第8話 アパート

 この街の名前はクレンポートというらしい。ポートとついているが別に港があるわけではないそうだ。そして俺が住むことになるアパートはクレンポートの北区にあるという。ちなみに、さっきまでいた場所は北側のゲートだった。

 道中にあった料理屋で夕食を二人でとり、食事を済ませてアパートに着いたところでラクレーナとは別れた。

 201号が俺の部屋だ。外階段を上り、別れ際にラクレーナから受け取った、大家に預かったという鍵で開錠する。部屋は真っ暗で一瞬戸惑ったが、よく見るとスイッチがあったので押してみると廊下の明かりが点いた。建物に補充してある魔力を消費することで明かりを点けられるらしい。これもラクレーナに聞いたことだ。

 玄関には段差があったので靴を脱いで入る。トイレとバスルームがそれぞれ別個で廊下の右手にあり、突き当たりのドアを開けるとリビングダイニングの空間が広がった。いや、リビングダイニングだなんて洒落た言い方をしたが、そして広がるだなんて表したが、狭い。まずベッドは置けないだろう。足の長いテーブルも邪魔にしかならない。

 寝るときはテーブルを片付け、飯を食うときは布団を片付け。そんな感じになるだろうな。


「あー疲れた」


 家具もなにもない空間に仰向けになり、大きく息を吐いた。なにも敷いていないフローリングは硬くて身体が痛いが、眠ろうと思えばすぐに眠れそうだ。それくらい身体に疲労が溜まっていた。


『お疲れね』

「あーまあな」

『部屋狭いわね』

「そうだな」


 正直会話できるほど脳が回らない。眠ってしまいたかった。ただある歌を思い出した。


「神田川。たしかこんな感じだったなあ」

『何よ、それ』

「そういうタイトルの歌があったんだよ」

『ふうん、どんな歌?』

「⋯⋯世代じゃないからな、歌詞はちゃんと知らない。たしか、ここみたいにせまーいアパートで暮らす男女の歌だ。『若かったあの頃、何も怖いものはなかった。ただ、貴方の優しさが怖かった』って。その歌詞だけは印象に残ってる」

『優しさが怖い、ね。いい歌じゃない。私もたまに同じこと思うときがあるわ』

「へえ、どんなとき?」

『親友にお金借りるとき。私ギャンブルの才能があってそれで生計を立てたり立てなかったりしてるんだけど、あるとき負けに負けちゃって、悔しかったんだけど種金が底を尽きたのよ。あ、普段はそんなことなくてトータルでは勝ってるのよ? でまあリベンジしようにもできないから親友のとこにお金を借りに行ったのよ。絶対返すから、倍にして返すから、勝てたら今までの分も返せるから、つってね。そのとき親友はこう言うわけよ、頑張ってね、返済はいつでもいいよって。何の裏もなさそうな純粋な笑顔なのよ。それがね、怖かったわ。なんであんな風に笑えるんだろう。なんでいつもいつも、返って来ないのにお金を貸してくれるんだろう。怖くて震えるときがあるわ』

「俺はお前が怖いよ」


 サリーの話しはともかく、今の俺は一寸先は闇の貧乏人だ。それは金銭面だけじゃなく知識やら気構えやらにおいてもだ。

 未知だから怖い。けどだからこそ楽しめる。向こうにいたままじゃ、しがらみとかルーティンからは絶対に抜け出せないでいただろう。否応なしに異世界に来たからこそ未知に挑める。挑むことこそを日常に据えられる。そこを考えれば、俺は恵まれた人間なのかもしれない。

 明日から俺は頑張る。頑張らざるを得ない。


「俺もう寝るわ」

『そ。⋯⋯おやすみ』


 サリーの声が妙に優しい気がした。

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