3匹目 子供の家


 フォーグの中心地から30分程南へ歩くと、雰囲気が変わってくる。

 煉瓦でできた壁には所々緑色のマダラ模様が目立ち、道行く人の服装は貧相になった。活気のいい声はなく、時折開いたままの窓から子供の泣き声が聞こえてくる。

 路地裏を覗けば、虚な目で何かを呟いている人が空を見上げておりその傍らには薬を吸うためのパイプが転がっていた。


 この地区はフォーグ唯一の貧困地区だ。

 街の売りでもある赤煉瓦は特殊なもので、手入れをせず風化すると色素が薄れ、カビが生える。そのカビが緑色になり、不気味なマダラ模様を作っているためこの地区は「緑地区」と呼ばれていた。


 少女はその地区の南西の端にある「子供の家」と呼ばれる家に住んでいた。赤煉瓦すら使われておらず、木材をメインで使った隙間風が寒そうな家だった。


「助けていただいてありがとうございました」


 少女の名前はエリンと言った。くたびれた服を着た彼女はニコニコと笑いながら3人にお茶を出してくれた。

 お茶も香り高いものではなく、少し薄い味がした。茶にうるさいマリが思わず顔に出していたのだろう。それを見たエリンは恥ずかしそうに俯いてしまった。


「昔、シスターが育ててたのを見よう見まねでやってみてるんですけど、やっぱりお茶って難しいですね」

「そんなことないっすよ! 美味しいっすよ!」


 ロイはマリを睨みながらわざとらしくお茶を飲み干す。


「あ、あの、この家には大人が見当たらないですけど、シスターさんがいるんっすか? 流石に子供達だけで暮らしてるわけじゃないっすよね?」

「いえ、シスターレインは昔は住んでいた教会でお世話になっていた方で、この家は普通の家です。大人はいません」

「こ、子供だけで暮らしてるんっすか?」


 エリンは今度は寂しそうな顔で頷く。

 たしか年は14だと言った。ロイと同い年の割に少し大人びている少女の苦労は想像にたやすかった。教会ならばある程度の支援があり、大人達の庇護もある。しかしそれが無いのは荒野に荷物なしで放り出されるに等しい。

 なんなら荒野の方がましかもしれない。この地区は見る限り犯罪と隣り合わせの生活で大人でも危険である。


「でも、みんなで協力してちゃんと生活できてます! 心配しないでください!」


 ぐいっと顔を近づけ、やや強い口調の少女は暗に警察などには言わないでくれと言っていた。

 たしかに警察など公共の機関に連絡すれば彼らは保護されてる。そうすれば今よりもいい生活はできるかもしれないがバラバラになる可能性も高くなるだろう。


 だが、一応こちらも公共の機関である。

 どうしたものかとロイが悩んでいると玄関の方のドアが開く音がした。賑やかな子供達の声がどっと入ってくる。


「あれ、誰ですか?」


 小さい子供1人を肩に乗せた少年が先頭に入ってきた。彼の後ろには肩車を僕も私もとせがむ子供が4人ついてきていた。右手は荷物を、左手は子供が落ちないように膝を押さえていた。

 買い物帰りなのか後ろの4人もそれぞれ荷物を持っていた。

 5人を同時に相手にしている少年は長い前髪で目が見えないが、声音からは警戒心よりも純粋に見知らぬ客人に驚いてるようだった。


「フェイ兄ちゃん帰るの早かったね! この人達はね…」


 エリンは事情を説明しながらこっちにおいでと子供達をフェイから引き取る。慣れた手つきはまるで夫婦のようだった。


「エリンがお世話になりました」


 事情を一通り聞き、フェイは笑顔で頭を下げる。

 先ほどエリンが兄ちゃんと呼んでいたのでロイよりは年上なのだろうが、背丈はそんな変わらず肉付きに至ってはロイの方が良いため頼りなく見えた。


「いえいえ、たまたま通りかかっただけっす。それよりもフェイさん達はここで子供達だけで暮らしてて大丈夫なんっすか?」

「ああ…まあ、なんとかやってます」

「そもそもなんで教会から出てきちゃったんっすか?」


 たしかにある程度の年齢になれば教会から離れなければならないかもしれないが、みなそれ程の年齢でもないだろうに。


「教会自体がなくなってしまって。それで、教会に住んでいたみんなでこの家に越してきたんです」

「教会がなくなった?」


 反応したのはマリだった。

 終始無言だったマリにエリンは少しびくりとした。路地で男達を気迫だけで追い払ったマリのことは少し怖いらしい。


「ねえ、教会はなんでなくなったの?」


 マリはそんな事など気にも留めずにフェイに尋ねる。


「教会があった土地の地主が殺されたんです。その後すぐに教会で唯一いたシスターも消えてしまって教会を管理する人が誰もいなくなってしまったんですよ」


 地主という言葉にロイもはっと顔を上げる。


「もしかして、その地主ってガスパー・バーンズっすか!? 最初の死神の犠牲者の!」

「死神? あぁ、まあ、そう言われてますね」


 死神にやけに食いついてくるのを怪訝に思ったのかフェイは歯切れが悪そうに答えた。

 マリはロイの首をぐいっと引っ張り声を潜めた。


「初めて聞いたわ、この情報」

「ガスパーって奴が手をつけてた事業が多すぎて、調べ尽くせなかったんでふよ」

「はい、言い訳しない。被害者の情報全部集めるのがあんたの仕事でしょ」


 途中で遮るようにロイの頬を親指と人差し指で挟む。


「そいつの家に行きたいんだが」


 彫刻のように微動だにしなかったディースが動いたことにまたエリスとフェイが驚く。


「えーと、実はその、今その家は別の方達が使っていて…」

「知ってる。今あの家に近づけない。なんでもいいからお前は伝手はないのか?」


 無茶な注文をするディースにマリは「あんたねぇ」と呆れていた。


「えーと…その…ないことは、ないですけど…」

「本当っすか!」


 まさかの答えにロイは食らいつく。


「教えてもいいんですけど、あなた達は一体…」

「記者なんっす。死神について調べてるんっすよ〜!」


 白々しくロイは嘘をついた。

 エリンを含め、それが嘘だと気づいていたがフェイはそれをあっさりと信じたらしく、納得して「ただ条件があります」と話し始めた。


ー☆ー


「あら、フェイいたの?」


 庭で1人で洗濯物を片していた時のことだ。

 地主の住んでいた家ー屋敷に連れて行く男2人は準備があるらしく一度自分達の宿に戻って行った。女の子、確かマリと名乗った少女は夕飯を一緒に取るために家の中で手伝ってくれている。


「アン姉ちゃんはこれから出勤?」


 そろそろ夕暮れになる。

 アンは子供の家の最年長であり、フェイはその次に年上だ。彼女は夜の街で働いており、この家の稼ぎ頭となっている。


「まあね。フェイもこれから夜勤?」

「そう。いつもの警備の仕事」

「警備の仕事も繁盛するわねー」

「まあ、最近は物騒だからね」


 人が夜道に出歩かないお陰で強盗は増加したお陰で、警備員を雇う所が多いのだ。雇い主は会社から個人宅まで様々だった。


「ふーん、今日はどこなの?」

「アリア通りのマテリア宝石店だよ」

「そしたら結構近いわね。迷子にならないように一緒に出勤する?」


 そう笑いながらアンも洗濯物の片付けを手伝う。

 畳む時に大きくシーツを靡かせると、天日干しの爽やかな匂いが2人の間に流れる。


「子供扱いしないでよ…それに今日は寄る所があるんだ」

「何にかあったの?」

「うん、事務所にちょっとね」

「ふーん」


 アンは手を止めてフェイを見据えた。


「まあ、いいけどボスにだけは逆らわないでね。ここで生きていけなくなるわよ」

「わかってるよ」

「仕事を貰えないといろいろ困るのよ、私達」

「…そうだね」


 フェイも手を止め、アンを見つめ返す。


 きっとアンは違和感に気付いているのだろう。何か余計な事をしようとしてるのに気付いている。それでも何も聞かないのは長年一緒にいるからこその信頼であったり、呆れでもある。


「ねえ、今日も仕事行くの?」

「もちろん。今日はちゃんと働くわよー!」


 アンはフェイと同じ赤茶髪をしているが、その顔はとても綺麗だ。幼さの残る桃色の瞳は大人びた表情と少しアンバランスに思えたがそれがまた人を惹きつける魅力になっていた。


 アンはフェイの腕の中に洗濯カゴを渡す。そして、フェイの頭をポンポンと撫でた。


「…ごめん、アン姉ちゃん」

「何よ、いまさら」

「だって、あの時ー」

「えい!」


 アンは徐に両手でフェイの頬を包んだ。

 俯いていたフェイの顔を無理矢理上げさせた。


「後悔するのはもうなし!みんなのために、がんばらなきゃね。もう誰も死なせない為にも」


 ー温かい

 頬を包む温かさにフェイは何か言いかけた口を閉じてしまった。

 桃色の瞳を細めて微笑む少女はいってきますと呟いて歩き始めた。


 もうすぐ、夜がやってくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る