第64話 少女の決意

 

「カエデは、あの魔物を倒せると言うのですか?」


 わたしの問いに、カエデは小さく首肯しました。


「はい。私であれば駆除できるでしょう」


 表情を変えずにそう言った彼女に、わたしは名状しがたいものを覚えました。

 もう久しく感じていなかった気持ち。

 お腹の底から湧き上がるその感情は、怒り。


 手綱を取る手が震えます。


「あなたは…………あの魔物を討伐する力がありながら、黙っていたのですか?」


 僅かな間。


「はい」


 抑揚のない返事。


 その瞬間、私の全身を巡っていた感情が噴き出しました。




「あなたはっ! ボルマンさまが命をかけてあの魔物と戦おうという時にっ! あれを倒す力がありながら、背を向けたと言うのですか!!??」


 もう久しく出していなかった声で、わたしは叫びました。

 カエデと視線が交錯します。


「はい」


 静かな返事。


 わたしは、ボルマンさまの力になれなかったことに、一番信頼しているカエデと意思疎通ができなかったことに、無力感を感じ、打ちのめされました。


「…………何故です? 何故あなたはあの場で、魔物を討伐できることを言わなかったのですか?」


 わたしの問いに、カエデが口を開きます。

 ですがそれは、わたしが思いもしなかった言葉でした。


「ボルマン様が、それを望まれなかったからでございます」


「……え?」


 意外な答えに、わたしは固まりました。




「魔物に遭遇した時、ボルマン様には三つの選択肢がありました。戦う、逃げる、私に加勢を依頼する、の三つです。先日お話させて頂いた時に分かったことですが、あの方は私がどれだけ戦えるかをよく理解されています」


 わたしの脳裏に、二ヶ月前に交わしたボルマンさまとのやり取りが思い出されます。

 馬車で移動中にゴブリンの襲撃を受けた時、婚約者(フィアンセ)は「カエデさんて、何者ですか?」と、そう問われました。


 カエデは話を続けます。


「私に加勢させるという選択肢は、もちろん頭の中にあったでしょう。そして、私ならばあの魔物を容易に討伐できるだろうということも理解されていたと思います。ですがその上であの方は、私に頼らず自ら戦う道を選ばれたのです」


「なぜです? なぜボルマンさまはあなたに頼らなかったのですか!?」


 わたしは思わず叫びました。


「ここがダルクバルトであり、あの方はこの地の領主家の跡取りだからですよ。安易に他家の力を借りれば、エチゴール家の統治能力を問われます」


「……っ」


 わたしは言葉を失いました。


 カエデが助力できなかったのも当然です。

 わたしはボルマンさまとカエデが、なぜあのような選択をしたのか、やっと理解しました。




「…………」


 わたしは考えます。


 このままでは、ボルマンさまと皆さんが死んでしまうかもしれません。


「……………………」


 わたしは考えます。


 カエデが『加勢』ではなく、皆を助けに行ける方法を。




「……いっっっ!」


 わたしはお腹を押さえました。


「エステル様?!」


 カエデが馬をこちらに寄せます。


「おなかが……お腹が痛いです!!」


 わたしは苦痛に堪えるように顔を歪めました。


「お嬢様!!」


 カエデが馬から降り、わたしに手を伸ばし、わたしを抱き下ろしました。


「いたい……です…………」


 わたしはお腹を押さえ、その場で蹲ります。


「お嬢様っ! ……お二方(ふたかた)!!」


 カエデがダルクバルトの領兵の方々に呼びかけました。


「見ての通り、エステル様は体調を崩され、この場から動けません。わたしがお嬢様を守りながら看病しますから、お二人はペントに戻り、救援を呼んできて下さい!!」


「し、しかし……」


 戸惑う声が聞こえます。


 少しだけ顔を上げると、カエデが懐から紙を取り出し、さらさらとペンを走らせていました。


「これをお持ち下さい。お嬢様の安全については私が責任を持ちます。救援が遅れれば、ボルマンさまも危ないのですよ!?」


「わ、わかった!!」


 二人の兵士の方々は、馬に鞭を入れ、大急ぎでペントに向かって去って行きました。




 その姿をちらりと確認したわたしは、立ち上がり、膝の砂を払います。


「エステル様。どうされますか?」


 わたしは傍らで立礼するカエデの方を向き、その瞳を見据えました。


「そんなこと、決まっています。……カエデ!」


「はい」


 カエデが姿勢を正します。


「エステル・クルシタ・ミエハルの名において命じます。わたしに近づくあらゆる脅威を、速やかに排除しなさい!」


「承知致しました」



 こうしてわたしたちは、再び馬に乗り、今来た道を全力で戻り始めたのです。


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