第92話 乖離

 

 領内で目撃された数体のオーク。


 クリストフからその報告を受けた瞬間、冷たい悪寒に襲われた。


「…………オークが出た?」


 全身をめぐる嫌な感覚と戦いながら、必死で記憶の引き出しを探る。


 現世の記憶じゃない。

 前世の、ユグトリア・ノーツのゲームの記憶。


 オークはレベル23前後のモンスターだ。

 二足歩行し、巨体を利用して大斧を振るう豚頭の化け物。

 俺(リトルオーク)のあだ名の由来となった魔物でもある。


 オークと最初にエンカウントするのは、ローレンティア王国南西部にある『魔女の棲家』という森で、主人公一行は王都で発生する、とあるクエストをきっかけにその森に足を運ぶことになる。


 ゲーム序盤の最後、誘拐された幼なじみを取り返す中で戦う敵だ。




 目撃情報によれば、そのオークが我が領に少なくとも数体いるという。


 レベル23という駆け出し騎士やベテラン冒険者に匹敵する魔物が領内にいるというのは、それだけで十分な脅威だ。


 が、話はそこにとどまらない。


 その数体が何者かに人為的に連れて来られたものでなければ、そこにはオークの集落ができている、ということだ。


 仮に集落に数十体のオークがいたとして、それらが一斉に街や村を襲えば、相当な被害は免れないだろう。


「…………」


 だがそれは、悪寒の原因じゃない。


 確かにオークへの対処は深刻で困難な問題だが、状況が確認できればやりようはある。


 冒険者ギルドに依頼を出したり、最悪、国や他領に支援を要請する手もあるし。

 ……まぁ、費用や借りはすごいことになってしまうけれど。




 不気味なのはーーーー。

 ユグトリア・ノーツのゲームでは、ダルクバルト領にオークなど出現しなかった、ということだ。


 つまり、ゲームと現実の乖離。


 目撃情報にあったセントルナ山は、ダルクバルト領の中心に位置する小高い山で、麓には四方に森が広がっている。


 覚えている限り、ゲームのフィールドマップでもそれは忠実に表現されていた。


 ダンジョンではないものの『森』の中では大ハゲワシやポイズンスカンクなど、レベル10前後のやや強い魔物が出現し、ゴブリンを卒業した主人公たちの次の狩場となっている。


 そしてもちろん、レベル20超えのオークなど出現しない。


 思い返してみるとこの世界は、ゲーム『ユグトリア・ノーツ』と非常によく似た世界でありながら、いくつかの異なる点を抱えている。


『魔石』、『狂化』、そして今回のオーク。


 これは一体、何を意味しているんだろうか?




「……っちゃん! ボルマン様!」


「ぅえっ?」


 思考の海に沈んでいた俺の意識は、目の前のガチムチオヤジの声によって、こちらに引き戻された。


「我々はこれから、セントルナ北東の森に状況確認に行ってまいります! ついては許可を頂きたく」


 ああ、そういえば親父は昨日からテンコーサで開かれる会合に出かけてるんだったか。


 最近は豚父からいくらか信頼されているらしく、俺は父親の留守中『仮の領主代行』なるものに任じられていた。


 ……まあ、そうなるよう使用人たちに協力してもらったんだけどね。

 今回みたいに、何があるか分かんないし。


「分かった。許可する。ーーあと、俺たちも同行しようと思うんだが」


 仲間の意見を聞こうと振り返ると、背後でクリストフが声をあげた。


「なっ……。そ、それは危険です!!」


 珍しく、必死で諌めようとするクリストフ。


「坊っちゃんと皆様は強くおなりですが、それでもまだオークと相対するのは少々無理がありますぞ!」


「分かってるさ。ただ俺としては、現状を自分の目で確認しておきたいんだ。セントルナ北西の森には日常的に討伐に入っている。北東の森も出てくる魔物は同じだろ?」


「ですが、オークが……」


「一体ならなんとかなる。複数出たらとっとと逃げるさ。それにお前たちの後ろをついて行くんだから、俺たちが戦うことにはならないだろ?」


 俺の言葉に、クリストフは困り顔で言い返してくる。


「まあそれはそうですが。何があるか、何が起こるか、分からんのですぞ?」


「そうだな」


 確かに危険はある。

 だからこそ俺は、仲間の意見を聞きたかった。




「さて諸君、聞いた通りだ。どう思う?」


 俺の言葉に真っ先に返事をしたのは、やはりというか、ジャイルズだった。


「俺はいいぜ。噂に聞くオークってやつを一度見てみたいし」


 うん。

 今日も平常運転だな。


 そう思っていると、意外な人物がそれに同調した。


「私も構わないわ。行くなら、行きましょう」


 エリスである。


「ーー意外だな。興味のないことには深入りしたくないのかと思ってたけど」


 そんなことを呟いた俺に、彼女は腕組みをして涼しげな顔でこう言い放った。


「研究の一環よ。私の封術がどこまで魔物に通用するのか、知りたいもの」


 ああ、そういうことね。




「それじゃ、私も賛成にしとく。偵察と情報収集が目的なら『隠密』のスキルを持ってる私がいた方がいいでしょ?」


 カレーナも、ふふん、という顔で賛成してくれた。


 確かに彼女の『隠密』は魔物にも有効だ。

 自らの気配を消すだけじゃなく、離れたところから相手の気配を察知することもできる。


 だが……。


「ーー危険だぞ? 前に頼んだ時と違って、今回は相手が高レベルの魔物だ。命の危険が……」


 言いかけた俺に、カレーナがズビシ、と指を突きつけてきた。


「だから、あんたが私の盾になって」


「え?」


「私が敵が近づくのを教えてあげる。その代わりあんたは盾になって、私を守るの」


 ふん、と不機嫌そうに俺を睨みながら、そんなことを言うカレーナ。


 ……ん?

 心なしか顔が赤い気がするが。

 なんか怒らせること言ったかな。


「まぁ、俺とジャイルズは前衛だしな。俺たちとスタニエフで、お前たちの退路は確保するよ」


 そう答えると、カレーナはなぜか一層不機嫌そうに顔をしかめると、そっぽを向いた。


「えっと……。俺、何か変なこと言ったか?」


「…………別に」


 なんなんだ、一体???




「それで、エステルはーー」


「わたしも参ります」


 即答だった。


「いや、でも、オークが……」


「わたしも参ります」


 天使のような微笑を浮かべたまま、はっきりと言い切るエステル。


 可愛い。

 そして、なんか怖い。


「ボルマンさま?」


 ゴゴゴゴゴ……


 あたりに、何やら恐ろしげな空気が漂い始める。


「ボルマンさまは、また、わたしを置いて行かれるのですか?」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……


「ええと……」


 うん。

 まずいよね、これ。なんかマズい。

 いつも可愛いエステルの笑顔が……なんかこう、怖い。


「お、置いて行くなんてとんでもない。もちろんエステルにも一緒に来てもらいたいと思ってるよ!」


 ゴゴ……………………(すぅ)


 恐ろしい空気が霧散してゆく。


 そして、エステルの可憐な笑顔が花開いた。


「はいっ。一生懸命同行させて頂きます!」


 うん、可愛い。

 俺の婚約者は、やっぱり世界一可愛い。


「…………」


 今度は、カエデさんの方から冷たい殺……空気が漂ってきたけど、気づかないふりをしよう。そうしよう。




「さて。スタニエフはどう思う?」


 俺が尋ねると、ずっと考えこんでいた眼鏡の少年は、はっとしたように顔をあげた。


「僕ですか?」


「ああ。お前の意見が聞きたい」


「そうですねーーーー」


 俺の言葉に、再び考え込むスタニエフ。

 しばしの思考時間のあと、彼はゆっくりと口を開いた。


「正直なところ、反対です。対象が複数体目撃されていますから、深刻な状況に陥るおそれがあります」


 そうか。スタニエフは反対か。

 確かに、まかり間違ってオークの集落に迷い込みでもしたら、とんでもないことになる。


「……ですが、どうしてもと仰るのであれば、せめて複数のオークと戦うことを想定して作戦を練ってから臨むべきでしょう」


 俺を真っ直ぐ見据え、そう進言する我が軍の参謀。


「なるほど。作戦か」


「はい。ボルマンさまがいつも仰っている『備えあれば嬉しいな』です」


 そうだな。

 こうやって間違ったことわざがこの世界で広がっていく訳だ。


 それはともかく。


「分かった。隊列と役割分担は移動しながら考えよう。とりあえず皆、移動の準備をしてくれ」


「はい」 「おう」 「分かったわ」


 こうして俺たちはクリストフたち領兵とともに、オークの目撃情報のあったセントルナ北東の森に向かうことになったのだった。

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