13話_妹と恋とカフェオレ
これは、スカーレットがシオリにちょっかいを出し始めた頃のミュウのお話──。
◆◆◆◆◆
その日、私は苛立っていた。お邪魔虫が増えたからだ。
元々は天界に姉を連れ戻すのが目的だったが、気が付けば邪魔なサキュバスも地上界に降りてきていた。私はスカーレットのことが大嫌いだった。
自分のことを理解して優しくしてくれた姉とは違い、スカーレットは自分にとって対極に位置する存在だった。
身長、天使、サキュバスの能力。
バスト、ヒップ、云々。女の魅力は全て劣る。そういう風に感じていた。
加えてスカーレットの人の神経を逆なでする奔放な性格。
「気に入らないわ…」
姉様とシオリという自分にとって居心地の良くなりそうな居場所に、いきなり現れて土足で荒らされたようでとても気分が悪かった。
「はい、ミュウちゃん」
私の前に冷たいカフェオレを出す初老の男性。
ひょろっとした上背に髪は短髪、白髪で丸縁の眼鏡。
清潔感のあるグレーのベストに黒のパンツ。如何にも紳士、といった風体の男性。
柔和な表情からは、様々な経験を積んできたであろう、しわが刻まれている。
「……いただくわ」
ぶすっとした表情のまま、ストローに口を付ける。
ちなみに、私は今仕事中。
私は今、喫茶店らーぷらすの主人
それ以来、代わりに時間が空いている時にはウエイトレスとして手伝うようにしている。
源十郎が別に頼んできたわけではないのだけれど、無償でずっと世話になっていることに対して何かしなければという気持ちになったのもあって、せめてものお返しだった。
今は客が誰もいないので、カウンターに座って床に届かない足をぶらぶらさせながら源十郎の話を黙って聞いている。源十郎の話は決まって同じなので、記憶したタイミングで相槌を返す。
夕方前の時間帯は空いているのでこうしていることが多いけれど、昼や夕方過ぎになるとサラリーマンで席が埋まる。白いシャツ黒いスカート、に黒いエプロン姿のスタンダードなウエイトレス姿はおじさん達に大変人気で、私にぞんざいな扱いをされるのがかえってたまらないみたい。変態が多いみたいね。
そんなわけで角も特に隠していない。
ウエイトレスといいつつ、接し方を特に変えたりはしていない。
源十郎からもそれがかえって良いと言われた。中には私の罵声を浴びたくてやってくる稀有な客もいるみたい。
ちなみに、私はサキュバスの能力が弱い。
姉妹の中で一番弱いのもずっとぬぐえないコンプレックスだったりする。
「ミュウちゃん、気分悪かったら今日は休んでもいいんだよ?いつも働いてもらっちゃってるし」
「別にかまわないわ。げんじゅうろうには世話になっていることだし」
店主のこともずっとげんじゅうろうと呼んでいる。
「そうかい、それじゃ頼むよ。ミュウちゃんがいてくれると、お店が繁盛するから大助かりだ」
源十郎は無邪気にニシシと笑うと拭いていたグラスを棚にしまい始めた。
17時。
夕方のお店が開く時間だ。数分すると、ちらほらと客が入ってくる。
「ミュウちゃん、はいこれ」
小太りで眼鏡をかけた人のよさそうなサラリーマンが紙袋を手渡してくる。
中にはガリアーなの高級チョコレートが入っていた。小さい箱にしたってなかなかな物だ。
ここの客はなにかと私にプレゼントを送りたがる。別に受け取って嫌なものはないから受け取るけれど、そんなに余裕あるのかしら。
「別にいらないって言ったじゃない」
「でも、ミュウちゃんが欲しいって言ってたの聞いたからさ~」
「一体誰に聞いたのよ…。まぁいいわ、受け取ってあげる」
「くぅ~、今日も可愛い~」
傍から見ていると、辛辣な対応に見えるのだけれどそれが良いらしい。
その後も、次々とプレゼントを受け取り、ちぎっては投げ、ちぎっては投げていく(明らかにプレゼントを受け取る対応の仕方ではないと思う)。その対応は塩対応を通り越して、もはや別のなにかだ。にもかかわらず客は皆満足そうに帰っていく。私にはよくわからない。
ピークを過ぎ、少し落ち着いた頃新しく客が入ってきた。
それは女に連れられてきたシオリだった。
びっくりしてテーブルに置こうとしたコーヒーをそのまま落としそうになる(客が天才的な瞬発力でキャッチした)。
「あれ、ミュウじゃないか」
こちらに気が付いて声をかけてくるシオリ。一気に頭が真っ白になる。
今までになったことのない感情。
「な、な、なんであなたがここに」
動揺を隠そうとするが手が震えてしまい、上手くごまかせない。
おかしいわ、百戦錬磨数多の男を手玉にとってきた(と思っている)私がこんな男一人に。
「香山がどうしても食べさせたいケーキがあるって言うから、無理矢理……」
「天寿くん、知り合い?」
後ろから顔を出すポニーテールの女、こいつが香山か。以前姉様の話で聞いたことがある。シオリ、姉様がいるのに別な女とこんなところに来て……。
バキッ。
注文を取るためのボールペンが勢いよく折れる(すかさず新しい新品の万年筆と入れ替えるサラリーマン)。
たしかにここのホットケーキは美味しいけれど、それは百歩譲って姉様と来る
ものではないかしら……。
怒りが沸々と沸いてくる。
「おじいちゃん、久しぶり!」
「おお、なるみじゃないか!よく来たね!!」
源十郎、やけに香山と親しそうね。知り合いだったのかしら。
「あれが久しぶりに食べたくなっちゃって。3つ、お願い!」
「可愛い孫に頼まれちゃぁ仕方ないな。3つ?なのかい?」
「いいの、後からもう1人来るから」
そう言って香山は奥の席へと移動する。源十郎に軽く挨拶をして、着いていくシオリ。
しばらくすると、また1人新しく客が入ってきた。
おそるおそる扉を開ける女性。
品のあるスカーフに白いセーター、長めの刺繍が入ったスカートにブーツを履いている。
姉様、とても綺麗だわ。
「あっ!ソフィアー!こっちー!」
姉様に気付いた香山は店の中から大きく手を振る。なかなかやかましい女ね。
「あっ、なるみ。シオリ!」
嬉しそうな姉様の声。それと同時に心が何故か少しズキンと音を立てる。
「ミュウ?あなたがどうしてここに?」
私に気付いた姉様がきょとんとした顔をしている。
「私、ここで働いてるの」
「へぇ、しっかりお仕事してるのね。えらいわ、ミュウ」
そう言って優しくなでてくる。他の人間だったら壁際まで吹き飛ばしているところだが
姉様だけは例外。あと、あの男も……。
「ソフィア、迷わず来れて良かったよ」
優しく姉様を招くシオリを、少し離れて見る。
それを見る姉様の嬉しそうな笑顔がとてもまぶしい。
天界にいた時は、私たち姉妹以外には目を合わせることのできなかった(唯一あの天使はいたけれど)姉様しか知らないから、それはとても不思議な光景に思えた。姉様をこんなに笑顔にできる相手がいるなんて…。
ぼーっと立っていたら、何故か源十郎が私もあの中に混ざるよう促してきた。
「孫とミュウちゃんの友達が知り合いだったとはね。お店も落ち着いたし、話をしてくるといい。ミュウちゃんの分もホットケーキつくってあげるから」
「別にいいわよ」
源十郎の好意は悪い気分はしないけれど、別に姉様たちの輪に入りたいわけではない。
それだと言うのに、まわりの常連サラリーマンたちも姉様たちになにかと気を遣いだす。
気付けば4人席のシオリの隣に座る羽目になっていた。向かいには香山。シオリの向かいに姉様が座っている。心臓が少しドキドキしてくる。
「ミュウがここのお店で働いてるとはな」
「な、なによ。悪いの」
「いや、今まで人間界のどこにいるんだろうって思ってたからさ。聞けば香山のお爺さんのお店みたいだし。安心したよ」
ホッとした表情を見せるシオリ。この男は本当に裏表がない。いつでも受け入れてくれそうな感じが、今まで会った人にはない大きな違いだ。自分のことを心配してくれていたことを知って、少し嬉しくなる。
「ミュウちゃん、私は香山鳴海。よろしくね」
この女はどうでもいいわ。少しやかましいし。源十郎の孫らしいから無碍にはしないけれど。
「ミュウよ。よろしく」
「ミュウ、その制服似合っているわ。素敵よ」
「ありがとう姉様。なんてことはない、ただの給仕服よ」
「僕も似合ってると思う」
「あ、あ、あなたは黙ってなさい」
急に褒めるなんて卑怯よ。いきなり褒められては心がどぎまぎするじゃない。
(ミュウが今まで見せたことのない表情に、密かに興奮し出すサラリーマンギャラリーと源十郎)
「可愛いウエイトレスのおかげでお店が大繁盛っておじいちゃん言ってたけど、ソフィアの妹さんのことだったのね」
「まさか、こんな繋がりがあるとは思わなかったわ」
「そうだね、世間は狭いねぇ。おっ、ケーキ出来たみたいだよ」
ホットケーキの良い匂いがしてくる。現十郎のつくる二段重ねホットケーキは厚みと柔らかさが絶妙で、バターとメイプルシロップが合わさると、それはもう極上の美味しさとなる。
ケーキを運んでこようとするが、源十郎にいいからと止められる。
「はい、らーぷらす特製のホットケーキ。温かいうちに召し上がれ。ミュウちゃんにはいつもお世話になってるからね、お友達の分もドリンクはサービスだ」
「いいんですか?」
「あぁ、気にせず食べておくれ」
「では、店長さんありがとうございます」
姉様がお礼をしているのを見て、雰囲気が変わったなと思う。人間界に来るまでは相手の目を見て話をするなんてなかったのに。
それも、この男のおかげなのだろうか。
「ミュウ、どうした?」
「なんでもないわ。さ、せっかくいただいたんだし、食べましょ。はい、口を開けなさい」
「う、えぇ、僕?」
人間界では、あーんという食べ物を食べさせる行為をすると相手を恥ずかしくさせることができるということを教えてもらっていたので、やってみることにする。
この男が慌てる姿は見ていて楽しいわ。
切ったホットケーキをフォークに刺し、シオリの口元まで持っていく。
ほら、照れてる照れてる。そのウブな感じ、優越感に浸れて愉快だわ。
(おお、とどよめくサラリーマン席。源十郎も目をキラキラさせている)
チラッと姉様の方を見たシオリだが観念して差し出されたホットケーキをパクッと食べる。
「おぉ、美味しい!」
「良かった!おじいちゃんのホットケーキは美味しいんだぁ、私小さい頃から食べてるから。はい、じゃあ次こっち」
パクッ
さりげに会話に加わった香山がシオリに差し出したホットケーキをインターセプト。勝手に与えようとしてるんじゃないわよ。
「あれ、もしかしてミュウちゃん食いしん坊?」
「違うわよ!シオリにあーんしていいのは私か姉様なの」
「えー!なにそれずるーい!私もあげたい!」
「香山、これ以上は恥ずかしいから…」
「あらなに、姉様のは食べられないって言うの?」
シオリに追い打ちをかける。
「え、えぇ、いや、まぁ」
シオリは自分のホットケーキを切り分けると、フォークに刺して姉様に差し出した。
「食べる側だと、恥ずかしいから。ソフィア、はい」
「わ、私ですか」
恥ずかしそうに顔を赤らめる姉様。これは新鮮だわ。シオリと姉様、2人して恥ずかしそうに見つめ合う。
「えっと、ではせっかくなので」
ホットケーキを一生懸命食べる姉様。艶っぽくて神秘的で、姉様は何をしてても素敵。
「ぶー、いいなあ」
文句を言いながら食べる香山。あなたはその位置でいいの。
その後も楽しく談笑し、姉様たちは帰って行った。暇があれば家に来なさいと言われたので気が向いたらと言っておいた。
閉店時間になり、洗い物をすませる。
「今日は色々悪かったわね」
「ミュウちゃんの楽しそうな顔を見れて私は満足だよ」
「私が?楽しそう?」
「あぁ、今まで見たことないくらい良い顔をしていたよ。シオリくんと言ったかな?彼のことずっと気になってただろう」
ガタン!!
シンクにコップを落としてしまう。
「な、な、な」
「隠さなくたっていい。孫にはまた彼を連れてくるように言っておいたから。あの笑顔をまた私たちに見せておくれ」
「余計なお世話よ…ん、私たちってなによ?」
「常連客とミュウちゃんの表情で盛り上がっててな。それは大興奮だったよ」
「なに勝手に盛り上がってるのよ!!…ま、一応感謝しとくわ」
「今日も一日ありがとう。はい」
源十郎はそう言って温かいカフェオレを出してくれた。今日はちょっと甘めだ。
何も言わなくても、その時の気分に応じて丁度よいものに調整されているのを私は知っていた。彼の凄いところだ。
「……美味しい」
「ありがとう」
源十郎はにっこり笑うと拭いたコップを棚にしまい始めた。
今日は少し騒がしかったけれど、悪くない一日だった。苛立っていた気分もいつの間にか収まっていたことに気付く。私は残りのカフェオレを飲みながら、次はいつ彼に会いに行くかを頭の中で考えていた。
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