第65話 不安と現実、そして禁術

 

 戦場が近づくにつれ、わたしの中の不安は大きくなっていきました。


 魔物が怖いのではありません。

『間に合わないのでは』、『大切な人を失うのでは』という予感と恐怖。


 その不安は、小さな丘を越えボルマンさまの仲間の方々の姿が見えるようになった時、確信に変わりました。


「あれは?!」


 馬を駆けさせながら、思わず叫びます。



 遠目に見えるその光景。



 頭のない、子牛ほどもある魔犬が倒れていました。


 その横に皆さんが集まり、何かを囲んで必死の表情で叫びあっています。


 その輪の中心。

 ちら、と見えたのは、見覚えのある衣服。

 力なく横たえられた両足。


 頭が真っ白になり、視界が涙で歪みました。


「ボルマンさまぁああああああああああ!!!!」




 空の青さが、空っぽの青が、なぜかひどく印象的で、わたしの心を絞めつけました。





「失礼、どいて下さい」


 馬を降り、薙刀を持ったカエデが、ボルマンさまに歩み寄ります。

 わたしは茫然として、のろのろとそれに続きました。


 酷い有様でした。


 横たえられたボルマンさまの左腕には、巨大な犬の頭が喰いついていて、地面に血溜まりができていました。

 いつも優しげなお顔からは血の気が引き、死人のように青白くなっています。

 カレーナさんがその頭を膝枕をし、スタニエフさんが次々にアップルキャンディを傷口に投与していました。

 傷口がアップルキャンディにより塞がりかかりますが、犬の牙が刺さっているため、きちんと塞がりません。


 ジャイルズさんが犬の頭を抱え、腕に突き刺さった牙を抜こうとされますが、一向に抜ける気配はなく、むしろ血が流れ出てしまっていました。


「動かすな!!」


 カエデの怒声に、ジャイルズさんが固まり、泣きそうな声を出しました。


「で、でもよう……」


「私が、診ます」


 カエデはそう言うと、ボルマンさまの右腕で脈をとり、呼吸を確かめ始めました。


「ボルマンさま…………」


 力なく呟いたわたしを、カエデが振り返ります。

 涙で顔をボロボロにして、息を飲むわたしに、カエデは静かに告げました。


「お嬢様、人払いをお願いします。今ならまだ助かります」


 わたしは、ハッと顔を上げました。


「……ほんとに? ボルマンさまは助かるの?」


 カエデが微笑みました。


「はい。私の力を使えば大丈夫でしょう。ですが、一刻を争います。人払いをお願いします」





 わたしは皆さんに『お願い』し、ボルマンさまとカエデから離れて丘の上まで一緒に移動してもらいました。


 今、わたしはボルマンさまの方を向いて立ち、三名の方々には向かい合って座って頂いています。


 丘の向こうではカエデの「術」が始まり、ボルマンさまの周りに青い光が集まっていました。


「なぁ、お嬢さん」


 腰を下ろしたカレーナさんが、こちらを向いて、でも視線を外して呼びかけてこられました。


「はい、なんでしょうか?」


 わたしの返事に、彼女は地面に視線を落とします。


「あいつ、犬に噛みつかれた状態で言ったんだ。『撃て』って。そんな状態で雷撃の封術なんて使えば、敵と一緒にダメージ食らうって分かってたはずなのにさ」


「そうですか…………」


 見た訳ではありませんが、その時の様子が頭に浮かびました。


「わ、わたしは一度断ったんだぞ? だけど『いいから撃て』って……」


 自らの身を厭わず、攻撃を命じたボルマンさま。

 あの方はその時、どんなことを考えられたのでしょうか。


 そんなことを思いながら、わたしはカレーナさんの前に行き、膝をつきます。

 そして不安げに揺れる彼女の目を見て語りかけました。


「カレーナさんに責はありません。ボルマンさまは必要だと思われたことを指示なさったのです。わたしもボルマンさまの判断とあなたの行動を支持します。気に止むことはありませんよ。あの方を助けて頂いてありがとうございます」


「あ、ああ……」


 カレーナさんは居心地悪そうに視線を外されると、ちら、とこちらを見て仰いました。


「…………ありがとうな」


 わたしは微笑んで小さく頷きます。


「あいつ、大丈夫かなぁ?」


 再び視線を外されたカレーナさんに、わたしは今度は大きく頷きました。


「大丈夫ですよ。カエデが『助かる』と言ってるのですから、必ず助かります」


 わたしが立ち上がり、顔を上げると、ちょうどボルマンさまを包んでいた青い光が小さくなってゆくところでした。





 〈? 視点〉


 暖かい光を感じた。

 長いトンネルを抜けたような安心感と光に包まれ、瞼を開ける。


「…………」


 見知った部屋がそこにあった。


 俺(ボルマン)の寝室。

 こちらに来て三ヶ月も寝泊まりしている部屋だ。もう勝手知ったる、と言ってもいいだろう。


 俺は寝間着姿でベッドに寝かされていたらしい。

 どれだけ寝ていたのか。体全体が重く感じる。


「……あれ?」


 あることに思い至り、左腕の袖を捲りあげた。


「どうなってるんだ、これ?」


 思わず疑問が口から漏れた。


 狂犬に貫かれたはずの左腕。

 だがそこには穴はおろか、傷一つ残っていなかった。


「…………夢?」


 一番考えられる可能性を口にしてみる。


 まさか。

 あんなリアルな夢があってたまるか。


 俺は覚えている。

 腕に食い込む牙の感触を。その痛みを。

 そして、全身を貫いた雷撃の衝撃を。


 なんにしろ、人を呼び、話を聞けば分かるだろう。

 俺はベッド脇の台に置かれた呼び鈴を鳴らした。





「ボルマンさま!!」


 扉が開かれ、俺の姿を見たエステルは、こちらに小走りでやって来ると、ベッドで身体を起こしていた俺の左手をとり両手で包んだ。


 細っそりとまでは言えないが、最初に会った時に比べればかなり細くなったエステルの冷たい手。


「ボルマンさま、お加減はいかがですか?」


 ひとまわり小さくなり、隠れていたその可愛さが今や誰の目にも分かるほどになったエステルは、形の良い眉を寄せ、心配そうに俺を見つめてきた。


 俺は彼女の手を自分の両手で握り返し、その問いに答える。


「大丈夫。ずっと寝てたからちょっと体が重いけど、動けるよ」


 次の瞬間、エステルの瞳からポロポロと涙がこぼれた。


「……よ、よかったです。ボルマンさまが死ななくて…………」


 俺は彼女の手を包みなおした。


「心配をかけたね、エステル。悪かった…………」


 俺はそのまま、彼女が落ち着くまで手を握り続けたのだった。


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