第242話 会場への長い道

 


 ☆



 締結式とそれに続くパーティーは、『ローレントの夜風亭』の本館裏側にあるホールで行われる。


 本館前にも当然立派な車寄せがあるのだが、さすが王都第一の宿だけあって、裏のホール前にも立派な車寄せがあり、参加者はそちらに馬車をまわすことになっていた。


 ただまあ、キャパには限界があるわけで––––




「ん? なんで停まるんだ?」


 父親(ゴウツーク)が首を傾げる。


 会場に着いていないにも関わらず、馬車が速度を落とし、やがて停まってしまったのだ。


 俺は御者席に通じる小窓を開けた。


「どうかしたか?」


「申し訳ございません、お客様。会場の車寄せが混み合っておりまして、順番待ちをしております」


「は?」


 その言葉に小窓から前方を覗き見ると、たしかに路肩に何台もの馬車が並んでいる。


「おいおい……。一体、何人に声をかけたんだ、あの伯爵は?」


 思わず額に手をやる。


 テルナ川水運協定は、ローレンティア王国東部のローカルな協定だ。


 今日の締結式も、参加者はてっきり協定を結ぶ各領の領主とその親戚、有力商会くらいのものだと思っていたが…………どうやらフリード卿は相当広い範囲に招待状を出したらしい。




「このままだと遅刻しますね」


「何っ?!」


 俺の言葉に目を剥くゴウツーク。


「遅刻とは……儂らの分の土産はどうなるんだ! せっかく急いで支度して出てきたというのにっ!!」


 ––––ガクッ


 そっちかよ!?


「そうよ! 私の分のお菓子はどうなるの?!」


 にわかに焦り始める母親(タカリナ)。


 ちなみに俺は、土産がお菓子だとは言っていない。


 実は土産はエステル謹製のジャムとハーブティー、それに各領の特産品の詰め合わせなのだが、まあがっかりする人はいないはずだ。


 両親には「先着順」と言ってあるけれど、人数分は用意してあるはず。


 伯爵から用意するよう言われた数があまりに多かったので不思議に思っていたが、これだけ大々的に人を呼んでるなら、さもありなん、というところだな。




 閑話休題(それはともかく)。


 両親には、もうちょっとだけ騙されていてもらおう。


 ダルクバルトは今日の締結式の主役の一領だ。

 遅刻なんてしたら信用に関わる。


「父上、母上。急ぎますので会場のホールではなく本館に馬車をつけますが、構いませんか?」


「「もちろんだ(よ)!」」


 俺の言葉に、頷く両親。


 俺は言質をとると、再び小窓から御者に声をかけた。


「本館前に馬車をまわしてくれ。急ぐぞ」




 ☆




 数分後。


「ふう、ふう、ふう––––」


「はっ、ひっ、ふう––––」


 広大な中庭をすたすたと歩く俺の後ろから、二匹の豚がぜえぜえ言いながら追いかけてきていた。


「父上、母上! 早く行かないと、土産がなくなりますよ!!」


「まっ、ちょっ、待っ––––」


「ふっ、ひっ、ふう––––」


 息も絶え絶えといった感じで巨体を揺らして歩く二体のオーク。


 普段運動など全くしない二人だ。

 その二人がよく頑張ってついて来ている。

 いや、むしろ『土産への執念、恐るべし』というところか。


 本館の玄関を入り、建屋を通り抜け、中庭へ。

 広大な中庭を抜けた先の正面が、会場のホールである。


 ホール前の車寄せには次々と馬車がやって来て、大混雑していた。

 あのまま車列に並んでいたら、確実に遅刻していただろう。


 俺は、ふう、と息を吐くと––––


「さあ、あと少しです。もうちょっとだけ頑張りましょう!」


「「はぁ、ひぃ、ふぅっ……」」


 両親に鞭を入れたのだった。




 ☆




「それじゃあ、時間になったら呼びに来ますので、それまで休んでいて下さい」


「はひぃ––」

「ふひぃ––」


 ヘトヘトでバテバテになった両親をうち専用の控え室にぶち込んだ俺は、鏡の前でさっと身だしなみを整えると、皆が集まっているであろう関係者向けの談話室へと向かった。


 本当は父親だけでも引きずって行きたいところだが、さすがにアレではまともに挨拶もできないだろう。


 調印式までに復活してくれることを祈りながら、せめて俺だけでも各領の領主たちに挨拶すべく、俺は足を早めたのだった。




 ☆




 関係者用の談話室は、談話室と言いながら、ちょっとした小ホールほどの広さがある。


 俺が扉を開けて中に入ると、部屋には既に協定に参加する各領主家の人間が何人も集まっており、挨拶を交わしていた。


「ええと……、まずは伯爵を探すか」


 各家に挨拶するにしても、親父を置いてきてしまった以上、誰かに紹介してもらわなければならない。


 そうして俺がフリード伯爵を探そうとキョロキョロと部屋を見回していると––––


「遅いわよ」


 手厳しい言葉をかけてきた奴がいた。


 言うまでもない。

 エリスである。


「こっちも色々大変だったんだよ!」


 言い返す俺に、エリスは、ふっ、と笑う。


「でもまあ、相手を考えれば『よく間に合った』と言うべきかしらね。––––男爵と夫人、両方とも連れて来れたの?」


「ああ、なんとかな。二人とも控え室で汗まみれで転がってるよ」


 そう言うと、エリスは「ふふ」と笑った。


「まあ、いいわ。それより、お姫さまがお待ちかねよ」


「?」


 首を傾げる俺に、海賊伯の娘は体をずらし、後ろを振り返った。


 そこに立っていたのは––––


「エステル」


 俺は彼女の名前を呼んだ。


「あの……お帰りなさい。ボルマンさま」


 そう言って、恥ずかしそうにもじもじとこちらを見る婚約者。


 今日の彼女は、淡い青色のドレス姿だ。

 髪は一部が編み込まれ、青いリボンで結えてある。


 半日かけて準備しただけあって、なんというか、その…………かわいい。


 ––––いや、尊い!!


「あ、ああ。ただいま、エステル」


 思わずどぎまぎしていると、エリスが死角から脇腹をどついてくる。


「ぐっ! なにしやがる?!」


「彼女に何か言うことがあるんじゃないの?」


「っ……。えーと、その…………」


 俺はしばし躊躇したあと––––思いきって婚約者の耳元に顔を寄せた。


「いつもの君も素敵だけど、今日はあまりに眩くて、君の姿をまともに見られないよ、エステル」


 俺の言葉に、首元から上がみるみる赤くなってゆく婚約者。


 そんな彼女は、ちら、と俺を見上げて、同じように耳元で囁いた。


「ボルマンさまの正装姿も、凛々しくて素敵です」


 そうして顔を離すと、二人して顔を真っ赤にしたのだった。




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