第93話 …………オーク?


 領都ペントを出発して数刻。

 俺たちはセントルナ北東の森の前で馬を降り、パンと干し肉で手早く腹ごしらえをしていた。


「こんなランチになってごめん」


 隣にちょこんと腰かけ、パンを食べているエステルにそう声をかけると、彼女はにっこりと微笑んだ。


「クルシタ領で討伐の訓練に出ていた時には、雨に降られてもっとひどい状態で食事をしたこともありますから。……それにボルマンさまと一緒なら、わたしはどんなランチでも幸せです」


「エステル……」


 彼女の頰が朱い。

 多分、俺も。


 そんな良い雰囲気を、パン、パン、と手を打つ音がぶち壊す。


「はいはい。お熱いのは二人きりの時にやりなさい」


 犯人は、もちろんエリスだ。


「私もエステルと食事してる時が一番幸せよ」


 そう言ってエステルを抱き寄せるエリス。


「エリス姉さま……」


 顔を真っ赤にするエステル。


「もう、可愛いわねえ!」


 楽しそうに頬ずりするエリスを見ながら、俺は小さくため息を吐いた。




 そうして食事をした後、俺たちはセントルナ北東の森に入っていく小道の入口に集合した。

 この小道は、狩人が森に入る際に使う道だそうだ。


 並んでいる者の内訳は、領兵が八名、俺たちが七名。合計十五名。

 結構な大所帯だ。


 ちなみに我が領の領兵は、総勢で三十名ほどしかいない。

 通常、各村に三、四名ずつが配置され、残りはうちの敷地にある領兵隊本部に詰めている。

 さらに今は豚父の護衛で五名が領外に出ていた。


 今回の調査は、ペントに残る領兵の過半数を投入する、我が領にとってかなり大掛かりなものだ。

 あらゆる意味で、絶対に失敗することはできない。




 前に立った師匠、クリストフが皆に探索の方針を説明する。


「さて。これから森に入るわけだが、今日の第一目標は、目撃されたオークが本当にいるかどうかの確認だ。あくまで偵察が目的だから、なるべく敵に見つからぬよう静かに行動するように」


 この方針は、移動中に俺とクリストフで話し合って決めたものだ。

 正確な状況が分からない状態で、無理な戦闘は避けたい。


「第一の目標が速やかに達成された場合、即ち日が傾く前にオークが確認された場合、目標を第二段階に引き上げる。第二の目標は、オークの行動範囲と数の確認だ。この時も潜伏と観察に重点を置き、こちらからむやみに攻撃を仕掛けることは避けるように。もちろん、やむを得ない場合は交戦を認める」


 知りたいことは、どのくらいの数の敵がいて、どのくらいの広さのナワバリを持っているのか。


 この二つの情報は、討伐の規模と方法、期間を検討するのに必要となる。


「日が傾き始めたら、速やかに撤収する。迷子になった奴は置いていくからな。隊列からはぐれないように気をつけろ」


 クリストフはそう指示をすると、予め打ち合わせていたように隊列を組み換える。


 二列縦隊で、領兵は俺たちの前に六、後ろに二。


 間に挟まれた俺たちは、先頭にジャイルズ、次に俺とエステル、以下、エリスとカエデさん、最後尾にカレーナとスタニエフという順で隊列を組んだ。


「さて。鬼が出るか蛇が出るか……」


 そんなことを呟くと、前を行くジャイルズからつっこみが入った。


「出るのは豚鬼(オーク)だろ」


 ごもっとも。


 こうして俺たちは、静かに森に入っていった。




 森に入ってしばらくは、平和なハイキングが続いていた。


 現れるのは、見慣れた大ハゲワシやポイズンスカンクくらい。

 前を行く領兵たちがなんなく仕留めてしまう為、俺たちはほとんどやることがない。


「平和だな」


 前を歩くジャイルズがつまらなさそうにぼやいた。


「見間違いなら、それにこしたことはないさ」


「まあ、そうなんですけど……」


「ヒマなら、お前もカレーナみたいに気配探知の練習をしてみたらどうだ?」


「げ……」


 俺の提案に『迂闊なことを言った』という顔をするジャイルズ。


 カレーナは森に入ってからずっと気配探知を続けていて、実際にザコ敵が姿を現す前に警報を出してくれている。


 彼女には、今日は封術より気配探知を優先するよう頼んでいた。


「気配探知のレベルが高ければ、奇襲を防げたり、背後からの攻撃も察知できるから、戦う上でも有利になるぞ」


 実は最近、俺自身も気配を探る訓練をしていて、まだレベル1ではあるけれど、なんとか気配探知を修得していた。


 そのおかげか、最近は戦う時のカンが鋭くなった気がする。


「……ま、まあ、気が向いたらな」


 まったく。

 こいつは騎士への憧れがある割に、楽な方に流される。


 俺は、ぽんぽん、とジャイルズの肩を叩いた。


「とりあえず、やっとけ。これ、命令な」


「ぐへぇ。そりゃないぜ坊っちゃん」


 デカい方の子分は、情けない顔をしてため息を吐く。


 隣のエステルが、ふふ、と笑った。

 そういえば彼女自身も、カエデさんから何やら宿題を出されていたな。




 最初に異変に気づいたのは、きっとカエデさんだ。


「お嬢様。……『おります』」


 小声でエステルにそう伝えたのを、俺は聞き逃さなかった。


「全員、止まれ」


 俺の言葉に、前を歩いていたクリストフが先頭の兵に声をかけ、間もなく全員が足を止めた。


「ボルマン様。どうかしましたか?」


 クリストフの問いに、俺は、しぃ、と人差し指を口に当てる。


「カレーナ。怪しい気配はないか?」


「ちょっと待って」


 目を閉じ、耳をすますカレーナ。

 隣のエステルも同じように静かに目を閉じて集中している。


 しばらくの間、沈黙と木々のざわめき、鳥の声があたりを支配した。


 そして––––


「……………………いる。一体……。いや、二体」


 カレーナが口を開くのと同時にエステルも顔を上げ、きっ、と前方を見据えた。


「こっちに向かって歩いてる。戦わないなら、早く隠れた方がいい」


 カレーナの進言に頷き、全員に告げる。


「散開する。道から距離を取り、茂みや木の陰に隠れろ。敵に一人でも見つかったら、その時点で戦闘に入る。……それでいいか、クリストフ?」


「は。では、全員散開っ」


 いつもと打って変わってクリストフが静かに号令をかけると、領兵たちは、さっ、と散らばって行った。


「俺たちも散開するぞ。ジャイルズはエリス、スタニエフはカレーナを守れ。エステルは俺と一緒に」


 皆、緊張した面持ちで頷く。

 カエデさんは、いざという時にエステルを助けられる位置どりをするだろう。立場もあるから指示は出せない。


「ヤバそうなら逃げろ。無理はするな。いいな?」


 全員が頷く。


「それじゃあ、散開」


 こうして俺たちは、近づくオークを待ち構えることになった。




(なんだあれは?)


 それが最初の印象だった。


 俺だけじゃない。

 隣のエステルも、おそらく他の仲間たちもそう思ったに違いない。


 散開し、草むらに隠れて数分後。

 俺たちの目の前を、二体の魔物が通り過ぎようとしていた。


 群れの偵察役なのだろうか。

 ややねこ背気味の二つの個体は、肩を並べて歩く。

 遠目に見れば、それはオークに見えなくもない。


 二メートルを超えるだろう緑の巨体。

 粗末な石斧を握った、筋肉ではちきれんばかりの太い腕。


 だがひとつ、俺が知る豚頭(オーク)とは大きな違いがあった。


 長く前に伸びたかぎ鼻。

 天に突き出した長い両耳。


 つまり、豚頭ではなかったのだ。

 そして、爛々と金色に輝く二つの目。


 あれは、オークというより……


「狂化ゴブリン?」


 俺は思わず呟いた。

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