第10話 婚約者の噂を聞く話

 

 予備知識が全くないまま婚約の挨拶というのもさすがに不安なので、ある日の午後、事務室で帳簿を見せてもらっている時に、元商人であるカミルに訊いてみた。


「なあ、カミル」


 向かいの机で記帳していたカミルが手を止め顔を上げる。


「どうしました? 坊ちゃん」


 丸みを帯びた顔にいかにも商人らしい愛想の良い笑みを浮かべ、聞き返すカミル。

 息子のスタニエフは母親似なんだろうか。背が低いというところ以外、あまり似てないな。



「婚約者のことなんだけど」


「ああ、ミエハル子爵のご令嬢、エステル様ですか」


「そう、そのエステル嬢。近く挨拶に行くことになってるんだけど、生憎と面識はおろか噂すら聞いたことがないんだ。彼女と、彼女の父親の人となりについて、何か知らない?」


 カミルは少し困ったような顔をした。


「ふむ、人となりですか。直接お会いしたことがないので本当に噂程度になりますが……」


「いいよ。何も知らないよりはよっぽどいい。間違っていても責めないから、教えてくれ」


 その言葉に安心したのか、カミルはほっとした表情になると、やがて口を開いた。




「風聞に聞くワルスール・クルシタ・ミエハル子爵を一言で言うと『権力欲溢れるやり手領主』でしょうか」


 カミルはいきなり不穏な言葉をぶちかましてきた。いや、カミルのせいじゃないけどさ。


「なんか、あまり穏当とは言えない評価だね。評判悪いの?」


 自分の評判を棚に上げて、直球で尋ねる。


「いえ。領主としての子爵は、非常に優秀と言えるでしょう。中央への伝手を駆使して自領の交易を拡大。農業では早くから白パンの原料ギフタル小麦の栽培に取り組んで、今や王都における同小麦の七割が子爵領産とか。領民からの評判も決して悪くないようですね」


「へえ、かなりのやり手なんだね。それで、なんで『権力欲溢れる』なんて但し書きがつくのさ」


 カミルは苦笑いを浮かべた。


「やり方が露骨らしいですよ。次男以下の息子たちを王国騎士団や宮廷魔術団に放り込んで各方面にコネを作らせ、娘たちを有力貴族に嫁がせる。まあ貴族としては正しいんでしょうが、政略結婚の駒を増やすために五人も夫人を抱えて十四人も子供を作るのは、さすがにやり過ぎなんじゃないでしょうかね」


「うわあ……」


 思わず顔をしかめる。後宮かよ。


「ただ、そこまでやるだけあって、今や子爵の影響力は東部では相当なものとか。貴族だけじゃなく、商人にも顔がきくらしいですよ」


 我が親父殿は、どんだけリスキーな橋を渡って縁談の話を取り付けたんだろうか。




「それで、その権力欲溢れるミエハル子爵は、なんでうちなんかと誼を結ぶことを選んだのかね。エステル嬢も大事な『駒』なんだろうに」


 疑問を口にした途端、カミルはスッと目を逸らした。


「……おい」


 なんか最近、似たような反応をする奴を見た気がするんだけど。


「目を逸らすな、目を。……つまり、何か理由があるんだな?」


「っ……さすが坊ちゃん」


 いや、あんだけ露骨に目を逸らされたら、どんな鈍感でも気づくわ!!


「ひょっとして、エステル嬢に何か問題があるのか?」


 詰問口調で睨むような視線を送ると、元商人の目が泳いだ。


「いえ、あの、問題がある訳じゃあないと思うんですが……」


 歯切れの悪い回答。


「怒らないから、言ってみて?」


 先を促すと、なにやら言いづらそうに話し始める。


「ええと……。そのですね。子爵の八女で坊ちゃんと同い年のエステル嬢なんですが、以前こんなあだ名を聞いたことがありまして……」


 そこでカミルはコホン、と咳払いをした。


「『ミエハル子爵領の子ブタ姫』と」


 何だそのあだ名は。


「…………つまり、ふくよかなのか?」


「お会いしたことがないので分かりませんが、恐らくは……」


 ああ、なるほど。

 なんとなく事情が分かった。




 うちは辺境の豪族あがりの田舎領主なので、いわゆる社交界というものとは殆ど縁がない。


 だから家族が皆、肥満体型でも、健康と食費以外のデメリットはないのだけど、これが中央と繋がりの深い子爵以上の家となると、話が違ってくる。


 社交界に出入りし、上流貴族たちと付き合っていくには、それに相応しい身なりや振る舞いが求められる。もちろん体形も。

 つまり「肥満」は論外。それだけで自己管理に問題がある人間、ひいては家、と見なされる。


 上流貴族の妻ともなれば、夫とともに社交の場に出る機会も多い訳で、そんな中、わざわざ太った女性を妻にしようとする貴族がいるだろうか。



 恐らくエステル嬢は、体型のせいで「駒」として使えないんだろう。

 かと言って、ずっと嫁がせずにいても家の悪評になってしまう。

 だから格下でも貰い手があれば押し付けてしまおうと考えたんじゃなかろうか。


 そこにノコノコと現れたのが、俺という訳だ。

 いや、実際に動いたのはゴウツークだけど。




「そうか。ふくよかなのか……」


 婚約者(フィアンセ)と聞いて舞い上がっていた気持ちがちょっと萎える。

 デブ好きの嗜好はないので、正直ちょっとショックだ。


「まあ俺自身、他人のこと言えないしなあ……」


 一部やつれたとはいえ、あちこち肉が垂れてることには変わりがない。


「よし。まずは人となりを見極めよう。どういう関係を築くかは、会ってからだ」


 ……と、自分に言い聞かせ、とりあえず考えるのを先送りにしたのだった。





 数日後、俺と父親は馬車に乗り、ミエハル子爵領の領都、クルスに向けて出発した。


 馬車二台に、お供は御者二人とクリストフ、領兵三人、さらにジャイルズとスタニエフという顔ぶれである。


 なぜ関係のないジャイルズたちが同行しているのか。

 理由は実に簡単だ。

 俺が父親たちを説得してメンバーにねじ込んだから。


 てへっ☆



 当初、彼らは同行しないはずだった。が、俺が父親に訴えたのだ。


「父上は大地のように広い徳と器で、クリストフとカミルという素晴らしい人材を配下にされています。父上のように誰もが認める貴族になるには、優れた配下を持つことは必須の条件と言えるでしょう。将来私が父上の跡を継いだ時、私の一の配下はジャイルズとスタニエフになります。しかしながら彼らは私同様、未だものを知らず、未熟です。他領に行ったこともろくになく、自らの狭い敷地の中で、世界を知ったつもりになっている。私は彼らの目を開かせたいのです! 彼らのことは私が責任を持って監督し、旅費も私が用立てます。どうか同行を許可頂けないでしょうか?」


 と、そんなことを言ったみた。



 するとなんと、あっさりOKが出ました!


 父親は自分の利害が絡まないのであれば、基本的に放任主義(どうでもいい)のようで、拍子抜けするほどあっさり許可してくれた。


 もっとも、こっちに来てから色々交渉してきたおかげで、自分の「交渉」の特技レベルが上がってたのも効いたのかもしれないけれど。




 最近確認したら、いつの間にかステータスは、こんな風になっていた。


 名前:ボルマン・エチゴール・ダルクバルト

 称号:領主のドラ息子

 Lv:5

 HP:500/500

 MP:15/15

 SP:20/20

 特技:

 ・剣Lv2(剣の攻撃力 +10%)

 ・脅しLv3(消費SP5・敵SP9%減少)

 ・交渉Lv3(交渉成功率 +15%)

 魔法:-


 うん。まあ、クリストフの朝練のおかげで、なんとか戦えるレベルになってきたと思う。

 今度はバッタなんかに遅れをとらないぜ!


 ……あかん。

 いやなあだ名を思い出してしまった。




 旅費は、これまでボルマンが領民から徴発してきた色んなものを売り、さらに子分たちからも出せるだけ出させてなんとかした。


 正直、領民から奪ったものに手をつけるのはかなり気が引けるのだけど、手段を選んでいる余裕はない。

 そのうち借りた人たちにはちゃんと利子をつけてお返しするとして、今回は使わせてもらうことにする。



 ここまでして子分たちを連れて行くのには、実はちゃんと理由がある。

 旅行中、彼らにはきりきり働いてもらうつもりだ。

 それが彼らにとっても、我が領の将来にも、大事な一手になると信じてる。




 ミエハル子爵領までは、馬車で五日ほどの道のりだった。


 ダルクバルト領を出て北上し、二泊。

 そこから東部街道を西進し、更に二泊。


 子爵領に入り、領都クルスに到着したのは、出発から五日目の昼前のことだった。

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