第63話 狂犬との死闘

 

 今現在、俺たちのレベルは10。


 狂化した敵が正常個体の倍の強さ、レベル12として、一対一(タイマン)で劣勢。二対一でやや優勢。

 三倍のレベル18として、二対一で圧倒的劣勢。四対一でやや劣勢というところだろうか。

 あくまでゲーム準拠の話だが。


 そもそも「魔物の狂化」なんて話がユグトリア・ノーツにあっただろうか?

 俺が知る限り、そんな設定はなかったはずだ。


 本来ゲーム序盤で主人公たちが歩き回るはずのこの辺りのフィールドで、いきなりそんな強敵に遭遇したらまず全滅だろう。

 短気なプレイヤーならその時点でゲームを投げ出しかねない。

 ゲームバランスの調整ミスか、バグ扱い間違いなしだ。


 だが目の前にいるのは、筋肉が肥大化し身体が歪に膨れあがった、明らかな異常個体(バグ)。




「……くそっ!」


 とりあえず、ゲームのことは置いておく。

 今は現実(リアル)に集中しなければ。


 領民のことを考えれば、ここで逃げる訳にはいかない。


 わずかな勝機を、カレーナが会得した新しい封術「雷撃(サンダーボルト)」に賭ける。


 俺とジャイルズで、発動までの時間をなんとしてでも稼ぐんだ。


 俺たちはそうして三十メートルほどの距離を駆けると、向こうからフラフラと近づいてきた狂犬(バケモノ)と接触した。





「うらぁあああ!!」


 ジャイルズが前に出て、剣を掲げて突っ込む。


 ガルル、と唸り、狂犬の巨体がひょいとそれを躱す。


「ちぃっ」


 大振りし、体勢を崩すジャイルズ。

 犬は体を巡らせ、即座にジャイルズに飛び掛かろうとする。


「させるか!!」


 ジャイルズの背後から飛び出し、そこに斬りかかる俺。


 ゆらり。


 千鳥足で再び斬撃を躱し、今度は俺を狙う。

 犬の金色の瞳が不気味に光った。


 ガウッ!


 飛びかかってくる狂犬。


「くっ!」


 剣が間に合わない。

 やむなく左腕に装備した皮の盾で迎撃する。


 犬は牙をむき出し、盾に噛み付いた。


 ドスン!!


 衝撃。

 巨大化した犬の体重が、勢いよくぶつかってきた。


 サバイバルナイフの刃ほどあろうかという発達した牙が盾に突き刺さる。


 そして…………あっさりそれを引き裂いた。


「マジかよ?!」


 千切れ落ちる皮の盾。


 巨体の突撃を受けよろめく俺に、犬が更に追撃をかけようと身構えた。


 だが……


『強撃!!』


 体勢を立て直したジャイルズが、犬の背後で剣を頭上に掲げ、スキル『強撃』を発動して振り下ろした。


 ザク、という鈍い音とともに、ジャイルズの剣が犬の下半身を斬り裂く。


 ガウッ!!


 血を流しながら一度俺たちから距離をとる狂犬。


 犬は道から外れ左手の草むらの中に入りながら、しかしこちらを虎視眈々と狙っている。


 ジャイルズが血塗れの剣を構え直し、刃を犬に向けたまま俺の方にそろそろと寄って来た。


 わずかな間、睨み合う両者。


 グルルルル


 唸る狂犬。

 その金色の目は、ゆらゆらと俺とジャイルズの間を行き来し…………やがてジャイルズに固定された。


 ガウッ


 犬が千鳥足でゆっくりこちらに向かって歩き始めた。


 道の上、並んで剣を構える俺とジャイルズ。

 草むらをかき分け、ヨタりながら近づく犬に合わせ、剣先が揺れる。


 さっきの攻防で分かった。

 コイツは明らかに俺たちより、強い。

 全身に汗が滲み、緊張に喉がカラカラになった。




 そうして五メートルほどのところまで近づいた時。


「「え?!」」


 ジャイルズと二人、声をあげた。


 犬が突然、右に方向転換して猛スピードで駆け始めたのだ。


 その先にいるのは……スタニエフとカレーナ。


「くそっ!!」


 ワンテンポ遅れ、慌てて駆け出す俺とジャイルズ。


 カレーナの詠唱はまだ続いている。


 いくら盾の扱いが上手いと言っても、スタニエフが装備しているのは俺と同じ皮の盾だ。

 あの犬歯が食い込めば、受け流しながら引き裂かれるのは目に見えている。




 狂犬〜俺たち〜スタニエフたちを結ぶ三角形が、瞬く間に小さくなる。


 犬の方が足が速い。

 追いつけない!


 ガァッ!!


 犬がスタニエフに襲いかかる。


「はぁっ!!」


 獣の横っ面を殴るように、盾で受け流すスタニエフ。

 だが……


「あっ?!」


 スタニエフが驚きに目を見開く。

 千切れ飛ぶ皮の盾。


 剣を持っていないスタニエフは、即座に腰の短剣を抜く。

 が、狂犬相手には力不足だ。


 犬が二撃目を繰り出すべく、身を低く構えた。


「させるか!! 『ラピッド・チャージ』!!」


 俺は剣の刃を顔の横まで引いて走り寄り、そのまま犬に体当たりするように体重を乗せて剣を突き刺した。


 一瞬、剣が青い光を帯びる。


 ブスリ、と。

 こちらを振り返るように身をよじった犬の脇腹に、剣が突き刺さった。


 普通の野犬(ワイルドドッグ)なら確実に命を断つはずの一撃。

 だが……


 ガァッ!!!!


 狂犬はそのままこちらを振り返り、俺の頭を食いちぎろうと大口を開け顔を寄せてきた。


 すでに体勢を崩しかけている俺は、咄嗟に剣から手を離し、左手で頭を庇う。


 ブスリ


 一瞬の熱さ。


 俺の左腕を、二本の長大な牙が貫通した。





「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」




 痛いいたいイタイイダイイダイイダイイダイイダイイイイイイイ!!!!!!!!




 犬が頭を振り、貫いた俺の左腕を、俺を、振り回す。




「がぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」




 その時、右手が何かを掴んだ。


 激痛に閉じていた目を薄く開くと、それは俺が犬(コイツ)に突き刺した剣の柄。


 咄嗟にそれを握り、全体重をかけ、抉り込む。


 ガァアア!!


「ぐぁああああ!!!!」


 互いに刃を突き刺し、悲鳴をあげながらのたうち回る。


 絶望的な我慢比べ。

 わずか数秒が永遠に感じる。

 そして……


「ぼ、ボルマン! 離れてくれ!!」


 やたら遠くから、カレーナの声か聞こえた。




 一瞬、視界にカレーナの姿が映る。


 腕をこちらに向け、その腕の周囲には円環状に封術陣が浮かび上がっていた。


 それは、最初で最後のチャンス。


「撃て! カレーナ!!」


 痛みで意識が朦朧とする中、夢中で叫んだ。


「で、でもよぉ……」


 躊躇う声。

 迷ってる暇はない。


「いいから、撃ち抜けぇええええ!!!!」


 腕の激痛をこらえ、腹の底から絶叫する。


「くそぉ!」


 カレーナが叫んだ次の瞬間。

 彼女の腕から紫電が迸り…………視界がスパークした。



「ぎゃあああああああああああ!!!!」



 全身を貫く衝撃、衝撃、衝撃……


 全ての感覚が麻痺する中、俺の意識は暗い闇に落ちていった。





 〈エステル視点〉


 ボルマンさまから、逃げるよう言われたわたし達は、ペントに向けて馬を走らせていました。


「お嬢様、大丈夫でございますか?」


 並走するカエデの問いになんとか頷き、早駆けする馬に振り落とされないよう、必死で踏ん張ります。


 この中で一番遅いのはわたしです。

 わたしが遅れれば、それだけ応援を呼ぶのが遅れます。


「ボルマンさまっ、大丈夫でしょうかっ?」


 隣を駆けるカエデに問います。

 カエデは、少し考えて答えました。


「…………難しいかもしれませんね」


 その言葉に、思わず馬の速度を落とします。

 わたしに合わせ、カエデと領兵の方々も速度を落としました。


 やがて、完全に止まります。


「……難しい、とは、どういう意味ですか?」


 わたしは再びカエデに問いました。


「ですから、ボルマン様はあまり大丈夫ではないのではないか、という意味です。ボルマン様とお仲間の方々がどれほどの強さかは存じあげませんが、あの犬の化け物を相手にするのは、かなり困難なのではないかと」


 カエデの言葉に、わたしは目の前が真っ暗になりました。


「……あの犬の魔物は、あなたをしても、倒すのが困難ということですか?」


 呟くようなわたしの問いに、カエデは意外な言葉を返しました。


「いえ、私ならば一薙(ひとなぎ)で仕留められますが」


「…………え?」


 その言葉に、わたしは顔を上げ、カエデを凝視しました。


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