第91話 異なるもの、異なること
つい取り乱してしまった。
いや、だってあの案山子(かかし)、何千セルー(円換算で何十万)もするんだもん!
「ボルマンさま、わたしも一緒に頑張りますから」
隣に来て優しく手を握ってくれるエステル。
「いや、その…………」
彼女の手のぬくもりに。
その静かな微笑みに、心が落ち着いてくる。
正直、いつまでもこうしていたい。
だけど皆が見ている前で、そういう訳にもいかないよな。
「ーーごめん、取り乱して。もう大丈夫だから」
名残惜しいけど、その手を離して咳払いする。
「ごほんっ。……まあ、封術の比較がしたいって言ったのは俺だし、案山子の破損は俺の責任でなんとかするよ」
居心地悪そうに、つい、と視線を外すエリス。
と、彼女に追い打ちをかける脳筋(バカ)が一人。
「しかし派手にやったよなー。直撃した方なんてバラバラで跡形もないぜ」
すぱーん!
「いてぇっ?!」
小気味よい音とともに叩かれるジャイルズの後頭部。
「ちょっ! 何しやがる?!」
叩いたカレーナは冷たい目でデカい方の子分を睨んだ。
「デリカシーなさすぎ」
「はあ? で、デリカシー???」
どうやら脳筋には難しい言葉だったようだ。
ーー仕方ない。脳筋だからな。
「ま、まあ、ちょっとやり過ぎたわよ」
首をすくめながら、気まずそうに謝罪するエリス。
それを見て思う。
うちの女性陣、なんだかんだで息が合ってるよね。
「さて。他の属性はまだ比較できてないけど、とりあえず火属性だけでも二人の封術を比較しておこうと思う。ーースタニエフ、頼む」
俺の言葉に、スタニエフが記録用紙を片手に前に進み出た。
「今回のテストでは、簡単に三つの項目で二人の封術を比較してみたいと思います。比較するのは『詠唱時間』、『着弾までの時間』、『威力』です」
「……帝国系統の封術をこちらの封術とまともに比較するのは、オルリス教圏では初めてかもしれないわね」
エリスが静かに呟いた。
スタニエフは発表を続ける。
「まず『詠唱時間』。カレーナ36カウント、エリス43カウント」
1カウントは振り子一往復。およそ一秒だ。
「発動はカレーナの方が早かったな。……ちなみにカレーナの『火球』の詠唱時間は、四ヶ月前は41カウントだった。訓練で5カウントも縮めたのは大したもんだ」
俺の言葉に、カレーナが顔を赤くしてそっぽを向く。
「ほ、褒めても何もやらないぞ!」
「いや、お世辞じゃなく本当によく頑張ってると思うぞ。そこは素直に受け取っとけ」
「ふんっ」
苦笑して、今度はエリスの方を向く。
「ちなみにエリス、お前の方は訓練で詠唱時間を縮められるものか?」
「そりゃあ2、3カウントは詰められると思うけど、それ以上は難しいわね。ミスが大幅に増えると思うわ」
「つまり、詠唱時間についてはオルリス系統の方が短い?」
「同種の封術であれば、オルリス系統の方が短いと思うわ。封力石を直接制御しようとするとその分、工程数が増えるもの」
なるほど。
いくつかの工程をオルリスに丸投げしている分、詠唱自体はオルリス系封術の方が短いのか。
スタニエフが次に行っていいか、と目配せしてきたので、頷いて返す。
「次に『着弾までの時間』ですが、これは非常に短時間で計測が難しかったので、あくまで参考値として聞いて下さい」
そう前置きしてスタニエフが発表したのは次のような数値だった。
カレーナ、3カウント程度。
エリス、0.5カウント程度。
「まあ、そうなるわな」
エリスの火球は砲弾ほど速い訳ではないけれど、あの距離(二十メートルほど)で完全に避けるのが難しいくらいには、高速で撃ち出されていた。
「あれは反則だよ。こっちは火球の速さなんて調整できない」
カレーナが不機嫌そうに呟く。
「そうだな。あれは純粋に帝国系統の封術の強みだと思う。だからお前が気にすることはないぞ、カレーナ」
「べ、別に、気にしてなんてないけどさ……」
そう言いながら、カレーナは拗ねたように視線を外した。
「最後は『威力』だな」
俺の言葉にスタニエフが頷いた。
「標的の案山子は中に特殊な封術陣が仕込んであって、初級から中級下位くらいの攻撃は吸収できる訳ですが……」
話しながらスタニエフは案山子の残骸に目をやる。
「見ての通り、エリスの封術が直撃した一体は吹き飛び、隣に立っているもう一体は腕を持っていかれました。つまりエリスの封術は少なくとも中級中位、おそらくそれよりも強力であると推察されます」
「まあ、そうでしょうね」
当たり前だと言わんばかりに、腰に手を当てふんぞり返るエリス。
「……比較にもならないじゃん」
ふて腐れたような態度をとるカレーナ。
やれやれ……。
「カレーナの火球も一瞬、案山子を燃え上がらせてたな。以前は炎を見る間もなく術が吸い込まれてたから、詠唱が良くなって威力が増したのかもしれん。……なあ、スタニエフ?」
「はい。火球のサイズも、以前より大きくなっていたような気がします」
あうんの呼吸で同意する子分(かしこいほう)。
だが、これは本当のことだ。
ただのお世辞じゃない。
「エリス、詠唱の良し悪しで術の強さが変化したりって、あるのか?」
俺の問いに、彼女は即答する。
「もちろん。発音、声量、抑揚、速度のバランスが良くないと、正確な封術陣は描けないわ。だからただ早口で詠唱しても、詠唱時間の短縮はできないのよ」
「へえ……」
初めて封術を見てから半年。
カレーナが術を使うのを何度も見てたけど、そんなこと知らなかったぞ。
ーー自慢できることじゃないな。うん。
エリスはあごに手を当て少し考えると、こんなことを口にした。
「例えば私は、封術の研究者としてはそれなりだけど、純粋に封術士として見れば多分二流よ」
ーーえ。
「嘘だろ?」
思わず聞き返した俺に、彼女は言った。
「こんなことで嘘ついてどうするのよ。さっきの詠唱を見る限り、カレーナの方がまだ上手いと思うわ。私の封術を彼女が使えば、おそらく詠唱時間を短縮した上に、威力も上げてくるはず」
「本当に?」
カレーナが驚いて尋ねると、エリスは少し苦みのある笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。私も詠唱の練習はしてるけど、メインは研究と開発だもの。使う方まで手が回らないわ」
カレーナの表情が明るくなり、頰が片側だけつり上がった。
どうやらニマニマしそうになるのを、こらえているらしい。
分かりやすいなあ。
ーーあ。
エステルがこっちを見てる。
俺、何かやらかしたかな?
指で自分を指して首を傾げてみせると、エステルは笑顔で頷き返してくれた。
ええと。よく分かんないけど、可愛いからいいや。
「まあ、そういうわけだ。エリス、お前の封術をカレーナに教えてもらうことはできないか?」
「別に構わないわよ。今私がやってることなんて、所詮帝国の後追いだし」
意外なことに、快諾してくれた。
次にカレーナを振り返る。
「カレーナはどうする?」
「やるよ。ーーーーよろしくね、エリス」
即答し、半歩前に出る少女。
それに頷いてみせる、もう一人の少女。
「ええ。使ってて気づいたことはどんどん言ってね。修正すべきところは手を入れていくから」
こうしてダルクバルトの封術への取り組みが始まった。
さて、どんな発展を見せるのか。
『来たるべき日』までに間に合えばいいんだが。
そんなことを考えていた時だった。
ドドドドーーーー
数騎の馬に乗った者たちが、土煙を上げて練兵場に走りこんで来た。
見覚えのある者たち。
ーー当然だ。
うちの領兵だからな。
「坊っちゃんーー!!」
その中の、さらにお馴染みの顔の男が、俺の前までやって来ると、馬を降りた。
「どうしたクリストフ。血相を変えて」
俺の剣の師匠にして、我が領兵隊の隊長、ついでにジャイルズの父親であるクリストフが、珍しく真剣な顔つきで立礼する。
「坊っちゃ……ボルマン様。些かやっかいなことになりましたぞ」
「改まってどうした?」
「オフェル村の狩人から通報があったのです。『セントルナ山の麓の森で、数体のオークを見た』と」
「はあ???」
その『ありえない』報告に、俺は耳を疑った。
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