第176話 文句のつけようのない婚約者 後編

 

 肩を震わせながら自らを責めるカエデ。

 そんな彼女を前に、俺はどうしたらいいか分からずうろたえる。


 彼女の独白は続いた。


「今回もそうです。自分の不用意な行いのせいでエステル様を危険に晒してしまった。なのに私は、お嬢様を助けだすどころか人質にとられ敵に利用される始末。結局、エステル様共々あなたに助けられました」


 カエデは俺を見た。


 その瞳は涙で濡れ、いつもの気丈さはかけらもない。

 触れれば崩れ落ちてしまうんじゃないかという儚さで、彼女はそれを口にする。


「わかっているんです。最早私は禍(わざわい)を呼び込む疫病神でしかない。私が近くにいる限り、いつまたエステル様に帝国の魔の手が伸びるか。無能で疫病神の私はここにいるべきではないのでしょう。––––だけど、私は…………」


 カエデは、強く唇を噛んだ。


 エステルのご母堂亡き後、彼女のことを見守り続けたカエデ。

 ある意味でカエデは、エステルを守り、導く、母代わりであり、姉代わりだった。

 だからこそエステルは逆境に歪むことなく、人のことを思いやれるあんなにも素敵な女の子になったんだ。


 エステルをそんな風に導いたカエデが、無能な疫病神であるはずがない。




「君は無能でも、疫病神でもないよ」


 俺の言葉に、カエデはわずかに顔を上げた。


「エステルのことを軽んじ、無視する者ばかりのミエハルの屋敷で、君だけがエステルの味方であり、盾であり、教師だった。彼女があんなに素敵な子に育ったのは、君のおかげだろう」


 カエデは涙を湛えた目で、俺を見た。


「でも、私のせいで––––」


「テルナ湖の石碑の件は、俺にも責任がある。あの遺跡が、帝国が絡む事件の鍵であることを俺は知ってたんだ。『デートだ』とか浮かれてエステルと君を連れて行ったこと自体が、そもそもまずかったと思ってる。それに––––」


 俺は自分の左のわき腹をさすった。


「化け物になったラムズに殺されかけた俺を救ったのは、エステルの神祀りの術だ。彼女に力の使い方を教えたのは君だろう。……というか、俺は君自身にも直接治癒してもらってたな。狂化した犬にやられた時だ」


 そう言って苦笑すると、カエデは苦しそうに言葉を絞り出した。


「だからといって、帝国に目をつけられた私がこれ以上エステル様の側にいる訳にはいきません。あの方を危険に晒したくないんです。––––近いうちに私は、お屋敷を出ようと思ってます」


 彼女は俺の目をまっすぐ見据えてそう言った。

 決意を秘めた悲しい瞳。

 そんな彼女に俺は––––


「それは困るな。非常に困る」


 即答した。




「え?」


 目を見開くカエデ。

 どうやら俺の返事が意外だったらしい。


「遺跡があるダルクバルトが帝国に目をつけられているのは以前からだし、それは今回の事件を機に一層進むはずだ。今さら君がいようがいまいが、あまり関係ないよ」


「し、しかし……」


「今後うちは、ティナとその父親も匿いながら、密かに帝国に対抗していくことになる。守るものが増えるのに、エステルを護る君にいなくなられちゃ困るんだ。それに––––」


 俺は少し考え、再び口を開いた。


「君には、ティナにも修行をつけてもらいたいと思ってる。神祀りのね」


「!」


 カエデは、はっとした顔をした。


「彼女はペンダントを持つことで遺跡の『鍵』になる訳だが、これは君と同じく生まれながらにユグナリアの巫女の素質を持っているということでもある。俺は彼女にもその力を伸ばして欲しいと思ってるんだ。せめて自分の身を守れるくらいにはね」


 俺の言葉に、カエデは口に指を当てて考え始める。


「…………」


 そして、顔を上げた。

 その瞳の涙は、すでに乾きかけている。


「どうだろう。神祀りの巫女として、そして二人の姉代わりとして、エステルとティナの二人を導いてやってくれないだろうか? ––––もし君が二人を導いてくれるなら、俺と仲間が君の力となり、君を守る盾になろう」


 俺の言葉に、息をのむカエデ。

 そして、


「やっぱり、私はあなたのことが嫌いです」


 彼女は続けた。


「人たらしで、ハッタリ屋で、賢しくて……。でもふたを開けてみれば、あなたほど信じられる人はエステル様のほかにいないんですよね」


 そう言って、笑った。

 その笑顔は年相応の少女のもの。


 彼女はその場に薙刀を置いて正座すると、膝の上で両手を揃えて深々と頭を下げた。


「これまで、失礼な態度をとって申し訳ありませんでした。どうかこれからも、よろしくお願い致します」


 俺も慌てて彼女と同じように正座し、頭を下げる。


「こちらこそ、今後ともよろしく頼むよ」


 水天の広間で、正座で向かいあった二人。

 顔をあげた俺たちは、そのおかしな光景に互いに苦笑したのだった。








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