第113話 脅迫
エステル様を攫った者たちが残したメッセージ。
秋津洲(あきつしま)の文字で書かれたそれは、明らかに皇国の出である私に向けて書かれたものでした。
皇国は遥か西方の島国です。
まして十年も前に交易関係が途絶えたこの国で、秋津洲の言葉や文字を解す者はほとんどいないでしょう。
つまり賊は私に『一人でテルナ湖に来い』と言っている。
私はみじんの迷いもなく、屋敷を飛び出しました。
月と星の微かな光の下、私は街道を疾駆します。
ユグナリアの守護下。
神祀りにより風たちの助力を受けた私は、早駆けする馬をも上回る速さで宙を駆けます。
ダルクバルトの関係者にこのことを報せる、という選択肢はありませんでした。
確かにボルマン様と仲間の方々は、この半年ほどの間に目を見張る成長をされています。
そこらの兵士よりもよほど強くなっていると言っていいでしょう。
ですが、まだまだです。
一緒に戦えば私の足を引っ張ります。
まして賊は、結界を破り私を出し抜くほどの相手。
彼らに配慮して戦う余裕はありません。
それに賊はおそらく、私の皇女としての力を狙ってきています。
直接私に手を出さず、わざわざエステル様を攫った上で呼び出すなどという手の込んだことをしたのは、私に言うことをきかせるためでしょう。
もし事件の原因が異教徒の私だということが明らかになれば、この国でのお嬢様の立場がどうなるか……。
脳裏に浮かぶのは、エステル様の笑顔。
この件は、なんとしても私一人で解決しなければ。
そう心に刻みます。
––––テナ村、森の入口。
小さな木製の門をくぐりテルナ湖に至る小道に足を踏み入れた私を、二つの異変が襲いました。
突然、背後に感じる力の気配。
振り返ると、門を境に金色の光の壁が出現していました。
「結界、ですか」
用意周到。
私が森に立ち入るのを、何らかの方法で監視していた、ということでしょう。
さらに結界の壁を前に足を止めた私に、畳み掛けるように襲ってくるあの嫌な感覚。
ユグナリアの守護を妨げる、禍々しい力。
身体が急に重くなります。
「……神祀りも封じてきましたか」
予想していたことではありました。
ですがいざそれが現実となると…………。
拙速。準備不足。そんな言葉が頭をよぎりました。
私は軽く頭を振り、前を向きます。
「どうあれ、急がねばなりません」
そう自分に言い聞かせ、再び歩き始めました。
この追跡劇で、私はいくつかミスを犯していました。
いつもなら気配を消し誰にも気づかれず移動するところを、複数の村人に見られてしまったのです。
トーサ村で一人。
テナ村で二人。
自分自身、お嬢様を攫われて焦り、注意散漫になっていたことは否定できません。
すでに空が白み日が昇り始めていたので、見られるリスクは覚悟していましたが、よりペントに近いトーサ村で目撃されたのは失態でした。
私の目撃情報が伝われば、あの少年が動かない訳がありせん。
そして彼らが来れば、事態は悪化するでしょう。
急がなければ。
私は不快な気配の発信源に向け、歩く速度を上げました。
まっすぐ伸びていた小道の途中で左の脇道に入り、少し進んだところに、彼らはいました。
「いやあ、お待ちしておりましたよ!」
小さな祠の前に立つ、見覚えのある二人組。
左に立っている眼鏡の中年男が、胡散臭い笑みを浮かべそんな言葉を吐きました。
学者のような風体のその男とは、ひと月ほど前にエチゴールの屋敷で顔を合わせています。
そしてその隣に立つ、剣と革鎧で武装した屈強な男とも……。
「オルリス教会の……」
「ラムズとジクサーです。またお会いしましたね、『皇女殿下』」
やはり、彼らは私の正体を知っていた。
エチゴールの屋敷にボルマン様を訪ねて来た本当の目的は、直接私の姿を確認することだったのでしょう。
おそらく、私とエステル様のことを事前に調べた上で。
「……エステル様はどこです?」
私の問いにラムズと名乗る男は片頬を上げ、にやりと笑いました。
「なるほど。今の状態では『これ』が分かりませんか」
ラムズが懐から赤く光る魔石を取り出し、二言三言何かを呟くと、目の前で異変が起こりました。
ぐにゃりと歪む視界の一部。
犯人たちのすぐ右あたりの空間が歪みーーそこから浮き出るように、何かが姿を現します。
「これは……」
今やはっきりとした輪郭となった二つの人型。
間違いありません。
数日前に私たちが戦った、あの狂化ゴブリンたちです。
さらに二体のうち一体は、両腕で何かを抱きかかえています。
よくよく見るとそれは、寝巻き姿の少女。
可哀想に両手を枷で拘束され、薬か封術かで眠らされているようです。
「エステル様っ!!!!」
私は即座に薙刀を小脇に抱えて地面を蹴り、一直線にお嬢様のもとへ––––
「ふんっ!!」
キンッ!!
刹那の打ち合い。
微動だにしない狂化ゴブリン。
私とお嬢様の間に割って入ったのは、武装した男、ジクサーでした。
「動かないでもらおうか」
最小限の動きで私の薙刀と打ち合った剣先は、エステル様の首に触れる寸前でピタリと止められていました。
「……っ」
ゆっくり後ずさる私を見て、剣士はすっ、と剣を引き、そのまま気を失っているお嬢様の首に刃を当てます。
「動くな、と言ったが?」
感情の籠らない目で私を見つめながら、淡々と脅してくる剣士。
かなりの手練れです。
あの速さ、あの動きを見る限り、神祀りを封じられた今の状態では、一対一で打ち合って勝てるかどうか……。
ましてや相手は二人と一匹。さらにお嬢様まで人質に取られています。
「とりあえずその物騒な武器(モノ)を捨てて頂けますかね。そのままじゃあ話もできませんよ」
眼鏡の男は、余裕をたっぷり見せつけるように薄ら笑いを顔に貼りつけ、そう言いました。
「…………っ」
私は明らかな不利を悟り、薙刀を地面に投げ捨てました。
「お嬢様には手を出さないで下さい」
「ええ。ええ。もちろんです。貴女(あなた)が私たちに協力して下さる限り、このお嬢さんには危害は加えませんよ」
全く信用ならない口ぶりで頷くラムズ。
「あなた方の指示に従います。ですからお嬢様は今ここで解放を––––」
「それはできませんな!」
突然の大声。
ラムズは私の言葉を遮ると、こちらを睨みながら早口で喋り始めました。
「貴女(あなた)にはいくつかご協力頂きたいことがありましてね。一々躊躇われては困るのですよ。時間は有限です。我々としては一連の作業を速やかに進めたい。そのためには貴女のスムーズかつ全力での協力が必要だ。このお嬢さんが我々の手にある限り、貴女は躊躇いなく仕事をして下さるでしょう。ですから貴女の『お仕事』が終わるまで、彼女には我々に同行して頂かないとね!」
突然イライラしたようにまくし立てた彼は、神経質そうに頰をピクピクと痙攣させると、ポケットから布のようなものを取り出して口に当て、大きく吸い込みます。
「失礼……」
二、三度それを繰り返すと、ラムズは落ち着きを取り戻したようで、再び澄ました顔でこちらを向きました。
「さあ、仕事の時間です。迅速に、速やかに、作業を進めていきましょう」
《?》
––––重い。
ずっしりとした重い眠気が、身体を包んでいます。
その眠気はまるで何かの呪いのようにわたしの心を支配し、身体の自由を奪っていました。
「…………」
どんよりした眠気に抗い、頭痛に堪えながら頑張ること数回。
ようやく瞼を開くことができました。
ぼんやりと感じる、微かな光。
しばらくして視覚が戻ってくる頃。
自分が何者かに抱きかかえられ、揺られていることに気づきました。
視界がクリアになり、目に飛び込んでくる何かの顔の形。
「––––!!!!」
それを見て、自分を運んでいるものの正体を理解しました。
(狂化ゴブリン???!!!)
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