6匹目 教会

「悪いわね、ご馳走になっちゃって」

「いえ、こちらこそ。手伝ってくれてありがとうございました」


 マリはエリンの隣に立って皿を洗うのを手伝っていた。ほかの子供達はとうに寝ており、家は夕食の時とはうってかわって静かだった。

 ロイとディースはフェイの伝手で死神の第一の殺人現場へ向かっている。

 留守番となったマリはそのまま何もしないわけにもいかないので、何かの手掛かりになるかもしれないと「子供の家」と呼ばれる死神の第一被害者の地主が経営していた教会にいた孤児達が住む家に残ることにした。


「でも、私はバーンズさんについてはあまりよく覚えてないんです。教会は殆どシスター1人で切り盛りしててバーンズさんは時たまやって来てはシスターとよく口論したぐらいしか覚えてなくて」

「口論?」

「はい。バーンズさんは金にならない教会を潰して、新しい施設を作りたかったそうです」

「そう。ちなみにそのシスターって今はどこにいるの?」


 マリの質問にエリンは手を止めた。

 しばらく水道の水が流れ落ちる音だけしか聞こえなかった。


「シスターは行方不明なんです」


 絞り出すような声にマリは黙って続きを聞くとにした。


「バーンズさんが殺されて何日も経たなかったと思います。ある朝、いつもは起こしに来てくれるシスターが来なくて。

 最初はシスターが寝坊したのかなってそれでみんなで気を使って寝かせておいてあげて、朝ごはんも自分達で作ってシスターを、驚かせようとしてたんです。

 でも、一向に起きてこないから起こしに行ったんです。そしたら、部屋に誰もいなくて。代わりに部屋が、部屋が」


 エリンはいつの間にか大粒の涙をボロボロと流していた。言葉をつまらせながらも、彼女は必死に呟いた。


「血で真っ赤に染まってたんです」


 きっと今だに脳裏にこびりついているのだろう。その瞳と手は恐怖で震えていた。


「…ごめんね、思い出させちゃって」


 マリはそっと背中に手を添えた。

 すると、エリンはびっくと体を揺らした。背中に添えられた手がとても冷たかったのだ。生き物の体温がないそれに泣くことも忘れてしまった。


「ねえ、辛いのはわかるけど、その教会の場所教えてくれない?」


 エリンの表情を見て、少し寂しそうな顔をしながらマリはそう尋ねた。


ー☆ー


「降りてきなさい」


 優しい声が聞こえてくる。ふと下をみるとこちらを笑顔で見つめてくるシスターレインがいた。

 木の上に登り、涙でぐしゃぐしゃになっていた自分にニコニコとシスターにはこちらに微笑みかけてくる。その姿に安堵を覚えつつ、恐る恐ると下に問いかける。


「もう犬はいないですか?」

「いいえ、でも降りてきてみてください」


 待ち続けるシスターにしぶしぶと木から降りることにした。すると、シスターの影で見えなかった犬が目に入り身を縮ませてしまう。


「この子は噛みませんよ。この辺で珍しい人懐っこい野良犬ちゃんです」


 シスターはよしよしと犬の頭を撫でると、犬は嬉しそうに尻尾を左右に振ったが、それを見ても触ろうという気は起きなかった。


「でも、犬の歯はあたしたちみたいな子供を食べるためにあるって言われました。あたしたちみたいな帰る家のない子供を食べるための歯だって。

 犬たちもあたしたちみたいな子供はいなくなっても誰にも気づかれないことをわかってるから、それであたしたちを狙って食べてるんだって」


 シスターは悲しそうな顔をしながら手を伸ばしてきた。そしてぎゅっと手を握った。


「そんなことありませんよ。お腹が空いてどうしようもない時は人を襲うこともあるかもしれませんが、この子はいろんな人から優しくされてご飯をもらっているので大丈夫です。

 それに貴方達がいなくなったら私が気付きます。絶対に見つかるまで探してあげます。貴方達にとっての家はこの教会です。いつだって、みんなの帰りを待っていますよ」


 シスターは微笑みながら手を離し、そっと犬を触ってみるように促した。


「さあ、撫でてみてください。とっても可愛いですよ。人の話を信じることも大事ですが、自分の目で見てそれが本当かどうかを見極めるのも大事ですよ」


 しばらく触ることを迷っていたが、決心し恐る恐る頭へと手を伸ばした。すると犬はクンクンと手をかぎ、ぺろりと舐めた。

 びっくりして手を引っ込めようとしたが犬は尻尾を振りながら近づきもっと撫でてくれと言わんばかりに目を輝かせた。

 もう一度手を伸ばし、頭を撫でると気持ちよさそうに犬はその手を受け入れた。噛むことがないとわかると夢中で撫で始めた。


「新しい友達ができましたね」


 シスターは話に聞く聖母のような微笑みでそう言った。


ー☆ー


 辺りはとっくに暗くなり、もの静かだった。

 教会は子供の家から歩いて30分程だった。緑地区を抜けはしないが、幾分中心街に近いため建物も立派なものに見えた。しかし、手入れをされずにひっそりと佇むその教会は呪われてると謳われるのもよくわかるぐらいに廃れていた。

 壊れた扉に無造作に伸びきった草木。窓ガラスは所々割れており、風が通るたびに不気味な音が聞こえた気がした。錆びた鉄の門には「立ち入り禁止」の張り紙が風に靡いていた。


「はーこりゃまた雰囲気あるわね」


 緑の斑点がついた煉瓦が更に薄気味悪く見える教会を見上げながらマリは呟いた。


「案内ありがとう。ここで待っててくれる?」


 マリはそう言いながら隣のエリンを見た。

 だが、彼女はぶんぶんと頭を振った。

 正直、得体の知れない不気味さを持つマリと一緒にいるのも気が引けたがこんな所で1人置いていかれる方がもっと怖かった。


「そう。なら、なるべく離れないようにね」


 マリはキィと叫ぶ様な音を出す門を抜け、ズカズカと教会へ入っていた。恩人だったとしても案内を断ればよかったかもしれないとエリンは思わずにはいられなかった。


 教会の中も案の定荒れ放題だった。きっと、宿無しのホームレスが暮らしていたこともあったのだろう。新聞紙と段ボールでできたスペースや食べ物のカスが落ちていた。それに異臭もする。明かりはもちろんついておらず、天井の窓から入る月明かりだけで照らされていた。


「ねえ、そのシスターって人の部屋はどこだったの?」

「右の通路の突き当たりです」


 マリは持っていた懐中電灯をつけた。

 その光を頼りに通路を突き進む。突き当たりには鍵すら付いていない質素な作りの扉があった。取手を取るとそれは何の抵抗もなく開きそして、


「うっ」


 ちらりと見えた中で当時の記憶が蘇ったのだろう。エリンは顔をしかめて逸らしている。


 血塗れの部屋を素人の手で頑張って掃除したのは伺えるが、やはり完璧に消しさすことはできなかったのだろう。

 黒いが石でできた床一面に広がっていた。


 埃くささにマリも顔をしかめるが、部屋の隅々に顔を近づけて観察し始めた。


 血跡から考えるにここで血を流した者が普通の人間ならば死んでいるはずだ。これだけ出血するには1箇所を切られと考えるよりバラバラにされたと考える方が自然。と、なれば死神の仕業である可能性が出てくるが。


「話に聞いた現場とは違うわね」


 ロイが揃えてきた僅かな情報と食い違いがあった。

 死神は部屋はその刃の跡が残ると言われているがこの部屋の壁には全くなかった。


「力の制御ができるようになって壁を傷つけないようになったのか…いや、でも最近の現場も跡が残ってるしなぁ…そうなると」


 ーーギィ


 ぶつぶつとマリは呟いていたが、ふと音のした出口へ視線をやるとさっきまでいたはずのエリンがいなかった。


「エリン?」


 返事はなかった。

 どこへ行ったのだろうと辺りを見渡すと先程まではただの壁だった廊下にぽっかりと大きな穴が開いており、見ると地下への階段が伸びていた。マリは迷いなくその階段を降りていく。

 階段の右手には蝋燭が灯っていた。懐中電灯はいらなくなったたが、代わりにナイフを構えて進む。階段を降りきると、鍵がかけられる鉄の扉があった。頑丈で中々壊れなさそうな扉は今は鍵がかかっておらず、すんなりと内側へと開いた。


「エリン?」

「ま、マリさん!」


 中は8畳ほどの小部屋だった。四方を石の壁で囲った殺風景な部屋は天井にランタンが吊るされ、明るさは十分だった。

 怪我も特にしていない少女の姿にマリはほっと息をつく。


「この部屋、初めて知りました…」


 エリンは驚いているようだった。辺りを見渡しながらぽつりと呟いた。


「教会に拘束具ね…」


 階段と反対側の壁には手錠が吊るされており、教会とは不釣り合いな監獄の様な部屋だった。

 マリはくんくんと匂いを嗅ぐ。長い間閉じていた様な湿気った感じはない。更には部屋に灯されているランタン。


 誰かが使ってた。その主はきっとー


「こんバンは」


 背後から、女の声が聞こえた。

 マリはその声に咄嗟にエリンを抱えて横に飛び退いた。


 ーーヒュゥ


 頬を風が切り、温かいものが流れた。


 狭い部屋では逃げる場所が少なく避けきれなかった。それにエリンまでいる。よく見れば頬だけでなく、腕や足まで切られていた。

 マリは頬の血を手で拭うと、振り返りナイフを構える。その顔は悪女の様な美しい笑みを湛えていた。


「なるほど、風を使って切り刻んでたのね。てことはあんたがこの街の死神さんね」


 振り返った先には修道服に身を包んだ女が立っていた。


「あなタは、ダァれ?」


 首を傾げると、女は部屋に入ってきた。

 昔はきっと綺麗だったのだろうが、長い金髪は乱れて顔には拭い忘れた汚れがついていた。女の体からは離れていてもわかるほど、血生臭い臭いがこびりついていた。


「シスター、レイン…?」


 エリンがマリの背後から出てきた。

 いくら変わり果てようが、長年一緒に暮らしてきたのですぐ分かったらしい。だが、この異質な再会にエリンは複雑な表情をしていた。


「へえ、この教会のシスターだったんだ」

「シスター…そう、だっタわね。ヒサしブりね、エリン」


 片言に女が言う。


「い、今までどこに行ってたんですか? みんな探してたんですよ? し、心配してたんですよ」


 名前を呼ばれて、想いが溢れてきたのかエリンは涙目になりながら聴いた。


「部屋の血だって…! みんな、し、シスターは死んだんだって、思って…!」

「ネぇ、みんナは元気?」

「み、みんな、げ、元気です」

「ソウ」


 女が嬉しそうに頷いた瞬間、鋭い風が吹き抜けた。マリは壁に強く叩きつけられ衝撃で頭を強く打ち付けた。


「シスター…?」

「あなタ、同じ感ジがスルわ。コロさナきゃ」


 衝撃で口が切れたらしい。鉄の味がじんわり広がる。


 ーー相性が悪いなぁ。


 マリは立ち上がりながら対策を練る。

 マリの能力は相手に触れないと意味がない。だが向こうはどうやら風を使う能力、つまり遠距離攻撃の相手とは分が悪い。間合いに入るしかないのだが、この風圧の中では難しいだろう。何よりこの狭い部屋では避けるに避けられない。


『でしゃばるなよ、死にたがり』


 ふとディースの言葉を思い出した。

 好きでこんな戦い方してるわけではないって言うのに。


 マリは真っ直ぐにシスターの元に向かう。

 シスターは少し驚いた様だが手をかざし、マリに向かって旋風が起こす。だがどうやら威力を高めるため範囲を小さくしたらしい。今回の風の範囲が狭い。姿勢を低くし風を避けた。


 直撃してたらミキサーにかけられた様にバラバラにされていただろう。風が当たった壁が大きく削り取られる音がした。だが、マリは全く怯まない。あと少しで手が届く。

 あと、一歩でー


「待って!!」


 バンッ!とマリとシスターの間にエリンが入り込む。いや、マリを突き飛ばすと言ったほうが正しいかもしれない。予想外の邪魔にマリは隙を作ってしまう。シスターは再び手をかざした、そして旋風がまた起こる。エリンの背中に向かって。


 エリンは叫び声も上げられなかった。

 マリと共に風に押し流され、壁に叩きつけられた。背中からは新しい血が脈打つ様に流れ出ており傷はとても深そうだが即死ができず、苦しそうに息をしている。


「あんたっー!」


 マリはエリンを退かして体勢を立て直そうとした。


 ーーグシャ


 不気味な音が聞こえた。

 見ると、マリの右足が風で押し潰されぐじゃぐじゃになっていた。シスターが微笑みながら近づいてきた。


「あなタを食べルマえ二、行きタイとこロがアルノ」


 シスターはエリンを片手で持ち上げると、優しい声で尋ねた。


「ネエ、みンナは今、どコにすンデいるノ?」


 そして、エリンを持っていない手で彼女の背中を徐に掴む。少女の断末魔に女は表情を変えなかった。


「みんナにアイたイの。オシえテ?」


 手を緩めたのだろう。エリンは叫ぶのをやめ、苦しそうに呼吸を続けている。


「み、どり、ちくの、なん、せいの、はじ、もくざいの、おうち」


 こんな拷問、小さい子供に耐えるのなんて無理なことだった。早く楽になりたいのだろう。自分が言ったことがどんな結果になるかもわからずに少女は即答した。


「ありガトウ」


 シスターはエリンを手放すと、今度は歩けないマリの右手を引きずり壁の手錠に繋ぐ。


「あなタは回復ノスピードがおそイケド、念のタメにココ二イテね」

「このゲス女」


 シスターはマリの言葉も、倒れて静かに息するエリンも気に留めずそのまま階段へ上がっていた。


 シスターが戻ってこないのを確認すると、マリは耳に元からつけていたイヤホンで無線を繋ぐ。


『マリさん!大変っす!ディースさんが動かなくて』

「そのバカ連れて今から『子供の家』に来なさい!」


 泣き出しそうなロイの声を遮り、マリは怒りに任せて声を張り上げた。


『な、なにがあったんすか』

「死神が出たわ!」

『ええ!?死神が『子供の家』にいるんっすか?』

「違う、今死神がそこに向かってる!きっと家の子を食うつもりよ!」


 ガタッと無線から音がした。

 きっと、フェイでも聞いているのだろう。


「で、でも今ディースさん動ける状態じゃなくて』

「そんなん知らないわよ!引きずるなりして連れてきなさい!私もすぐ向かうから!!」


 マリはそれだけいうと、無線を切る。

 そして、右手と繋がれている手錠を見上げた。


「これしかないか」


 マリは左手にナイフを持ち、ふうと息をつく。

 そして、刃を右手の手首にあてがった。

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