第16話 あの日あのとき
「エル様に苦手なものがあるなんて意外でしたわ。私、何でもできると思ってました」
「だれにだって苦手なことくらいあるものさ。パメラだってあるだろう?」
一緒に食事を取りながら、今朝の出来事についての反省会を始めた。もちろん反省するのは俺だけなのであるが。言葉だけで謝るのはダメだ。しっかりと対策をとらないことにはまた同じことをしてしまう。
今回は服を着ていたから、まだ、良かった。もし服を着ていなかったとしたら、俺が寝ぼけたままパメラをお嫁にいけない体にしてしまうかも知れない。考えただけでも恐ろしい。これはベッドを別々にした方がいいかも知れないな。
「そうですわね、私はクモが苦手ですわ。いえ、きっと足がたくさんあるのが苦手なんですわ」
どうやらパメラは俺の質問に真剣にあごに手を当てながら考えてくれていたようである。真面目! こんな素直で真面目な子を俺の汚い手で汚してはいけないような気がする。たとえそれが本人の望みだったとしてもだ。
「そうか。多脚生物を嫌う者は結構いるな。なるべくそれらの生物には会わないように仕事場を選ぶことにするよ」
その生き物を想像したのか、苦虫をかみつぶしたような表情をしたパメラ。ごめん、ご飯をまずくさせてしまったね。
「少し考えたんだが、俺たちは、まだ別々のベッドで寝た方がいいんじゃないかな。何かの間違いがあったら、パメラも困るだろう?」
パメラの目が大きく見開かれた。その目にじわりと雫が浮かび上がってくる。はわわ。
「ぱ、パメラ!?」
「どうしてですか? 私はまったく困りませんのに……」
ついにハラハラと涙をこぼし始めた。今の会話、泣くところあった!? 乙女心、思った以上に複雑なようである。あっあっとなりながらパメラの背中をさすった。
「あーあ、ご主人様がパメラを泣かせちゃった。ご主人様もいい加減にあきらめたらいいのに。これだけ良い子はそうそういないよ?」
そんな風に俺を説得し始めたシロを、大事そうにパメラが膝の上で抱えた。頼もしい仲間ができたと思っているようだ。なんでなん。普通、主の俺をフォローするべきだろうに。
あっ、もしかして、母上からの通信がシロに来てるのかも知れない。そして「何としてでもパメラをゲットしろ」という指令が下されているのではなかろうか。それなら辻褄が合うぞ。
だがここで負けるわけにはいかない。
お風呂場での「一緒に入る、入らないの戦い」では負けたが、ベッドでの「一緒に寝る、寝ないの戦い」で勝ってイーブンに持ち込むのだ。
「確かにシロの言う通りだ。パメラは俺にはもったいないくらい良い子だ。だからこそ、俺はパメラに自分の体を大事にして欲しいんだよ。簡単にどんな男にでも抱かれるようなレディーになって欲しくない」
「おー、ご主人様もちゃんと考えているんだね」
どうだ、シロ。これなら文句はあるまいて。
「どんな男にでも抱かれたいわけではありませんわ。エル様ただ一人に抱かれたいのです」
突き刺すような視線が静かに俺を見ている。あの目は本気だ。本気でそう思っている。どうしてこうなった。俺とパメラはあのときに一度だけ会ったことがあるだけだぞ。しかもチラッと目を合わせただけに過ぎないのだ。
あのときパメラは馬車に乗って伯爵家に帰宅している途中だった。予想外に帰りが遅くなってしまったのか、時刻はすでに日が沈む間際。
そのとき運が悪いことに魔物の群れに襲われたのだ。なぜこんなところにオークの群れがいたのかは分からない。探知の魔法に反応があったので慌てて向かってみると、すでに馬車は囲まれていた。
連れていた護衛も必死に戦っていたようだが、多勢に無勢。しかも日が暮れかけており、辺りは闇に沈もうとしていた。あの状態だと、とても周囲を明るくする暇はないだろう。ますます不利な状況になるのは目に見えていた。
「助っ人するぞ!」
そう声をかけると、魔法剣を発動した。魔法剣の光で周囲がほのかに明るくなった。その光がオークたちの浅黒い姿をハッキリと映し出した。これで少しは優位に立てるようになったはずだ。
俺が発動した魔法剣は光属性。切れ味は抜群である。チラリと見えた馬車の窓からお姫様が乗っているのが見えた。はらわたをぶちまけた死体が散乱する光景を見たらトラウマになることだろう。だが、生き残るためには致し方なし。
オークは賢い魔物ではないが、俺が加わったことで戦況がひっくり返りつつあることを察した個体がいたようである。群れの中でも一番大きな個体が俺に向かって飛びかかってきた。
ハイオークか。この群れの主なのだろう。剣と盾、それに鎧で武装している。どこかで拾ったと思われる、鈍く光る幅広の剣を振り回してこちらに向かってきた。
その剣を真っ二つに切断すると、そのままの勢いで首と胴体を切り離した。
ガシャンと音を立てて倒れるハイオーク。それを見たほかのオークたちの動きが止まった。司令官がやられたことで、早くも統率が取れなくなったようである。群れで動く個体にはよくあることである。
あとは全軍撤退するか、そのまま殲滅されるかだが……どうやら撤退を選んだようである。オークたちは散り散りになり敗走を始めた。護衛たちの顔に安堵の表情が浮かんでいる。
魔法剣を解除し、何事もなかったかのようにその場を去ろうとしたとき、立派な鎧を身につけた人物に止められた。この人が指揮官なのだろう。
「ご助力、感謝いたします。私はライネック伯爵家に使えるスコットという者です。お嬢様を助けていただいたお礼を、ぜひとも受けていただけませんか?」
「礼には及ばない。それにしても、伯爵家のご令嬢が乗っているにしてはお粗末なんじゃないのか?」
ジロリとスコットを睨んだ。多勢に無勢とはいえ、オークごときで苦戦するようでは何のための護衛なのか。
「面目ありません」
シュンとうなだれた。そしてそのとき、俺は悟った。これがこの大陸の人間の実力なのではないだろうか。自分が生まれ育った国と同じように考えてはいけない。向こうでは大したことのない魔物だが、ここでもそうとは限らないのだ。
「まあいい。守りの魔法をかけておく。無事に伯爵家まで送り届けるように」
「あの、どうしても来ていただけませんか?」
「悪いが俺はただの冒険者なんでな。伯爵家に呼ばれるような人種じゃない」
「それでは、せめてお名前だけでもお聞かせ願えませんか?」
なおも食い下がってくる指揮官。名前ねぇ、どうしよう。この大陸に骨を埋めるつもりなら、あまり無礼を働いて伯爵家に睨まれるのはまずいだろう。敵はなるべく作らない方がいいに決まっている。
チラリと馬車をみると、涙を浮かべた青い瞳と目が合った。
「エルネストだ」
指揮官にそう告げると、俺は先ほどから気になっていた方角へと足を向けた。
伯爵家の集団のほかに、もう一つ近くに集団があることを探知の魔法が告げていた。あの距離なら、こちら側の声が届いていたはずなのに助けには来なかった。
怪しい。あのオークの群れと何か関係があるのではないか。そう思って進んで行くと、馬のいななく声が聞こえた。それが合図になったかのように、その集団がそこからどこかへと去って行った。
どうやら俺が近づいていることに気がついたようである。となれば、探知の魔法を使える魔法使いがいたのだろう。それならば、なおさらなぜ助けに行かなかったのか。
気にはなったが、深入りする必要はないだろう。俺には関係のないことだ。
そのときはそう思っていた。こんなことになるのなら、追跡してどこのだれなのかを調べておけば良かった。きっとろくでもないやつに違いない。
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