第94話 尾行

 

 二体の魔物が歩き去ったあと、俺たちは草むらを出て道まで戻り、話し合っていた。


「あれは、オークではありませんな」


 我が剣の師匠、クリストフが思案げに言った。


「目が金色に光ってたが……狂化個体だと思うか?」


 俺の問いに、スタニエフが口を開く。


「外見だけ見れば、そう見えましたが……」


「外見だけ、か」


「はい。異常に発達した体躯。金色に光る瞳。それだけ見れば、おそらくゴブリンの狂化個体です。ですが、それにしては行動が……」


「『おかしくない』のが、おかしい?」


「はい」


 スタニエフが頷いたところで、ジャイルズが不満げに手をあげた。


「おーい、スタニエフ。分かるように説明してくれー」


 その場にいたうちの面々が、皆、微妙な表情でジャイルズを見た。


 脳筋に突き刺さる、仲間たちの残念そうな視線。


「な、なんだよ……」


 カレーナが、ぽん、ぽん、とジャイルズの肩を叩いた。


「なあ、ジャイルズ」


「なんだよ」


「たまには頭使わないと、脳みその筋肉も衰えるぞ」


「そうなのか?」


 ぶっーーー。

 思わず噴き出した。


「ジャイルズ……」


「なんだよ、坊ちゃん?」


「そもそも脳みそは筋肉じゃ…………いや、なんでもない。ーースタニエフ、何がおかしいか説明してくれ」


「はい」


 頷いたスタニエフは、ジャイルズにも分かるようにかみ砕いて説明する。


 狂化した個体の身体的特徴。体躯の異常発達と金色に光る目。

 そして行動の特徴。群れからの離脱。酩酊状態。


「つまりあれが狂化個体なら『二体で巡回』なんて統率がとれたことをするはずがないんです。見た目は『狂化』しているのに、行動は狂っているように見えない。それがおかしいんですよ」


 スタニエフの解説で、ジャイルズはやっと納得がいったようだった。




「……歓談中、悪いんだけどさ」


 その時、カレーナが口を開いた。

 皆が彼女の顔を見る。


「あいつら、引き返して来るよ」


「「「え?!」」」


 背すじに冷たいものを感じた。


「見つかったのか?」


「いや。普通に歩いて戻って来てるから、見つかった訳じゃないと思うけど……」


 その言葉に、俺は思案する。


 こちらを見つけた訳でもないのに、引き返して来る狂化ゴブリン。

 つまり、奴らの巡回ルートの折り返し地点がそのあたりということか。


 森に入って一時間足らず。

 辺りはまだ明るい。

 おそらく日が傾き始めるまで、まだ一時間はあるだろう。

 当初の計画通りに進めるなら、第二段階である『行動範囲と数の把握』に移行するところだが……。


「クリストフ、どう思う?」


「作戦を第二段階に移行、ですな」


 師匠は即答し、言い切った。


「敵は少数でこちらに気づかず、あとを尾行(つけ)る我々は森の入口を背にできる。日を改めて出直しても、今以上に優位にことを進められるとは限らんですからな」


 なるほど。

 確かに、その通りだ。


「よし。では散開、潜伏して敵をやり過ごした後にあとをつけるぞ」


 皆が頷く。


「ーー各員、散開!」


 クリストフの号令で、再び俺たちは茂みに隠れたのだった。




 ーー二十分後。

 俺たちは尾行を続けていた。


 まあ尾行と言っても、カレーナの気配探知を利用して視界外から追いかけているという点で、普通に思い浮かべるそれとは少しばかり趣(おもむき)が異なるんだけど。


 ちょっと前に、俺たちは狩人の道から右手に伸びていた横道に入り、一段と細くなったけもの道を進んでいる。

 すでに二列で歩くのもギリギリだ。


 俺たちはそんな道を、狂化ゴブリンから五十メートルほどの距離をとりながら歩いていた。


「彼らの集落は森の奥深くにあるのですね」


 となりを歩くエステルが、小声で話しかけて来た。


「そうだね。森の浅いところには猟師が入ってくるし、ある程度奥まったところにあるのは分からないではないんだけど……」


「?」


 くい、と首をかしげるエステル。


「さすがにそろそろ見えてきてもいいんじゃないかと思うんだ。小鬼(ゴブリン)は人間の街や村の近くまでやってきて、家畜や畑の農作物を奪ってゆく。であれば、あまり奥まったところに集落を作ることもないんじゃないか、と」


「あ……たしかにその通りですね。ーー簡単には見つからない。けれどあまり距離は離れておらず、盗んだものを簡単に持ち帰ることができる。そんな場所に集落を設けているのでは、ということですね?」


 さすがエステルさん。理解が速い。


「ご明察。……僕の勝手な想像だけどね」


「いえ、さすがはボルマンさまです。同じ情報を持ちながら、わたしは全く思い至りもしませんでした」


 にこ、と笑うエステル。

 可愛い。


 うちの婚約者(フィアンセ)は賢くて可愛い。

 まさに才色兼備だ。


 そうして和んでいた時だった。


「ーーちょっと止まってくれ」


 後方のカレーナが声をあげた。




「どうした?」


 振り返って尋ねると、カレーナは目を閉じ、何やら集中し始めた。


「……一、二…………ん?」


 皆が足を止め、彼女を待つ。


 わずかな間の後カレーナは目を開け、そして何やら考え始めた。


「んーーーー?」


「……どうした?」


 俺の問いに、カレーナは首を傾げながら口を開く。


「この先に、今まで追っかけてたのとは違う気配が二つあったんだ」


「ほう。つまり狂化ゴブリンは四体になった、と」


「ああ。だけど四匹とも合流したら、さらに奥に歩いて行っちゃったみたいなんだよね」


「こちらの存在を相手に知られた可能性は?」


「動きにおかしなところはなかったから、たぶん大丈夫だと思うけど」


「ふむ…………」


 俺はちょっと考え、師匠の方を見た。


「どうする? クリストフ」


「微妙なところですな。おそらくこの先に、ゴブリンの集落なり拠点なりがあるんでしょうがーー」


「ーー危険、か」


「ええ。ですがさらに先に進まないと、奴らの情報が得られないのも確かですな」


「ふむ…………」


 俺は思案した。


 今まで得られた情報は、三つ。


 魔物はおそらく狂化ゴブリンだということ。

 そしてそれらは、少なくとも四体以上いること。

 あと、魔物の拠点に続く途中までの道のり。


 ーーちょっと少ないか。

 せっかくここまで来たのだから、せめて全体像が分かる情報を集めておきたい。


「追跡を続けよう」


「承知しましたぞ!」


 俺の言葉に、クリストフが頷いた。




 そのまま進んだ俺たちは、まもなくちょっとだけ開けた場所に出た。

 郊外にある一軒家の敷地くらいの広さだろうか。


 おそらく追いかけていた二体が、新たな二体と合流したところだろう。


 ここでクリストフが俺に進言してきた。


「坊ちゃん。ここから先は少人数を先行させて偵察したく思います。領兵にお任せ下さいませんか?」


「ーー魔物の拠点はすぐそこ、ということか?」


「はい。カンですが」


 俺はしばし考え、決断した。


「分かった。俺たちは待機しよう。斥候を出してくれ」


「承知しました」


 クリストフは、自身を含め四名の領兵を選抜すると、森の奥に入って行った。


 その間、俺たちはお留守番だ。

 領兵が持って来た毛布を地面に広げて女性陣に座ってもらうと、男連中も思い思いに腰を下ろした。




「疲れてない?」


 エステルの前に座って声をかけると、彼女はしっかりした微笑みを返してくれた。


「わたしは大丈夫です。こう見えても、森に入っての訓練も頑張っていたんですよ」


 そう言って笑うエステルの長い髪を、森の風が揺らす。

 こうしていると、森の妖精だ。


「わたしは大丈夫なんですけど……。あの……」


 そう言って隣を気にかけるエステル。

 そこにいるのは、疲れた顔で足をさするエリスだった。


 俺は腰の布袋の中からひとつの粒を取り出すと、ぐったりしている伯爵令嬢に差し出した。


「ほれ。これでも使っとけ」


「…………なによ、これ?」


 俺の手のひらの上のものを怪訝な顔で見つめるエリス。


「アップルキャンディ。治癒薬だから疲れはあまり取れないが、足の痛みくらいなら取れるだろ」


「ーーいらないわ」


 意外な断りの言葉。

 なんでやねん。


「遠慮することないんだぞ? 痛いんだろ、足が」


 俺の言葉に、さらに不機嫌そうな顔をするエリス。


「他の皆が使ってないのに、私だけ使うなんて……。たかが足の痛みくらいで、必要ないわ」


「その痛みのせいで、肝心な時に封術の詠唱をミスされたら元も子もないんだ。遠慮せず使っておけ」


「でも……」


「エリス姉さま」


 俺に言い返そうとしたエリスに、エステルが優しく話しかけた。


「姉さまが良い状態でおられることは、わたしたちのパーティーにとって大切なことなんです。姉さまの封術次第でそれこそ全員が生死を分けることになるかもしれません。ですから……」


 エステルは俺の手の上のアップルキャンディをつまむとエリスの両足に軽く押し付けていった。


「あ……」


 両足がキラキラと輝きを放ち、みるみる赤みが引いてゆく。


 笑顔のエステル。

 複雑な顔のエリス。

 苦笑する俺。


 さあっ、と風が吹いた。




 その時、一人のメイドが立ち上がった。

 彼女はエステルの傍らにやって来ると、片ひざをついた。


「お嬢様、大変申し訳ありません」


「カエデ……何かありましたか?」


 不安そうに尋ねるエステル。

 カエデさんはすっ、と顔を上げた。


「私としたことが、油断致しました。ーーご準備下さい。囲まれつつあります」


「え……?」


 戸惑いの視線をこちらに投げるエステル。

 一瞬見つめあい、俺はうちの索敵役の方を向いた。


「カレーナ、気配探知を!」


「やってるよっ!」


 苛立たしげに叫び返すカレーナ。


「やってるけど、これは…………」


 カレーナは茫然として固まっている。


「どうした?」


 彼女のところに歩いていき、ひざをついてその顔を覗き込む。


 カレーナは探知を続けていた。


「…………。

 クリストフたちが引き返して来る。

 …………。

 ーー走ってる。

 ……………………。

 ーーーー追われてる!!」




 俺はふらふらと立ち上がった。


 カレーナは『クリストフたちが追われて引き返してきてる』と言っている。


 カエデさんは『俺たちが囲まれてる』と言っている。


 俺は一体、どうしたらいい????

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