5話_香山のリベンジと、不穏
ある日の夕暮れ。
仕事帰りのサラリーマン、塾に向かう学生と人通りがちらほらある大通り。
OLのようにグレーのスーツに身を包み、街中を歩いている金髪の女性。
腰まで伸びた髪がサラサラと揺れ、行き交う人の目を奪う。
「はい、こちらチャミュです……なんだって?状況は?……わかりました」
携帯をしまい、天を仰ぐ。
「面倒なことになったな…」
これから起こるであろう面倒な出来事に頭を抱えるチャミュであった。
◆◆◆◆◆
とある日、学校にて───。
「ごめん、天寿くん!!」
「もう、気にしなくていいよ香山。僕も覚えてないから」
両手を前に合わせて必死に謝ってくる香山鳴海(かやまなるみ)。
どうやら前のスーパーでの件(※2話参照)について謝っているらしい。
あの騒動自体は、チャミュが香山の記憶を操作して、なかったことにしているらしいのだが【私が眼鏡の子と天寿くんに何かしらの迷惑をかけた】ということだけは残っているらしく、何かにつけて謝られるのだった。
香山に謝られる度に、ソフィアの魅了を受けて解放的になった
香山の健康的な体を思い出しそうになり、必死に思いとどまる。
「ねっ、2人になにかお詫びさせて。じゃないと私の気分が収まらないの」
まぁあの記憶があったら、もう僕とは目も合わせられない感じだったんだろうな……。
本人が気の済むのであればそれでいいのかな。
「わかった、じゃあ香山の気が済むんならそれでいいよ」
「ホント!?ありがとう!!じゃあ、今度の日曜日空けといて。後で連絡するから!!」
香山は嬉しそうに笑うとポニーテールをパタパタさせながら走っていった。
◆◆◆◆◆
「なあチャミュ、香山ってあの時のことは覚えてないんだよな?」
「なんだい急に。何かあったのかい?」
久しぶりに家に来ていたチャミュに、香山のことについて聞いてみた。
「香山くんの記憶はちゃんと消してあるよ。まぁ余程インパクトはでかかっただろうから、断片自体残ってることもあるだろうけどね」
「会う度に謝られるからさ、なんか悪いなって思ってさ」
「ふむ。まあ、そこは本人の気の済むようにさせてあげるしかないんじゃないかな。本当のことを話すわけにもいかないだろう?」
「まあ、そうなんだけどさ……」
「香山さんですか?」
本を読んでいたソフィアがこちらの会話に入ってきた。
今日はさくら色の上下スウェットを着ている。
だいぶラフな格好だが、それでも上品さがあるのがソフィアの凄いところだ。
「そう、香山自身あの日のことは覚えてないんだけど、なにかお詫びをしたいんだってさ」
「お詫びというのなら、私の方こそ…」
「ソフィアは悪くないよ。まぁ、そういうことだからさ、ソフィアも日曜日一緒に来てよ」
「はい、わかりました」
「ソフィアもこっちの世界にいるなら、シオリくん以外の人間にも慣れていかないとね。丁度良い機会だろう」
サミュはテーブルにあったお茶を軽くすすった。
「そういえば、ミュウがこの家に来たんだって?」
「うん、突然やって来て。危うく殺されそうだったんだぞ」
「ははは、すまない」
ははは、じゃねーよ。
「彼女はソフィアのことが大好きでな。まわりが見えなくなるタイプなんだ。適当に相手してやってくれ。気が済んだら帰るだろう」
「見えなくなるレベルじゃないんだよな…。なぁ、これ以上面倒になることはないよな?」
チャミュに疑いの目を向ける僕。
「ふふふ」
ふふふ、じゃねー!!
軽く笑ってごまかそうとするチャミュ。
この天使、つかみ所がなくて困る。
「ミュウにこの場所を知られたということは、少なからず天界に情報は渡っているだろな。何かあった時には私に連絡してくれ」
「連絡って言ったって、どうすればいいんだよ?」
「そうか、そういえば伝えてなかったか。はい、これが私の番号だ」
チャミュの電話番号を教えてもらう。
すっかり人間界の機器を使いこなしている天使だった。
ソフィアの方はというと、機械音痴で扱いが苦手らしい。
天界の住人によっても向き不向きはあるようだ。
「そうだ、フーマルはいるのか?」
「そういえば、あいつ見かけないな。どこいったんだろうか?」
チャミュが来る時は決まって姿を消すフーマル。苦手意識があるんだろう。
「まぁいい。私はこの辺で帰るとするよ。なにかあったらその番号が連絡してくれ。仕事がなければ駆けつけよう」
「こっちがピンチの時には忙しくても駆けつけてくれ……」
その返答に、ハハハ、と笑うチャミュだった。
◆◆◆◆◆
香山との約束の日。
その日はお昼前に集合だったので、
早めに起きて、家事を一通りやることにした。
「おはようございます、ユースケ」
「おはよう、ソフィア」
視線は合わせない、声だけでやりとりをする。
一見仲が悪そうに見えるが、これが今のベストな距離の取り方みたいだ。
見過ぎなければ魅了の影響はない、というのはわかっているがなかなかお互い踏み切れない。
「家の掃除が終わったら出掛けるから、準備しといてね」
「はい」
家全体に掃除機をかけ、ゴミをまとめる。
約束の時間も近付いてきたので、家事を終わらせ出かける支度をする。
「さ、では参るか」
当然のように、ソフィアのバッグに収まっている白いモサモサ……
「フーマル、お前……」
「話は聞いていたぞ!!」
「やっぱり隠れてたんだな」
「油断していれば天界に戻されてしまうからな。奴からは隠れるようにしている」
「自信たっぷりに言うことじゃないんだよな……」
「ユースケ、フーマルも連れて行っても?」
「まあ、こいつだけ置いていくのもなんだし。連れて行こう」
1匹にさせたらソフィアの部屋で何をやらかすかわかったもんじゃない。
連れて行く方が安全だ。
「喋らないでおいてやるからさ」
「当たり前だ」
ポメラニアンが喋り出したら大問題だ。これ以上の面倒はご免こうむりたい。
フーマルをバッグの底に押し込み、僕とソフィアは家を出た。
◆◆◆◆◆
「天寿くーん!!」
香山とは近くの公園で待ち合わせをしていた。
どうやらピクニックをしようということらしい。
入口前にいた香山が、こっちに気付いて駆け寄ってくる。
「早かったね」
「香山こそ、もう着いてたんだな」
「へへ、気合い入れたら早く着いちゃった」
キャップを被り、ジャケットに短パン、スニーカーを履いている香山。
健康的な太ももが眩しい。手には大きなかごをぶら下げている。
「こんにちは、香山さん」
「こ、こんにちは。ソフィア、さん?でいいんだよね?」
「はい」
「ごめんね、会ったことあるはずだと思うんだけど記憶が曖昧で。」
はは、と頭をかきながら話す香山。
記憶を消されているんだから無理もない。
「いえ、気にしないでください」
「今日お互い改めて知り合えばいいんじゃないかな」
「そうね。よろしくね、ソフィアさん」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
ピョンッ。
ソフィアのバッグから飛び出すフーマル。
「ワン!!」
「わっ!!びっくりした!!何この動物~可愛い~!!」
出てきたフーマルを抱き寄せる香山。
香山の胸に顔をうずめるフーマル。
お前はもう犬ってことでいいんだな。僕もそう思うことにするよ。
「あはっ、くすぐったいってこら!!」
香山のジャケットの中にもぐりこもうとするエロ犬。
相変わらずの変態ポメラニアンめ…。
「と、とりあえず、移動しようか」
「そうね、あっちに良さそうな場所があるからそっちに行きましょ」
公園の奥に行き、お昼を食べるのに良さそうな場所を探す。
「ここら辺がいいかな?」
平たい草原のスペースに、ピクニックシートを敷く。そこに置かれる大きなかご。
「じゃーん!!」
自信満々に取り出す香山。
中には、色とりどりのサンドイッチ、からあげ、卵焼き、サラダが入っていた。
「おっ、凄い!!これ香山が全部つくったのか?」
「そうだよ、凄いでしょー!!」
両手を腰にあて、得意気な香山。
これの準備に結構時間かかったんだろうな。自分も料理をするから大変さがわかる。
「さ、食べて食べて!!」
「それじゃ、せっかくだからいただこうかな。いただきます」
「いただきます」
「ワン!!」
「あっ、フーマルちゃんがいると思わなかったから、特に用意してなかったんだけど。どうしよう」
「同じ物食べられるから大丈夫だよ。ほら、フーマル、降りてこい」
香山のジャケットの中から出てこないフーマル。
「ふふ、天寿くん、嫌われてるみたいね」
「ったく、香山に迷惑はかけるなよ」
フーマルのことはあきらめて、サンドイッチに手をつける。
ハムとレタスのサンドイッチ、塩気が効いていて丁度良い。
「これは美味しい!」
「ホント!!良かったぁ。いっぱいあるから、気にせず食べてね。ソフィアさんも、はい」
「ありがとうございます」
「はい、フーマルちゃんも」
「ワン!」
香山の昼食に舌鼓を打ちながら、楽しくおしゃべりをしながら時は過ぎていった──。
「あー、食べた。ご馳走さまっ」
「ご馳走さまでした」
「お粗末さま、綺麗に食べてくれて。良かった」
満足そうな顔をしている香山。
「ホント美味しかったよ、これだけつくれりゃいつ嫁に出ても恥ずかしくないな」
「よ、嫁って///全く、もう天寿くんってば!!」
バシッ!!
「いたっ!!」
照れのあまり僕をはたく香山。
「いや、ホントのことだよ。香山はいつも料理つくってるのか?」
「うん、兄弟の分もつくらないといけないからね。毎朝早起きだよ」
「親は?」
「私、父は早くに亡くなって、母も病弱で体調崩してるんだ。だから、私が頑張らないと」
香山がバイトをしていたのはそういうことなのか。合点がいった。
「そっか、えらいんだな。香山は」
「そんなえらいだなんて……。私は私の精一杯やってるだけだよ」
「香山さんは素敵なお姉さんだと思います」
「そ、そう。改めて言われるとなんか照れるね」
恥ずかしさを隠すようにキャップを深くかぶる香山。
ソフィアの様子を伺いながら、こそっと僕に耳打ちしてくる。
「ねぇ、ソフィアさんって少し機嫌悪い?1回も私と目を合わせてくれないんだけど」
「あぁ、心配しなくていい。ソフィアは恥ずかしがり屋なんだ。僕も1回も合わせたことがない」
「えぇ!?そうなの?でも…そっか。嫌われてないんだったら良かった」
ホッとする香山。
「ね、天寿くん。君とソフィアさんってどんな関係なの?」
「え?どんなって……。」
なんて答えればいいんだろう。
「親戚の知り合い、というかなんというか」
「彼女じゃないの?」
ブッ!!
口に含んだお茶を反射的に吐き出してしまう。
「ち、ちがうよ!!」
「ほんと?」
「ホントホント!!」
「ふーん、そっかぁ」
「??どうかしたのか?」
「ううん、なんでもない!!ちょっと気になったから」
そりゃまあ、気になるか。
「よし、私入れ物洗ってくるね!!」
香山は起き上がると、料理に入っていたタッパを持って水洗い場まで走っていった。
「そっか、天寿くん付き合ってるわけじゃないんだ。ふふ、そっか」
心なしか嬉しそうに笑う香山。
水洗い場までつくと、さっさと洗ってしまおうと腕まくりをする。
「ここ、空いてます?」
「あ、はい。どうぞ」
洗い物をしていると、隣に女性がやってきた。
隣の強烈な視線を感じ、ちょっと怖くなる。
「あ、あの……どうかしました?」
「あなた、綺麗な目をしてるわね」
「え?」
不意に言われた言葉に反応して、女性と目を合わせた香山。
その時、女性と香山の間に光の波紋が起きた。
────。
「香山、遅いな」
香山が水洗い場に行って15分くらい経つ。
もっと早く戻ってくると思っていたが。
「ユースケ、なんか嫌な感じがします」
真剣な表情を見せるソフィア。
「なんかって……」
「香山さんの様子、見に行きましょう」
すると、ちょうどその時香山が帰ってきた。
「香山、遅かったな。なんかあったのか?」
香山に声をかける。
「香山さん?」
なにか様子がおかしい。足取りがふらふらしている。
「香山!!」
香山の近くまでいき、顔を見る。赤く光っている瞳。
「これは……!?」
ソフィアの瞳を見てしまった時と同じ。
でも、今日はソフィアの瞳は見てないはず。なぜ?
「天寿、くん……」
香山は駆け寄った僕の両手を自分の指で絡めると、一気に押し倒してきた。
ドサッ!!
幸い床は草だったのでそれほど衝撃はなかったが、香山に完全に乗っかられた形になる。
「天寿くん……」
ジャケットを肩より下にすべらせ、腰を少しあげて短パンのファスナーに手をかける香山。
ジジジ…ファスナーがゆっくりと下ろされていき、スポーティーな香山からは想像できないビビッドなピンクの下着がちらりと見える。
「香山!!目を覚ませ!!」
前と同じような状況だ、魅了の能力にやられてしまっている。
「香山さん!!」
「ソフィア!!どうにかできないか?」
乗っかられた香山を動かすことができず、
ソフィアに助けを求める。こんなに非力じゃないはずなのに。
「魅了にかかってるみたいですね……誰がこんなことを…」
「魅了を解く手はないのか?」
「私の魅了で打ち消してあげれば、能力は消えます。でも……」
「でも?」
「直前の記憶も一緒に消えてしまいます」
今日、一緒に過ごして仲良くなった記憶も消えてしまうのか…。
でも……。
「香山をこのままにはできない!!ソフィア、頼む!!」
「……わかりました…」
ジャケットを脱ぎ、シャツを捲ろうとしている香山。
くっきりしたくびれが徐々に見えていく。
「香山さん、ごめんなさい」
ソフィアはそう言うと、銀色の眼鏡を外し、香山の瞳を見つめた。
ソフィアの瞳が赤くなり紋様が浮かび上がる。
バチン!!
激しい音とともに、香山のまわりにあった見えない膜がガラスのように砕け散った。
意識を失い倒れ込む香山。それを支えるソフィア。
「上手くいったみたいです…」
「そっか…ありがとう」
僕は草原に倒れながらソフィアにお礼を言った。
◆◆◆◆◆
「……ハッ!!?」
意識を取り戻し、ガバッと起き上がる香山。
「大丈夫か?」
「…天寿くん?ここどこ?あれ、天寿くんに会うのは明日じゃ…」
「ここは公園だよ。香山、疲れてたんじゃないかな。公園についたらぐっすり寝ちゃったよ」
苦しい嘘だが、そういう他ない。
「え、うそ!!もう日曜日?お弁当は?」
「ちゃんといただいた。美味しかったよ」
「あ、お弁当は持ってきてたんだ……。
ごめん、昨日の夜から、全然覚えてなくて」
「香山の気持ちは十分伝わったから。今日は楽しかったよ」
「天寿くん…優しいね」
香山はキャップを上げてニコッと笑った。
◆◆◆◆◆
香山と公園で別れての帰り道。
「香山さん、大丈夫でしょうか?」
「今日の記憶はなくなっちゃってたけど、大事にならなくて良かったよ」
「あの瞳、明らかにサキュバスの魅了にかかった瞳でした」
「じゃあ、やっぱりこの街にソフィア以外にもサキュバスがいるってことか」
「えぇ、ただ目的がなんなのか……」
沈黙が続く。このままだと暗くなってしまう、なにか別の話題を…。
その時、僕はふと思い出した。
「ソフィア、覚えてる?さっき、香山を助ける時、僕と目を合わせたの」
僕は気付いていた。
香山を救おうと考えを巡らせていた時、しっかりとアイコンタクトをとっていたことを。
「え、咄嗟のことだったので……」
「ちゃんと見てたよ。それに、僕は魅了にはかかってない。大丈夫なんだよ」
「これからは、その、ちゃんとソフィアの顔を見て話したい、なんて」
「ユースケ……、えっと、その、私もできれば、そう、したいな、と」
もじもじと恥ずかしそうにするソフィア
「ソフィア」
ソフィアの正面に向き直り、
「1、2、3で合わせるよ?」
「は、はい…」
「1、2、3」
ソフィアの顔を見る。
が、しかし僕はいつもの癖で若干右下の方を見てしまい、
ソフィアはソフィアで僕の視線とは反対の方向を見てしまっていた。
「ふ、ふふっ……」
「ははっ」
そんな光景がおかしくて笑い出す2人。
「ゆっくり、慣れていこうか」
「はい、そうですね」
2人は互いに笑うと、家までの道のりを歩いて帰った。
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