第14話 夜の攻防戦その二

 召喚獣の勉強は室内を照らすランプの魔道具に明かりともしたところで終わりになった。いつの間にか窓の外は夕暮れに染まり、オレンジ色の光で木組みの床が塗りつぶされていた。


「ああ、もうこんな時間ですわ。まだやれますのに……」


 残念そうにつぶやくパメラ。「それなら俺が夕飯の準備をするから、本を読んでおいていいよ」と言うと断固拒否された。「料理を作るのは奴隷の大事な仕事。私も準備します」だそうである。

 この数日間でパメラの料理の腕を疑う必要はなくなった。包丁を握る手も、フライパンを扱う仕草も、そこには危険が無いように思える。


 しかしそれでも、パメラは伯爵家の生粋のお嬢様。万が一があってはならない。回復魔法があるとはいえ、深い傷を負えば傷跡が残ることもあるのだ。


 俺はいつも通りパメラと一緒に台所に立つと、フォローしながら立ち回った。

 一人のときは外食することも多かったが、それでも自分一人で料理を作って食べることもそれなりにあった。まだまだ料理の腕ではパメラに負けない自信がある。


 今日の料理は豚肉の生姜焼きだ。生姜の香りが部屋中に充満して食欲をそそる。生姜焼きには米が合う。久しぶりに白米を炊き上げると、冷めないうちに夕食を食べた。


「うん、美味しい。ふっくらジューシーに仕上がったね」

「はい。エル様のおかげで美味しくできましたわ」


 パメラの口にも合ったようだ。貴族がこんな庶民的な料理を食べるのか疑問だったが、取り越し苦労だったようである。ご飯と交互に生姜焼きを口に運んでいた。その所作はさすがである。音もたてずに食事をする様はまさに貴族としての完璧なテーブルマナー。どう考えても奴隷というのには無理がある。


 そんなことを言っている自分もなんちゃって王子なので、やろうと思えばそれなりの作法で食事を食べることはできる。だがやらない。せっかく城から外に出ているのだ。そんな味も何もかも分からない食べ方よりも、美味しく好きなように食べた方がいいに決まっている。


「明日からしばらくの間は今日のような動きでいくからそのつもりでいてね」

「わかりましたわ。でも、お仕事は大丈夫なのでしょうか?」

「お金は金蔵の底が抜けるくらい持っているから心配ない。問題があるとすれば、直接依頼が来るかどうかだな」


 この大陸のプラチナ級冒険者は俺を含めて四パーティーが存在している。ちまたでは四天王とか言われているらしい。知らんけど。

 プラチナ級冒険者が駆り出される依頼のほとんどは、そいつらが片付けてくれる。俺に出番が回ってくるのはそいつらじゃどうしようもないときだけである。まあそんな依頼は滅多にないだろう。



 夕食も終わり、手早く後片付けを済ませた。残りはお風呂タイムと召喚魔法の勉強の時間、そして就寝の時間である。風呂は昨日と同じパターン、勉強も同じ、そのまま夜も同じに……したかったのだが。


「エル様、エル様に夜のご挨拶をすると気がついたら朝になっているのですが、お心当たりはありませんか?」


 パメラをベッドに寝かせ、部屋の明かりを消そうとしていると、不意にパメラにとめられた。

 背中に冷たい汗が流れ、パメラから視線をそらすべくランプの魔道具を見た。


「どうしたんだ、急に。慣れない環境で知らないうちに疲れがたまっているんじゃないのかな? 今日もかなりの魔力を消費していることだし、きっとすぐに眠りに就くことができるはずだよ」


 そう言ってパメラの様子とチラリと確認すると、パメラはジッとこちらを見ていた。その目は完全に据わっている。


「そうではありませんわ。たとえ疲れていたとしても、寝付きが良すぎですわ。そのくらい、さすがの私でも分かりますわ。エル様、睡眠の魔法を使っていませんか?」


 ここでパメラから目をそらすと負けだ。俺は極めて冷静に、パメラを瞬きせずにジッと見つめ返した。美しく輝く、深いブルーの瞳に魂が持って行かれそうになるのを気合いで耐える。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。


「そんな魔法、使ってないぞ」

「……本当に?」

「本当だ」


 ジッとお互いに見つめ合う。端から見れば恋人同士が寝る前に愛を確かめ合っているかのように見えるだろう。だが実際は騙す方と騙される方の駆け引きが行われているだけである。


 先に根負けしたのはパメラだった。フッと視線を下げた。勝った、勝ったぞー!

 だがパメラはあきらめたわけではなかった。すぐに枕元で丸くなっているシロの両脇をつかんで持ち上げると、お互いの目線の高さを合わせた。


「シロちゃん、エル様はああ言っていますが、本当ですか? 本当に私に眠りの魔法をかけていませんか?」


 パメラの青い瞳に見つめられたシロはすぐにスッと目をそらした。そして俺の方をチラチラとうかがうように見た。少しは頑張らんかい!


「どうかな~、ボクもすぐに寝ちゃうから分からないな~」

「本当に?」

「本当に」

「本当のことを教えてくれたら、ちゅるとろを差し上げますわ」

「あいつが犯人です!」


 ビシッとシロの腕が俺の方を指した。それを聞いたパメラがニッコリとこちらを向いてほほ笑んでいる。

 何だろう、顔は確かに笑っているのに、あの細くなった目が全く笑っていないように見える。


「やはりそうでしたか。エル様、どうしてそのようなことをするのですか?」


 シロを枕元に戻すとズズイとこちらに向かって距離を詰めて来た。シロは何事もなかったかのように、丸くなって寝るモードに入っていた。主人を裏切るとは、さすがシロ。油断ならないな。


 俺はすかさず部屋のランプを消した。枕元の小さなランプの明かりはまだついていない。突如、部屋の中が夜の帳に包まれた。

 パメラを両手で捕まえると、すぐに【眠り姫】の魔法を唱えた。腕の中でパメラがグッタリとなり、倒れかかってきた。それをしっかりと支えると、枕元のランプをつけた。


「ご主人様も硬派だね。少しくらいならお触りしてあげれば良いのに。あんまりそんなことばかりしていると、パメラが自信を無くしちゃうかもよ?」

「う、そんなこと考えたこともなかった。もしかすると、良くない?」

「良くないね」


 シロは首を左右に振るとそのまま深いため息をついた。もしかして、乙女心が分かってないのは俺だけ? こんなことになるのなら、もっと女性の心理について勉強しておくべきだった。


「どうしよう……」

「ボクに聞かれてもねぇ。そうだ、ママに聞いてみたらどうかな?」

「母上に……」


 どうしよう。確かに俺がまともに話すことができる女性は母上だけだろう。しかし、こんな話をしてもいいものだろうか。だが、パメラに自信を無くさせるのも、それはそれで嫌である。パメラにはいつも笑っていてもらいたい。貴族社会では自由に笑うことにも不自由するからね。


 俺はシロの助言に従い、意を決して母上に連絡を取った。時差を考えると、向こうはまだ夕食の前だろう。ちょうと時間があいている可能性は十分にある。でもちょっと苦手なんだよね……。

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