第144話 ユグトリア・ノーツ④

 

 なんとも言えない気持ち悪さを感じていた。


 知らず知らずのうちに思考を誘導されるような、そんな気持ち悪さ。

 昔ハマっていたゲームが、『ユグトリア・ノーツ』が、今はどこか異様なもののように感じてしまう。


 視線を下ろせば、今しがたテーブルに打ちつけたこぶしが、小刻みに震えていた。


 ––––落ち着け、ボルマン。


 そう言い聞かせるが、効果はない。


 いよいよどうしようかと思ったとき、震える右手にひんやりとしたものが触れた。


 彼女の手のひらだった。


「ボルマンさま」


 両手できゅっと握られる。

 しかし、それでも震えは止まらない。


 するとエステルは、歌うように詠唱を始めた。


「『精霊たちよ。創世の精霊ユグナリアよ。その力を以って恐れる者の心に安寧をもたらせ』」


 彼女の両手に青白い光が宿る。

 温かい力が、互いの手を通して循環する。


 心のざわめきが収まっていき……気がつけば手の震えも収まっていた。


「ありがとう」


 俺の言葉にエステルは、


「はい」


 と応えて微笑んだ。




「エステルのその術は、カエデの『カンマツリ』と同じものなのかしら?」


 声の主に視線を向けると、エリスは目を細めてじっと俺たちの手元を見つめていた。


 慌てて手を引っ込めるエステル。

 顔を赤くしてモジモジしているところを見ると、単に恥ずかしかったらしい。

 可愛い。


 そんな彼女に代わって口を開いたのは、カエデさんだった。


「……仰る通りです。エステル様がご自身で身を守るすべとして、私がお嬢様に『神祀り』の術法をお教えしました。…………このことは、どうかご内密にお願いできないでしょうか?」


 切実に訴えるカエデ。


 神祀りはオルリス教国家では禁術に該当する。習得と使用は王国法で厳しく禁じられ、公になればエステルもカエデも処罰は免れない。


 そんな彼女にエリスは、


「可愛い妹のことだもの。言いふらしたりしないわ」


 心外とばかりに眉をひそめた。

 彼女は言葉を続ける。


「それにこの国じゃオルリスだなんだと言ってるけど、うちは元々『海の民』なのよ。航海関係の習慣や願掛けには海の精霊への祈りがあるし、取引先には非オルリス教国も多い。一応オルリス教の洗礼を受けてはいるけれど、実際はまともな信者じゃないから心配は無用よ」


 ぴしゃり、と言いきるエリス。

 彼女はそのままの勢いで、カエデに問いかけた。


「その上で訊くけど、あなた達が信仰する『ユグナリア』って何なの? なぜ、あなたは遺跡の封印を解くことができたのよ。あそこで浮かんでる謎生物は邪神復活の『鍵』の一つみたいだけど、なんで『ユグナリア』のことをママって呼んでるのかしら」




 エリスが投げかけた疑問。

 実はそれは俺の疑問でもある。


 今まではエステル救出で手いっぱいで考える余裕もなかったが、今回の事件を振り返ると疑問がいくつも湧いてくる。


 遺跡とユグナリアの関係。

 ユグナリアとひだりちゃんの関係。

 なぜ、ひだりちゃんは遺跡の奥に封印されていたのか。

 ゲーム内では邪神復活の『鍵』の一つとして描かれていたが、あれは何だったのか。


 ユグナリア関係だけじゃない。

 帝国側にしてもそうだ。


 ラムズが操った狂化ゴブリン。

 なぜ狂化してるはずの魔物を、人間であるラムズが操れたのか。

 そしてそのラムズ自身の『変身』。

 最初の奴は、まるで自らを狂化したように瞳を金色に光らせていた。

 そこから奴は、文字通り人外に『変身』する。

 金色の粒子を操り、こちらの生命力を奪いながら封術と変形した腕や尾で攻撃する化け物。

 あれは一体、なんだったのか?

 それまでは有効だったエリスの封術が効かず、苦戦を強いられた。


 そういえば、あの時––––




「わかりません」


 一瞬、思索の海に沈んでいた意識は、カエデの声で引き戻された。


「私たちにとってのユグナリアは、この世界を創造した最古の精霊であり、すべての生命に力を与える母なる存在です」


 彼女はエリスを見据える。


「なぜ、あの神殿が私たちの故郷の社(やしろ)と同じ霊的構造を持っていたのか。そしてひだりちゃん様が、なぜユグナリアを『母』と呼ばれているのか。その2つのご質問について、私は答えを持っておりません」


 毅然として答えるその姿に、俺は初めて彼女が皇女なのだと納得した。


「……っ」


 その言葉と雰囲気に、返す言葉を失うエリス。

 本物の皇女の言葉に、珍しく気圧されているようだった。


 カエデはさらに言葉を続ける。


「一つだけ言えることがあるとすれば…………先ほどエリス様は、ひだりちゃん様のことを『邪神復活の鍵』と仰いました。ですが私が見る限り、彼女からは邪(よこしま)な気配は感じません。むしろ彼女の言葉の通り、大精霊ユグナリアの清浄な気配を強く感じるのです。……邪神と関わりがあるというのは、何かの間違いではありませんか?」


 そう言って、エリスから俺に視線を移すカエデ。


 今の問いは、ユグトリア・ノーツのストーリーを語った俺に向けられたものか。


 俺は目を閉じ、頭の中で彼女の言葉を反芻する。


 ひだりちゃん。

 大精霊ユグナリアの気配。

 邪神復活の鍵。


 ––––やはり、そこにたどり着くのか。


 俺は先程から自分の一番深いところに抱えていた疑念を、ゲーム『ユグトリア・ノーツ』で絶対悪として語られていたその名前を、口にした。


「…………『邪神ユーグナ』」








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