第114話 囚われの姫君

 

 あの狂化ゴブリンに抱えられていることに気づいたわたしは、一瞬悲鳴をあげそうになり、それを必死で抑えました。


「…………」


 幸いなことに目の前の魔物はわたしが起きたことに気づかず、どっしりした歩みのまま進んでいきます。


 現実感のない光景。


 ––––これは、夢?

 それにしてはあまりにはっきりした感触と温度。


 いまだぼんやりした意識の中、わたしは何があったのか思い出そうと記憶を探りました。


 森の探索。

 狂化ゴブリンとの遭遇。

 フリード伯爵に救援を求めに出立されるボルマンさま。

 その帰りを心待ちにして過ごす日々。

 夕刻にもたらされたボルマンさま帰還の先触れの連絡。


 そして…………眠りの中、突然顔に押しつけられた布と、鼻をつく強いにおい。




(わたしは……さらわれたのですね)


 その答えにたどり着いたわたしは、しばし茫然としました。


 カエデは、どうなったのでしょう?


 いつも隣の部屋で控えてくれている彼女が、異変に気づかないはずがありません。

 わたしをさらった者たちは、彼女さえも出し抜いた、ということでしょうか?


 エリス姉さまは?

 お屋敷のみんなは?

 まさか、皆、ゴブリンに……?


 よくない想像がふくらみ、不安が一気に押し寄せてきます。


「…………っ」


 ボルマンさま……。


 思わずその名前を呟きそうになり、口まで出かかった声を飲み込みました。


 ボルマンさまは翌朝にお戻りになる、ということでした。

 わたしがさらわれたとき、あたりはまだ暗闇に包まれていました。

 で、あれば、きっとこの襲撃には巻き込まれていないはずです。


 その推測が、わたしを勇気づけました。


(大丈夫。だいじょうぶ。わたしはまだ生きています。きっとみんなも……)


 そう自分に言い聞かせ、少しでも周りの様子を知ろうと目だけを動かします。


 そして、


「…………(え?)」


 わたしは、目に入ってきた光景に息を呑みました。




 ゴブリンに抱えられながら見上げた天井。

 その先に、水がありました。


 ––––いえ。

 正確に言えば、天井はなく、ただ水があったのです。

 それはまるで、水の中から水面を見上げているような……。


 ゆっくりとゆらぐ光の帯。

 群れをなして泳ぐ小さな魚たち。


 これは、夢なのでしょうか?

 一瞬頭をよぎるその可能性を、目の前の魔物という現実が否定します。


 その時、前の方からギギギーーという、何かが軋むような音が響いてきました。


 そして、男性の声。


「やれやれ。またガーゴイルですか。芸がないことです。これなら先ほどのサーベルタイガーの方が『生きて』いる分やっかいでしたよ」


 シャインッ


 剣を抜く音。


 わたしは少しずつ体をひねり、なんとか前を見ようとがんばります。




「……っ!!」


 水と光によって作られた半球状の広間。

 そこには、複数の人と魔物たちがいました。


 先頭に立っているのは、見覚えのある二人の男性。

 彼らは、かたや剣を構え、かたやこぶしを突き出して構えています。


 そんな彼らを宙から襲う、巨大な二羽の魔鳥。


 そして……何かを抱えたもう一体の狂化ゴブリン。

 抱えられたものを見たわたしは、再び叫びそうになりました。


(カエデ……っ!?)


 後ろ手に縛られた両手、両脚。

 彼女の全身を包むように覆う、無数の金色の粒子。

 その中で、カエデは苦しそうにもがいています。


 わたしは脚を拘束されていないだけ、まだましかもしれません。


 直立したまま動かない狂化ゴブリン。

 その目を盗んで、わたしはこっそりカエデに視線を送りました。


(––––!)


 やがて、互いの視線が重なります。

 カエデは、はっとした顔でわたしを見ながら、口だけをパクパクと動かしました。


(お・け・が・は・あ・り・ま・せ・ん・か・?)


 彼女がそう言っているように見え、わたしは頷きました。

 カエデはホッとした顔をすると、ちら、と前で戦う二人の男性を見て、また口をパクパクしました。


(ね・た・ふ・り・を)


 わたしは再び頷きました。




 戦闘は、長くは続きませんでした。


 魔物が吐き出す火炎は封術師が作り出した見えない盾によってことごとく防がれ、大柄な戦士の剣が魔物の首を切り落としました。


「っ!?」


 驚いたことに、魔物はその動きを止めると、瞬く間に石になり、砂になり、崩れ落ちました。


 ガーゴイル。


 それは神話に出てくる動く鳥の石像の名前。

 男が口にしたその名の通り、首を落とされた魔物は石に戻り、砂となってしまいました。


「さて。またまた貴女の出番ですよ」


 ガーゴイルを倒したあと、正面の巨大な扉を調べていた眼鏡の男性が振り返り、カエデに声をかけました。


 わたしの記憶がまちがっていなければ、彼は……オルリス教会の遺跡調査部を名乗り、ボルマンさまのところに挨拶に来ていたはずです。


 たしか、テルナ湖の伝承を調査している、と。


 ここにきてわたしは、自分がどこに連れて来られているのか理解しました。


(水の遺跡……)


 たしかボルマンさまは、そう仰っていました。


 ボルマンさまとふたりで見た湖。

 湖の底の神殿。

 今わたしたちは、そこにいるのでは?


 わたしがそんなことを考えている間に、カエデはゴブリンによって床に下ろされ、扉の前に立たされていました。


「私の薙刀(なぎなた)を」


 カエデの言葉に、彼女の薙刀を持っていた剣士が近づき、扉の前に薙刀をかざします。


 カエデは後ろ手を縛られたまま、神祀りの句を唱えました。


 薙刀の刃の先端に青い光が灯り、その光に共鳴するように、扉––––正確には、扉に描かれた何かの紋章。女性の顔のように見えます––––が青い光を放ち、やがて大扉はゆっくりと手前に開いていきます。


(なぜ、神祀りの句で扉が開くのでしょうか?)


 そういえば、湖の中に神殿が見えた時も、カエデが石に刻まれた秘文字を読んでいました。


 カエデが使う神祀りは、カエデの国で言う『創生のユグナリア』と精霊に祈り、その力を借りて行使する術です。


 その句で扉が開くということは……やはりこの『水の遺跡』はユグナリアを祀った神殿なのでしょうか?


「さあ、いよいよ神殿です。さっさと行きましょう。時間は有限ですよ」


 眼鏡の男が宣言するようにそう言いました。




 目の前の光景に、わたしは言葉を失っていました。


 水に包まれた白亜の神殿。

 滝のように頭上の湖から屋根に注ぎ落ちる水は壁を伝い、流れ落ちた水は建物を囲う水路に流れこんでいます。


 それはまるで、神話の世界。


 その美しい世界に土足で踏み込むのは、二人の男と二体の狂化ゴブリン、そしてわたしたち。


(できることなら、ボルマンさまと一緒に来たかった……)


 そう思うと、涙がこぼれ落ちました。

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