第9話 ブートキャンプの話

 

「…………ここは?」


 意識が戻ったのは、オフェル村の村長宅のベッドの上だった。

 暗い中、魔力灯の淡い光がゆらゆらと部屋を照らしている。


「お目覚めになりましたか」


 傍らの台に、畳んだ俺の服を置こうとしていた老メイドが、こちらを一瞥する。


「俺は、どうしてここにいるのかな?」


「クリストフ様が、村の外で倒れていたボルマン様とお二人を、ここまで運んで来られたのです」


 老メイドは表情を変えずに答えた。


「ジャイルズとスタニエフは? 無事なのか!?」


 思わず半身を起こす。

 老メイドは静かに頷き、俺の両肩に手をあて、ベッドに横たえた。


「それぞれのお部屋で休んでおられます。大きな怪我もなく、ご無事ですよ」


 その言葉に、思わず大きく息を吐く。


「そうか、よかった…………」


 思わず涙が出た。


 よかった。

 二人とも無事で、本当によかった…………。


 自分の甘い見通しが、二人の命を危険に晒してしまった。

 主人失格だ。


「……ボルマン様?」


 老メイドが、訝しげな視線を投げかけてくる。


「ああ、いや、なんでもないっ……」


 慌てて布団で涙を拭う。


「それで、二人は起きてるのかな?」


 起きてるなら、顔を出しておきたい。そう思ったのだが……


「お二人とも、まだ寝てらっしゃるはずですが」


 思惑はあっという間に崩れ去った。


「ボルマン様も、今はお休み下さい。怪我や体力はアイテムで回復しているかもしれませんが、心の方はすぐに癒える訳ではありませんから」


 老メイドは水差しからコップに水を注ぎ、それを差し出しながら、なぜか反論できない妙な迫力でそんなことを言った。


「……わかったよ。二人が無事なら、それでいいさ」


 渡された水を飲みコップをメイドに渡すと、本当に精神が疲労しているのか、すぐに眠気がやってきた。


「明日は、ちゃんと二人と話さないとな……」


 そう呟きながら、眠気に抗うことができず俺はあっさり意識を手放した。





 翌日、無事に二人と再会することができた。

 二人とも精神的には少しショックを受けていたが、身体的には全く問題ないようだった。


 後から聞いた話では、俺たちの戦いをたまたま見かけた村人がいて、すぐに護衛のクリストフを呼んでくれたらしい。


 クリストフは、三人が二匹のバッタにのされているところを発見。即座にバッタを斬り伏せ、気絶した三人を抱えて村長の家まで運んでくれた、ということだった。



 この事件をきっかけに、陰で村人からアレなあだ名で呼ばれていた俺たちは、更にロクでもない名を頂戴することになった。


 曰く、「バッタの座布団」。

 よく言ったものだ。実際、踏まれてたしね。


 あだ名のことを聞いたジャイルズがブチ切れかけたが、実力が伴わない人間が何を言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえないぞ、とたしなめておいた。

 まぁ、今までのボルマンたちの所業を考えれば、しばらくこうした扱いが続くことは仕方ない。


 むしろ、クリストフに通報してくれた村人に感謝しないとね!





 一週間後の早朝。

 領主の館があるペントの街。

 その郊外にある領兵の練兵場は、ブートキャンプと化していた。


「ほらほら、まだ始めたばかりですぞ!!」


 ジャイルズの親父、クリストフの野太い声が飛んでくる。


「くそ、あの筋肉ダルマ、なんで鎧着たまま、あんなに、走れるんだ?!」


 前を走るジャイルズが息を切らしながら毒づく。


「っ、確かにっ、な!」


 ゼイゼイしながら相槌を打つ。


 長身の体に筋肉の分厚い鎧を纏ったクリストフは、さらにその上から金属鎧を着込み、腰からぶら下げた模擬刀をガチャガチャ鳴らしながらなかなかのハイペースで走っている。


 白に近い銀髪を短く刈り込み走るその姿は、さながら何故かコスプレにハマってしまった外国の特殊部隊隊長のようだった。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」


 しかし、キツい。

 今まで運動らしい運動をしてこなかったボルマンの体には、ただのランニングさえこたえる。まぁ、転生前も運動系の部活なんぞとは縁がなかったけどね。


 ペースは遅いながら、走り始めてもう二十分。スタニエフなど遥か前に膝をついてしまっていた。




 ペントの街の領主館に戻って来て三日目のこと。

 先日ゴウツークに頼んだ通り、クリストフが剣を教えてくれることになった。


 彼の朝練に参加する形で。


「さあ、次は木剣の素振りです! またバッタに負けたくなければ、頑張ることですな!! はははははははは!!!」


 黙れマッチョめ。


 頼られたのが嬉しいのか、やたらと張り切るクリストフ。

 やばい。これじゃあ子分どころか自分が脱落しそうだ。


 地面に両手両膝をつき、ダラダラ汗を滴らせながら「頼む相手を間違ったかな」と先に立たない後悔をするのだった。





 クリストフによるブートキャンプの成果は、何日も経たないうちに出てきた。

 しかも分かりやすい形で。



「あらあ。ボルマン、もう食べないの?」


 朝の食堂。

 父豚も母豚も目の前の皿を空にする中、一人朝食を前に白目を剥く子豚がいた。


 俺である。


「……うぷ」


 正面に座る母親の問いに、口を押さえ、こみ上げるものを抑える。


 ここ数日、朝練によってヘトヘトになった体は固形物を受け付けず、辛うじてスープが飲めるかどうかという有様だった。


 昼頃には多少マシなものを口に入れられるようになるものの、一日を通してみれば明らかに摂取カロリーが足りず、目に見えて顎や腹の肉が落ちてきていた。


 つまりダイエット成功である。やったね!!


 ……うん。事実の歪曲はよくないな。言い方を変えよう。


 やつれたのだ。



「……仕方ないわね。私が食べてあげるわ」


 そう言って、嬉々として俺の皿に手を伸ばす母豚。


「狡いぞタカリナ! どれ、儂も協力してやろう」


 母豚と競うように手を伸ばす父豚。

 あまりの両親の手の早さに、スープ皿を守ることで精一杯の哀れな子豚は、すり減った精神力をさらに削られたのだった。





 ブートキャンプの成果はダイエットにとどまらなかった。

 なんと一週間でレベルが上がったのだ。しかも二つも。

 すごいぞクリストフ。すごいぞ俺!?


 実は自分自身、この結果にはかなり驚いていた。

 短期間でレベルが二つ上がったことにじゃない。

 敵を倒してもいないのに、経験値が増えレベルが上がったことにだ。


 ユグトリア・ノーツのゲームには「剣の訓練」というメニューや選択肢はなかった。

 レベルを上げる方法は、ただ一つ。

 敵を倒し、経験値を得ること。


 レベルシステムがゲームとこの世界でどう違うのかは分からなかったけれど、ステータスがある以上、レベルを上げるには敵と戦って経験値を得なければならないと思い込んでいた。


 クリストフに剣の訓練を頼んだのは、剣術のイロハも、構え方すらも知らずに魔物に挑むのが怖かったからで、あわよくば何か剣技を習得できないか、くらいは考えていたけれど、これは正直、嬉しい誤算だった。


 ちなみにジャイルズとスタニエフも、一つずつだがレベルが上がっている。

 ジャイルズは元々レベルが一つ上だったし、スタニエフは真っ先にギブアップすることが多かったので、まあ妥当な結果と言えるだろう。





 朝練でゲロを吐き、午前中は死んだように自室のベッドに転がる。

 昼頃から起き出して、スタニエフの父、金庫番のカミルに言ってテナ村の帳簿を開き、内容を頭に叩き込むと、自室に戻ってノートに数字を書き込んでゆく。


 そうして転生後の新たな日々を過ごしていると、あっという間にその日が間近にやって来た。


 婚約者とその親への、挨拶の日である。

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