続中編
学校に呼び出された日の夜遅く。
私は、思いつめた顔で双子の寝室のまえに立っていた。使用人はすでに休んでいて、暗い廊下には、夜着を身につけた私の他には誰もいない。
コンコンと扉をノックすると、大きなシャツをざっくりと着た咲が顔を出した。
「薔子さま。こんな遅い時間にどうしたの?」
「二人に話があるの。中に入ってもいいかしら」
「……どうぞ」
緊張しながら足を踏み入れる。
眠る支度は終えていたようで、サイドランプ以外の照明は落とされていた。
カーテンが開け放されて月光がさし込んでいるため、思っていたよりは明るいが、静謐な光は、ざわついた私の心境には合わなかった。
大型の西洋ベッドに横たわって、革張りのレポートブックを開いていた蕾は、怪訝な顔をした。
「こんな夜更けにどうしたんだ」
「話があるの。……二人とも、まだその寝台で眠っているのね」
双子のさがなのか、蕾と咲は離れるのをひどく嫌がる。そのため、部屋は共用だ。
寝相が悪くても転がり落ちてしまわないように、寝台は、大人が四人は並べる大きさのものを外国から取り寄せてもらった。
窓際には書き物机が二つ並んでおり、片方の椅子が引き出されたままになっていた。粗雑な扱いを見るに、こちらが咲のデスクだろう。
かの机のうえでは植物の種子が割られていて、わずかに開けた窓から吹き込む夜風が、植物図鑑をパラパラとめくっていた。
きょろきょろと落ち着かない私を、寝台に腰かけた咲が見上げてくる。
「それで、お話ってなに?」
「……今日、学長からお呼び出しがあって、二人の学舎に行ってきたのよ。繁華街でよく似た双子が目撃されたそうだわ。二人は、その……カフェーのような盛り場に、出入りしていたの?」
本来であれば口にするのも嫌な話題だ。だが、私は双子の養母である。学生の身分でありながら、放蕩と過ごしているならば、叱らなくてはならない。
意を決した問いかけだったが、咲はぷっと吹きだした。
「みまちがいだよ。カフェーって、女性の給仕が近接してくる酒場でしょう。そりゃあ、僕らもお年頃だもの。繁華街に興味を持っている級友はいるし、昼休みに猥談が出ることもあるけれど、僕も蕾も、そういうところにいる女性には興味がないから」
「ほんとうに?」
「だって、こんなに美しい人が側に居るんだもの。他に目移りなんか出来ないでしょう」
腕を伸ばした咲は、私の黒髪を一房、指にからめて、うっとりと目を細める。
「安心して。僕らは薔子さまを泣かせるような真似はしない」
「嘘を吐かないで」
昼間の光景がよみがえって、私は咲から距離を取るように後ろに下がった。
骨張った長い指から、するりと髪先が逃げ出す。それは、幼子が遊びで垂らした糸で釣り上げられた細い魚が、手から跳ね出すときに似ていた。
「学舎からの帰りに、二人が女学生連れで裏路地へ入っていくのを見たわ。異性との不純な交遊は校則で禁じられているのに、なぜあんなことを?」
詰問すると、咲はくるりと振り返り、溜め息をついた蕾と視線を合わせた。
「バレちゃった」
「お前が目立つからだ」
「目立っていたのは蕾の方だよ?」
「文句はベタベタとくっついてきたあの女に言え」
自省の色が見えられない言葉の応酬に、私の体温は急激に冷えていった。
「二人とも、どうしてそんな風になってしまったの」
双子がこんな風に悪びれない性格だとは知らなかった。
二人とも、私の前ではお利口で優しくて聡明で、盛り場に出入りしたり、嘘をついて追求を誤魔化したりする子どもではなかったのに。
(私の育て方が間違っていたのかもしれない)
そう思うと、胸がずんと重くなる。
せめて、蕾と咲がこれ以上、道を踏み外さないようにしなくては。
「二人とも反省なさい。学長には、不良の振る舞いを指導して、改心させたとご報告申し上げます。連れていた女学生の親御さんにも、お詫びをしなくてはならないわね。それから――」
「「薔子さま」」
踵を返した私は、腕を引かれて引き戻される。
あ、と思ったときには、ベッドに仰向けに転がされていた。
「蕾……咲……なにをするの……」
おどろく私の両肩を、蕾と咲それぞれの手が押さえつける。
陰影の濃い顔だちには、薄笑いまで浮かべている。
「謝るよ。秘密にしていてごめんなさい、薔子さま。女学生にはお願い事があって近づいたんだ。彼女達のお父さまが輸入に明るいって聞いたから」
「舶来品を手に入れたかった。大量に。そうでなければ、女学生に声を掛けるはずもない」
「欲しい物があるなら、いつものように私に言えばよろしかったでしょうに。何を手に入れたかったの?」
「「薔薇の種が」」
その理由は、仏頂面の蕾が教えてくれた。
大量に欲していたのは、閑散としている垣之内邸の庭いっぱいに、薔薇を咲かせるため。私に頼まなかったのは、秘密にしておいて私を驚かせるためだった。
店で売られいている挿し木の薔薇では駄目らしい。
――なぜならば、葉室が薔薇の種子を国内に運び入れているから。
「どうして、葉室さまと張り合おうとしたの?」
私の問いかけには、咲が可憐な笑顔で堪えてくれた。
「薔薇の種子ぐらい僕らだって手に入れられる。だから、葉室を後添いの夫として迎えなくてもいいんだよ。僕と蕾で薔子さまを幸せにしてあげるんだから」
「そのために二人で帝大に進み、いずれ政界に食い込んで、垣之内家の影響力を確固たるものにする。あなたが再婚をして、有力者をこの家に入れる必要はない」
「そんなこと、私は望んでいません……!」
恐怖を感じて身じろぎすると、肩を押さえる手に体重がかかった。
ふかふかした寝台に沈んでいく体に抗って、懸命に声を出す。
「再婚は、垣之内のお家のためではありません! あなたたちに、良き伴侶を迎えるためです。私が身を固めれば、二人に良い縁談が持ち込まれると、そう思ったから……!」
「? 縁談など必要ないが」
「そうだね、全く必要ないよ。僕も蕾も結婚はしないもの」
「馬鹿なことを言わないで。この牢獄のような家で、死ぬまで私とともにいるつもり!? そんな苦しい人生を、あなたたちに味合わせるなんて、私は嫌よ!」
涙目で叫ぶと、蕾と咲は怯んだ。今まで彼らの前で取り乱したことは無かったから、当然と言えば当然だ。
力が緩んだ隙に、私は腕を伸ばして二人の頭を抱き寄せる。
「私は、二人に幸せになって欲しいの。垣之内に迎え入れられても、幸せはつかめると証明して欲しいの」
私が必死に彼らを育ててきたのは、さまざまなものへの復讐でもあった。
政略結婚への、垣之内家への、亡くなった夫への、こんな身の上の女を生み出した社会への、当てつけだった。
それが間違っていたのだ。
双子にとって今の私は、私を閉じ込めた垣之内家そのものになっている。幸せな結婚をして、幸せになって欲しいのに、自らこの家に留まろうとしている。
自己嫌悪で目眩がした。
「蕾、咲、大好きよ……。こんな家、潰してしまっていいの。だから、あなたたちは、私から自由になって……しあわせに、なって……」
ぐるぐると頭の中が回る。
意識は混濁し、遠くなっていく――。
気を飛ばした薔子に抱かれていた双子は、すすり泣くように「幸せになって」と呟いていた彼女の寝息が聞こえ始めると、静かに起き上がった。
薔子の白くて細い腕が、シーツのうえにぱたりと落ちる。
「今日の薔子さま、不安定だったね」
咲は、むうと頬を膨らまして、寝乱れた薔子の夜着を直した。
「かわいい寝顔なんか晒しちゃって。側にいるのは狼二匹だって分かってないよね」
「食われることはないと思っているんだろうな。自分に鋭い刺でもあると思っているんじゃないのか」
蕾はそっと薔子を抱きあげて、ベッドの中央に横たわらせた。
華奢な体は、まるで人形のように投げ出される。無防備なその姿が、双子の嗜好を毒のように侵してきたとは、考えもしないに違いない。
「この人は昔から、俺たちを抱き寄せたり、大好きだと言ったり、共寝しようとしたりは頻繁にあっただろう」
「他にどう子育てしていいか分からなかったんだろうね。十歳の男なんて、異性に劣情を抱き始める年頃なのに」
二人でシーツをかけてやり、薔子の隣に横たわった。
髪を指で梳いて遊ぶ咲を横目に、蕾は閉じていた革張りを再び開く。
「気づかれなかったな。こちらには」
中には、かつて薔子に縁談を持ってきた男たちの目録がおさめられている。
「まさか、僕たちがずっと再婚させないようにしてきたなんて、予想もしないでしょ。それより早く寝ようよ。薔子さまと添い寝なんて久しぶり!」
「子どもみたいにはしゃぐな。起きてしまうだろう」
「大丈夫だよ。寝物語を読んでいるうちに、いつも先に寝ちゃって、朝まで起きない人なんだから」
蕾は、本を閉じて寝台の下に仕舞うと、薔子に顔を向けて横たわる。
そして、咲は左頬に、蕾は右頬に、小さな口付けを落とした。
「「あなたを愛してる」」
幸か不幸か、薔子は己がそんな風に扱われているとは知らないまま、空が白むまで眠り続けたのだった。
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