第11話 ミエハル子爵領の子ブタ姫
「なるほど。噂どおり、というかこれは想像以上だなあ」
ミエハル子爵領領都、クルスの市門を抜け、馬車で目抜き通りを進む。
両脇には様々な商店が建ち並び、活気あるやりとりが飛び交っていた。
「この街もずいぶん賑やかになったものだ。儂が初めて王都に行くのに立ち寄った時には、せいぜい宿場町程度のものだったが」
正面に座る父親が、珍しく感慨深げに外の賑わいを眺めながらそう言った。
「全て、現ミエハル卿の功績、ということですか」
息子の言葉に、父親は深く頷いた。
「ああ。そうだな。街の女どもも、昔は精々「村娘」に毛が生えたような女ばかりだったが、今は気位の高い「ご婦人」がよりどりみどりだ。実に素晴らしい」
……父上。
色々、台無しです。
俺は笑顔のまま、心の中で涙を流した。
街の北側にあるミエハル子爵の屋敷は、我が家とは比較にならないほどの規模の宮殿だった。
「あちこち工事してますね」
見れば古い市壁の外側に新たな壁を築き、内側の壁をとり壊している。
街と屋敷を拡張しているのだろう。
ミエハル卿がどれだけ拡大志向か、よく分かるな。
「これだけの財力! 聞きしに勝るものだな。これは是非、良い関係を作らねば!!」
張り切る父親。
息子の婚約の挨拶に来たというのに、下心を隠すつもりもないらしい。いや、そもそもそこまで考えてもいないのかも。
「はあ……」
つい、ため息をついてしまった。
屋敷の車寄せで馬車を降りると、メイドに案内され、様々な調度品の並ぶ客間に通された。
うちの屋敷も母親の趣味であちこちに美術品が置かれているけれど、少し趣きが違う。豪華なのにゴテゴテした感じがないのだ。
見せびらかすために置いてあるものと、社交上の必要で「作られた」部屋の違いだろうか。
ソファに腰掛けそんなことを考えていると、奥の扉が開き、ダークグレイの髪に口髭を蓄えた細身の紳士が現れた。
「遠路、よくお越しになった」
この屋敷の主人ミエハル卿は、立ち上がった父親と俺に愛想笑いも浮かべず、そう声をかけてきた。
「おおミエハル卿、ふた月ぶりですが、ご壮健そうで何よりですな!!」
わははは! と空気の読めない挨拶をするゴウツーク。
「ダルクバルト卿もお元気そうですな」
にこりともせず、挨拶を返すミエハル子爵。そのままこちらを流し見る。
「こちらが、ご子息ですかな?」
値踏みするような胡乱な目つき。
「ゴウツーク・エチゴール・ダルクバルトが長男、ボルマンと申します」
家で執事のクロウニーから教わった、必殺の立礼をキメる。
「ほう……」
子爵は一瞬目を細め……そして、すぐに関心をなくしたように目を逸らした。
うわ、こいつムカつくわ。
「エステルをここへ」
子爵が部屋の入口に控えていたメイドに声をかけると、メイドが一礼して出て行く。
「どうぞお座り下さい」
子爵の勧めで再びソファに腰掛けると、早速、父親の売り込みが始まった。
「こいつは未熟者ですが……」
「我が領では……」
「儂の館に……」
次々と披露される売り込みの皮を着た自慢話に、全く関心なさそうな相槌を打つ子爵。
そんな苦痛な時間は、扉がノックされたことにより、ようやく終わりを告げた。
「入れ」
子爵が短く命じると、扉の向こうから「失礼します」という鈴の音のような声が聞こえ、ゆっくりと扉が開かれた。
少しだけ高めの儚げなその声に、期待するなという方が無理だろう。
事前に彼女の噂を、あだ名を聞いていたにも拘らず、思わずその容姿を期待してしまう。それだけ綺麗な、透き通った声だった。
メイドの手で、扉が開かれる。
美しい亜麻色の長い髪。
清々しさを感じさせる、薄い青色のドレス。
そのドレスから覗く、色白できめ細やかな肌。
そしてはち切れんばかりのふくよかな肉体。
ちょっと愛嬌のある丸い顔。
あだ名通りの少女が、そこにいた。
「紹介しよう。娘のエステルだ」
子爵の言葉に、子ブタ姫がスカートをつまみ、軽やかに腰を下げて挨拶をする。
「初めまして。ワルスール・クルシタ・ミエハルの八女、エステルと申します」
やはり、声はとてもかわいい。
いや、太ってなければ容姿もそんなに悪くない気がするけど。
挨拶を終えた少女は視線を床に落とし、不安そうな顔で、ちら、とこちらを伺う。
「おお、これは可愛いお嬢さんだ! 儂はゴウツーク・エチゴール・ダルクバルト。これは息子のボルマンだ」
ソファから立ち上がり、調子よく自己紹介する父親。
続いて俺も微笑とともに立礼する。
「初めまして。ボルマン・エチゴール・ダルクバルトと申します。お会いできて光栄です、エステル殿」
婚約者は一瞬目を見開いてこちらを見つめると、すぐにまた足元に視線を落としてしまった。
「さて、もう昼時です。食事を用意させてますから、ご一緒にどうぞ」
ミエハル卿は、スケジュールを消化しようとするかのように、そう告げたのだった。
昼食会は、煌びやかな食堂で、前世でもこちらでも食べたことのないような豪勢なフランス料理風フルコースなご馳走が振る舞われた。
もっとも場の空気は、相変わらず寒々しいものだったが。
唯一、良い意味で驚きがあったのは、メインディッシュの後のデザートだった。
「本日のデザートは、エステルお嬢様が皆様をおもてなししたいと仰いまして、お嬢様ご自身の手でお作りになったアップルパイとなっております」
給仕のメイドがそう告げながら目の前に皿を置いてゆく。
皿の上には、金色のソースが控えめにかけられた小麦色の見事なアップルパイが盛りつけられていた。
「すごい。これをエステル殿が?」
正面に座っている子ブタ姫に尋ねると、彼女はモジモジしながら頷いた。
「皆様のお口に合うかわかりませんが……」
いやいや、婚約者をもてなそうという、その心意気が嬉しいじゃないですか。
早速、ナイフで一口サイズに切り、口に運ぶ。
目の前に持ってきたところで、甘い香りが鼻をくすぐる。
お手製のアップルパイは一くち食べると、軽やかなパイ生地の食感の後、爽やかな林檎の味が口の中に広がった。
「美味しい!!」
思わず声に出してしまう。
そして、二くち、三くち。
芳醇な香りに対し、甘みを抑えた林檎煮と少量の甘いソースがマッチし、手が止まらない。
気がつくと、あっという間に皿が空になっていた。
「ご馳走様でした。大変美味しく頂きました。エステル殿は料理がお上手なんですね」
うん。マジうまかった! 思わず顔が綻ぶくらいに。
「い、いえ。わたしなど……」
俺の言葉に、婚約者は顔を朱くしてうつむく。
「いやいや、ボルマンの言う通りです! こんな美味い菓子は食べたことがない。さすがはミエハル卿のご息女ですな!!」
ゴウツークがここぞとばかり点数稼ぎに走る。
父ちゃん、頼むから黙ってて……。
と、その様子を見ていたミエハル卿が口を開いた。
「ふむ。なんの役に立つのかと思っていたが、喜んで頂けたなら何よりですな。……さて。申し訳ないが私はこれから所用で王都に出向かなければなりません。ダルクバルト卿、皆さまも長旅でお疲れでしょうから、しばらく我が家に逗留されるといい。卿が夜を快適に楽しめるよう、我が執事がサポートさせて頂きます。ボルマン殿もぜひエステルと親交を深めて頂ければ」
「おお、それは楽しみですな!」
その言葉に、父親が乗っかる。
いや、それ完全になめられてますよ、父上?
「ミエハル卿、ひとつお願いがあるのですが……」
そこで俺は、義理の父親となる男に初めてまともに口をきいた。
「ほう、なんですかな?」
ミエハル卿がこちらを一瞥する。
「私は田舎育ちなもので、こちらのように発展した土地に来ることはほとんどありません。よろしければ後学のため、滞在中にエステル殿と一緒に領内を見学させて頂きたいと思うのですが」
俺の言葉に、ミエハル卿はすっ、と目を細めた。
「ふむ。見学ですか……」
僅かな逡巡の後、子爵は口元に小さく笑みを作った。
「いいでしょう。他ならぬボルマン殿の要望です。エステルと快適に領内を見て回れるよう、取り計らいましょう」
「ありがとうございます。ミエハル卿のご配慮、感謝致します」
内心でガッツポーズする。
こうして、婚約の挨拶が終わったのだった。
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