死ぬまで痛みが止まない。どんな屈強な精神の持ち主でも最期は早く殺してくださいと懇願する。それ程の毒にも関わらず彼女は笑っている。
答えは唯一つだ。
「痛みを、感じないのか」
「ええ、そう。ただ、痛みを感じないのは生まれた時からそうなの。それが能力じゃない。私の能力はね、」
彼女が触っている左頬が急激に熱くなった。焼けるような熱は次第に顔全体から首を伝い、全身へと広がっていく。そして同時に凄まじい痛みが駆け抜けた。
「傷を触れた相手に移す能力」
目の前の少女の顔が見る見ると元に戻り、それと比例して痛みが増していく。
急激な痛みで声を上げることさえできない。
風どころか空気に触れているだけで痛い。
左腕から不気味な音がなる。関節が外れ、掌には大きな風穴が開いた。
痛みで立てるはずもなく、太陽の元に出されたミミズの如く地面でのたうち回るサソリをマリが見下ろしている。影になっていてどんな表情をしているかわからない。
「実は一番初めに毒だけを移したのだけどやっぱりあんた自身の毒だから耐性があったみたいで効かなかったみたいね。だから、毒で受けたダメージをあんたに移すことにしたのよ。
だから攻撃を避けなかったのはわざとだし、毒で私が死にかけるまであんたを殺さずにいたの」
しゃがみこんでサソリの顔を覗き込む。
その顔にもう醜い爛れは残っていなかった。
「まあ、蟲だから時間が経てば回復するだろうけどね。そうなる前に楽にしてあげる。おじさん、蟲に生まれたこと後悔するんだね」
思わず乾いた笑いが漏れた。
こんな時ですら後悔していないのだ。
全身を蝕む毒が、身体中を巡るこの毒が今でも自分に『死』という高揚感を与えてくれる。救いようがないなと、自分で呆れてしまった。
ーーザシュ
マリは最期に薄気味悪く笑う男の首を刎ねた。
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