第106話 もう一つの緊急事態

 

 クリストフの報告で脳裏に浮かんだのは、少し前にうちに挨拶にきたオルリス教会の史跡調査部を名乗る二人組のことだった。

 確か奴らは「テナ村の伝承を調査する」と言っていた。


 ダルクバルトは辺境の地だ。

 テナ村はそのダルクバルトのさらに端で、王国最南東の村になる。

 よそ者が密かに入り込むのはまず不可能。

 だが領主に断って堂々と入り込めば、波風は立たない。ましてや史跡調査と言い張れば、誰も疑わないだろう。


「すぐにテナ村に向かうぞ!」


 部屋を後にしようとする俺の腕を、エリスが捕まえる。


「ちょっと! 『あいつら』って誰よ!?」


「オルリス教会本庁の史跡調査部を名乗る二人組だ。テナ村の伝承を調査しに来たと言っていた」


「ちょっと待って」


「なんだ?」


 正直、居ても立っても居られない。


「それって、私達がここに越して来た日に挨拶に来た連中のこと?」


 エリスの言葉に、背筋が凍った。




「––––それ、間違いないか?」


「え? なにが? 質問してるのは私なんだけど?!」


 顔を顰め、語気も荒く俺に問うエリス。

 俺は彼女に向き直った。


「俺が言っている二人は、お前が言ってる連中のことだ。それより、あいつらが訪ねて来た日が、お前たちがダルクバルトに来た日と同じ、というのは確かか?」


 本来、俺自身が覚えていてしかるべきだが、絶対そうだと言い切れる自信がない。


 エリスは顎に手を当て一瞬考えると、こちらに視線を戻した。


「––––間違いないわ。私には直接関係なさそうだったし早く荷ほどきをしたかったから、同席しなかったのよ」


 彼女の言葉に、俺は片手で自分の顔を覆った。


「くそっ! なんで気づかなかった?! エステル達が来たその日に挨拶に来るなんて、出来すぎてるじゃないか!!!!」


 傍らの柱を、拳骨で殴る。

 自分の間抜けさに反吐がでる。


「どういうこと?」


「奴らは、エステルとカエデさんがあの日ダルクバルトに到着することを知っていて挨拶に来た。つまり用があったのは俺じゃなくて、エステル達だったんだ」


「一体、何の用事よ?」


「分からん!」


 そう叫んで、俺はあの時の会談のことを思い出そうとした。


 自己紹介をして、自分たちの目的の話をして、教会を建てたいという話もあったか。

 そして––––


「……そういえばあいつら、エステルのことは何も訊かなかったけど、カエデさんの出身地のことは訊いてきたな。アキツ国の名前まで出して。––––まさか、わざわざエステルの同席を求めたのは、それを確認するためか?」


「え?」


 不審そうに眉を顰めるエリス。


「あいつらが本当に用があるのは、カエデさんかもしれん」


「なんでカエデが?」


 強力な禁術を使う、アキツ国の皇女。

 もし、奴らの目的がカエデさんだとしたら?


「ひょっとしてエステルはそのために……カエデさんに言うことをきかせるために確保した人質か?」


 嫌な汗が背中を伝う。

 もし奴らが目的を果たしたら……待っているのは、恐らく口封じ。


「くそっ!!」


 俺は部屋を飛び出した。




「ちょっと、待ちなさいよ!」


「待たん!!」


 そんな言い合いをしながらエステルの屋敷を飛び出すと、そこには見慣れた三つの顔があった。


「坊ちゃん?」


 突然屋敷から飛び出してきた俺たちに、ジャイルズが戸惑いながら声をかけてきた。


「エステルを助けに行く。行き先はテナ村だ。すぐに出るぞ!!」


「おう!」「わ、分かりました!」「分かったわ」


 頷く子分ズ。


「ボルマン様」


 その時、後ろから追いついてきたクロウニーが声をかけてきた。


「なんだ?」


「すぐに馬を用意させます。ボルマン様は旦那様にご報告を」


「……分かった。五分で片付ける」




 豚父(ゴウツーク)への報告は、三分で終わった。


 明日にはフリード領から援軍が到着すること。

 援軍の費用は、被害結果と動員の実費のみで話をつけたこと。

 エステル奪還のため、テナ村に向かうこと。


 その三つだけを報告して、有無を言わさず了解させた。

 ゴウツークは、援軍費用が安くついてホッとした顔をしていた。あとは生返事だ。


 クソめ。エステルのことはどうでもいいのか?

 分かってはいたが、腹が立つ!


 父親の書斎から退室し、玄関ホールに用意された旅装を身につけて外に出る。


 と、屋敷の車寄せの前に皆が集まり、何事か揉めていた。

 馬に乗って来たと思しき一人の領兵を、皆が取り囲んでいる。いつもの大声で彼に問いかけているのは、師匠だった。


「どうしたクリストフ?!」


 俺の声に領兵隊長が振り返る。

 ––どうしたんだ。先ほどまでよりさらに深刻な顔をしているが。


 そのクリストフは俺のところにやって来ると、とんでもないことを報告した。


「ボルマン様、緊急事態です。オフェル村が狂化ゴブリンどもの襲撃を受けておるようです」




「はあ?!」


 俺が訊き返すと、クリストフは続けた。


「先ほどセントルナ北東の森を監視しておった二人の兵が、狂化ゴブリンが森から大挙して出てくるのを確認しました。ゴブリンどもはオフェル村方面に向けて移動を開始。兵の一人はここへ報告に。一人はオフェル村に避難指示を出しに向かいました」


 嘘だろ?

 なんでこのタイミングで?!


「……村の防備と避難はどうなってる?」


「この三日で、村を囲む堀と簡易の柵を設置。緊急時には村の東にある狭間の森に避難するよう、村をあげて訓練を行ってきました。二つの森と村の距離、ゴブリンどもの移動速度を考えれば、住人の避難に問題はないと思われます」


 狭間の森にも魔物はいる。

 が、ちょっと訓練すれば子供でも倒せる低レベルの敵ばかりだ。

 確かに、避難するには悪くないかもしれない。


「村に領兵は何人いる?」


「八名です」


「今すぐここから出撃できる兵は?」


「八名です」


「仮に俺たち五人を含めたとして、合計二十一名で、あのゴブリンどもを相手どれると思うか?」


「……やらねば、なりますまい。例え全滅したとしても」


 クリストフの眼は笑っていない。

 つまり、本気だ。


「詰んだな」


 俺は空を仰いだ。


 ––––その時だった。




 パカラッ パカラッ


 馬を駆けさせる音が門の方から聞こえてきて、やがて二騎の騎兵が姿を現した。


 先行する一騎は、我がダルクバルトの領兵。

 そしてもう一騎は……


「ケイマン? あなた、ケイマンじゃない! どうしたのよ?」


 エリスが声をあげた相手は、フリード領騎士団の若手騎士で盗賊事件の時にお世話になった、あのイケメン騎士だった。


 二人は馬の速度を落として俺たちの近くまで来ると、馬から降り、俺に向かって片ひざをついた。


 うちの領兵が、口を開く。


「ボルマン様。フリード領より援軍が到着致しました。皆様にはペント北門にてお待ち頂いておりますが、代表して騎士ケイマン殿をご案内致しました」


 続いてケイマンが口上を述べる。


「ボルマン准男爵閣下。フリード騎士団が騎士、ケイマンでございます。––お待たせ致しました。我が中隊の本隊はまだ移動中ではありますが、先行して私をはじめとした一個小隊三十五名がペントに到着致しました。我々はすぐにも動ける状態です。ぜひご指示を賜りたく」


 一個小隊三十五名!!

 うちの領兵隊と合わせれば、一・五個小隊五十一名になる。


 予想されるゴブリンの数は、二十〜三十匹。

 これなら、数的に有利な条件で戦える!!


「二人とも、立ってくれ。……よく来てくれたな、ケイマン」


「は! 聞けば、現在、貴領の村が魔物の襲撃を受けているとか。我が小隊はいつでも行けますよ!」


 やべ。

 涙が出てきた。


 俺は目をこするふりをして涙を拭い、クリストフに問うた。


「フリード兵と合わせて五十名だ。いけるか?」


「必ずや、我が領の脅威を排除してまいりますぞ! ……ですから坊ちゃんは、安心して行ってきて下され」


「すまないな、クリストフ」


「なに。惚れた女を助けるのは、男にとって何よりも大切なことですからな。後悔なきよう精一杯やってこられよ」


 俺は力強く頷いた。




 ––––数分後。


 俺たち……俺とエリスと子分たち三人は、ペントの南門から飛び出した。


 ここから南下してトーサ村で東に転進。

 目指すは、テナ村だ。


「さすがに、偶然じゃないだろうな」


 エステルが拐われ、カエデさんが行方不明になった直後の、狂化ゴブリンの襲撃。

 偶然でなければ、どういうことなのか。


 テナ村まではどんなに飛ばしても二時間以上かかる。その間に、せめて頭だけでも働かせよう。



 ––––待ってろエステル。

 必ず君を、助け出す。


 俺は心の中で呟いた。

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