第8話 初戦闘の話

 

 十分ほど歩き、オフェル村の入口が遠目に見えるくらいまで来た時、それは現れた。


「あ、あれ!!」


 一番最初に異変に気付いたのは、スタニエフだった。

 彼が指差す方向を見た俺とジャイルズは、すぐに言わんとすることを理解する。


 五十メートルほど先の道端に、緑色の何かがうずくまっているのが見えた。


 中型犬くらいの大きさだろうか。微動だにすることなく転がっている。草むらにいたら、近くを通っても気づかないくらいの存在感のなさ。

 が、未舗装ながら人によって踏み固められた道の上では、それだけで目立つ色だ。


「……なんだあれ?」


 俺の呟きに、ジャイルズが応える。


「ありゃあ、ジャイアントホッパーだな」


 その名前を聞いて、すぐに思い出す。

 ユグトリア・ノーツで序盤に遭遇する、最弱クラスのザコ敵。レベルは2〜3くらいで、一対一ならボルマンでもギリギリ倒せるくらいの敵。

 まあようするに、デカいトノサマバッタだ。




「なんてこたあねえ。潰して行こうぜ、坊ちゃん」


「ジャイアントホッパーなら、僕でも倒せますよ」


 子分たちの言葉に、腰から下げた木剣と、回復アイテムを入れた皮袋に目をやり、一瞬だけ逡巡する。


 ボルマンの記憶では、これまでに一度、村に迷い込んだ小型のジャイアントホッパー一匹を三人で囲んでタコ殴りにして倒したことがあった。

 目の前のバッタの半分くらいの大きさのヤツだ。多分、幼体だったのだろう。自分より弱い相手には容赦しない、実にボルマン一味らしい戦い方だった。


 今回の敵は成体っぽいが、いけるだろうか?



「……そうだな。一匹ならいけるか」


 回復アイテムは十分持ってる。三人で掛かれば、そこまで苦戦することはないだろう。


 これが、異世界に転生して初めて「魔物との戦闘」を行うことを決めた瞬間だった。




「それじゃあ、ジャイルズを先頭にして近づいて、囲ってボコる作戦でいこう」


 果たしてそれが作戦と言えるのか。

 我ながら安直なことを口にしたが、子分たちはノリノリで乗ってきた。


「よっしゃ、腕がなるぜ!!」


「魔物と戦うのは、久しぶりですね」


 いや、久しぶりどころか二回目じゃないか? スタニエフ君。


 あまりに子分たちが軽いので、念のため簡単に戦闘の手順を確認しておいた。




 俺たちは木剣を抜き、ゆっくりジャイアントホッパーに近づく。

 バッタは、二十メートルくらいまで近づいても微動だにしない。

 一瞬「死んでるのか?」と思ったが、間もなくそれは間違いだと分かる。

 あと十メートルというところまで来た時、敵が僅かに脚を動かし、頭をこちらに向けたのだ。



 ジャイアントホッパーの武器は、その跳躍力を利用した頭突きだ。

 元がバッタなので爪や牙を気にしなくていいのは有難いのだが、この頭突きが半端なく痛い。


 以前戦った幼体ですら、その頭突きをモロに腹にくらったボルマンは、ゲロを吐いてしばらく立ち上がれなかったほどだ。

 結果的に主人を囮にする形でバッタをボコれた子分たちは、気楽なもんだったろうが。


「…………」


 なんかイラっときたので、目の前の敵にあらためて意識を集中する。

 こちらに頭を向けたということは、バッタも一戦交えるつもりなのだろう。



 敵がゲームと同じ動きをするならば、おそらく初手は向こうの頭突きから始まる。

 それを受けるのはジャイルズで、タイミングよくガードに成功すれば反撃のチャンスが生まれるが、失敗すると吹き飛ばされ、ダメージを受ける。


 欲を言えば盾が欲しい。ゲーム中では盾はガード判定を大幅にかさ上げしてくれるアイテムだった。

 が、ないものはしょうがない。木剣を構え、突っ込んできたところを迎え撃ってもらう。


 もしジャイルズがガードに失敗しても、敵も一瞬だけ動きを止めるはずなので、そこを俺とスタニエフでボコる。そういう作戦を立てた。

 あとは、どのタイミングで敵が動くかだ。




 距離が五メートルを切った時だった。

 ジャイルズが枯葉を踏み、カサ、と音を立てた瞬間、それは起こった。


 ビョン!


 緑の塊が、目にも止まらぬ速さでジャイルズに突っ込んで来る。


「ふんっ!!」


 かざした木剣に力を入れるジャイルズ。


 直後、ドン、と音を立てて、仲間のデカい体躯が揺れる。


「ぐうっ……」


 崩れ落ちるジャイルズ。


「くそ、ガード失敗だ!」


 俺とスタニエフは、慌ててジャイルズの左右に回り込む。


 うずくまるジャイルズとバッタ。

 俺はすぐに木剣を振りかざす。


「くらえっ!」


 ドンッ!


「ぐはっ……!!」


 刹那、左脇腹に強烈な衝撃を受け、俺は吹き飛ばされた。

 そしてそのまま地面に叩きつけられる。


「ぐっ……」


 やられた脇腹が、地面に衝突した右肩が、ズキズキと痛む。激痛で息ができない。


「う…………」


 俺は霞む目で、先ほどまで自分が立っていたあたりを見た。


 緑色の物体、バッタだ。

 ジャイルズの足元には……まださっきのがいる。

 こいつは別の個体だ!

 くそ。草むらにもう一匹隠れてやがった。


「ス、スタニエフ」


 突然吹き飛ばされた俺と、新たに出現した敵の間に視線を彷徨わせて呆然としている、無傷の子分の名を呼ぶ。


「は、はひっ?!」


「攻撃を……」


 言いかけた瞬間、ドン、という音とともに、スタニエフの体が宙を舞った。

 最初の個体が再び頭突きをかましたのだ。


「こんにゃろ……っ!」


 ジャイルズが立ち上がり、スタニエフを攻撃して無防備になっているバッタに斬りかかる。

 が……


「ゴフッ!!」


 今度はジャイルズが吹き飛ばされた。今のは二匹目の仕業だ。



 やばい、やばい、やばい…………。焦りが脳内を駆け巡る。

 タイミングが悪い。全てが裏目に出ている。

 落ち着け、俺。

 そうだ、回復アイテムを……。


 地面に転がったまま、腰のベルトに引っかけたアイテム袋を弄ると、指が少しだけ弾力のある何かに触れた。

 それを取り出し、目の前に持ってきて確認する。

 赤色のキャンディ。HPを回復する魔法アイテム、アップルキャンディだ。


 口に入れてクチャクチャ噛むと、ひと噛みごとに、すう、と痛みがひいていく。

 すげえ!

 魔法のアイテムすげえ!!


「よし! これでなんとか……」


 子分たちに使うため、袋からもう二個、赤いキャンディを取り出す。

 膝をついて半立ちになると、そのキャンディを子分たちに向かって一個ずつ投げつけた。


 パシュッ

 パシュッ


 飛んでいった一口大のキャンディは、子分たちに当たると小さく弾け飛び、キラキラと光る粒子になって二人の全身を包む。


 直接口に入れるのに比べると効果は少し落ちるらしいが、それでもうちらくらいのHPだとフル回復してくれる。


「よしっ!!」


 効果を確認して立ち上がり、ジャイルズを襲った敵に向かって走り寄ろうとする。が……


 ドンッ!


「かはっ!!」


 右胸に強烈な一撃が走り、今度は後ろに吹き飛ばされた。

 背中から叩きつけられ、その勢いで強かに後頭部を打ちつける。


「……っ!」


 もう一度回復を……!

 瞬間的に、起き上がろうと身を起こす。


 が、突然、足の力が抜ける。

 なぜか踏ん張れない。


「……へ?」


 中腰の状態から、ドサ、と後ろに倒れた。


 世界がまわる。

 意識が遠のく……。


 ああ……。

 二匹の雑魚(バッタ)相手に、一太刀も入れられないまま全滅か。

 これ、なんて無理ゲー?



 何かが、腹の上に乗った。


 薄れゆく意識の中、最後に見たのは、化け物バッタの黒く大きな目が、無感情に俺を見下ろしている光景だった。

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