第7話 お風呂場での攻防

 さて、夕食の後は風呂に入って寝るだけか。うん、ここからが勝負の時間帯だな。うまくパメラを誘導しなければ、とんでもない「若さ故の過ち」を犯しかねない。


 どうしよう。大衆浴場に連れて行くという手もあるのだが、それだとパメラが風呂に入っている間の守りが弱くなる。さすがに多くの人が利用する大浴場に、猫にしか見えないシロを送り込むわけにはいかない。あそこはペット禁止だもんね。


 さすがにパメラの身に何かあるのはまずい。なるべくだれかが側にいる体勢を作っておくに越したことはないだろう。

 そうなると、家にある風呂に入ることになるわけだが――。


「エル様、お風呂の準備をしてまいりますね」


 元気そうにパメラが言ったが、足下がおぼつかない様子。ヨロヨロと深窓のお嬢様のように立ち上がった。


「いや、俺が準備をするからいい。パメラ、今日は疲れているだろう? 少し休んでおくんだ。足下がふらついているぞ」


 パメラは思った以上に疲れていたようである。それもそうか。慣れない奴隷館で待っていた挙げ句に、買い物に、料理。生粋のお嬢様であるはずのパメラは疲れているはずだ。

 だがこのことによって家で風呂に入ることが決定してしまった。ここからはますます慎重に行動せねば。


 風呂場にたどり着くと、お湯が出る魔道具を起動させて湯船にお湯を入れはじめた。魔道具から勢いよく湯気が立ち上がり、湯船を満たしてゆく。


 魔法でも湯を張ることはできるが、温度調節が難しい。その点、魔道具なら安定したお湯を出すことができる。便利な時代になったものだ。


 ちなみにこの魔道具を所有しているのは、この大陸では高位貴族くらいなものだろう。少しずつ輸入されているようだが、まだまだ値段が高い。母国では一般庶民も普通に使っていたけどね。あらためて母国とこの大陸の技術力の差を感じた。

 ほどなくしてお風呂の準備が整った。まずはパメラを風呂に入れよう。


「パメラ、お風呂が沸いたから先に入りなさい」


 ちょっと強めの口調で、命令するように言った。これで素直に言うことを聞いてくれればいいのだが。


「で、ですが、奴隷がご主人様より先にお風呂に入るのはダメですわ」


 やっぱりそうきたか。主の命令としてごり押しすることもできるが、そんなことをすればパメラが傷つくかな? いやでも、パメラのためだ。俺が先にお風呂に入っていたら、間違いなく背中を流しにやってくる。

 そのときに、俺が野獣のように襲いかかる可能性は十分にある。


「パメラ、命令する。先に風呂に入るように」

「……!! はい」


 トボトボと足取りも重く、パメラが風呂場へと向かった。これで、良いんだよね? なんだろうこの胸のモヤモヤは。もしかして、これが恋……。不意に痛み出した胸に思わず左手を当てた。嫌な汗が背中をつたう。


「ご主人様」

「どうした、シロ?」

「パメラのこと、嫌いなの?」

「いや、そんなことはないけど……」


 俺は一体どうしたいんだ? 俺は自由気ままな冒険者を、できるのなら続けたい。でも、やっぱりそれは最初から無理だったのかも知れない。そんな我が儘をいつまでも言っていられない時がきたのかも知れない。パメラと添い遂げるということは、そういうことだろう。

 ……俺もそろそろ年貢の納め時か?


 俺の返事を聞いたシロは「ふぅん」と不満げな声を上げると、どこかへと去って行った。どうやらシロはすでにパメラの味方みたいだな。できればそのままパメラを励ましてきてもらえるとうれしいのだが。


 しばらくすると、ホカホカ状態のパメラが戻ってきた。機嫌は……どうやら直っているようである。上気した顔で風呂から上がったことと、いい湯だったことを告げた。

 それを確認すると俺は風呂へと向かった。さっさと服を脱ぎ捨てると、体を洗い、湯船につかった。


 やれやれ、これでようやく一息つけそうだ。今日は大変な一日だったな。まさかこんな日が来るとは思わなかった。

 このままシロと二人で根無し草のように生きて行くつもりだったのに。二人だけなら自由に旅をすることができる。それだけで何の問題もなかったはずだ。


 ……扉の向こうから、何やらガサゴソと、いや~な音がする。シロではこれほど大きな音を立てることはできないだろう。

 この音は間違いなく、パメラが風呂場に突入しようとしている音。俺は頭を抱えた。


 確かに俺は、「入ってくるな」とは言っていなかったね~。まさかもう一度風呂に入りに来るとは思わなかった。いや、むしろ何で思わなかったのか。パメラに悪いことをしたな、と後ろめたい気持ちがあったからなのか。


 どうすればパメラを傷つけることなくこの場をやり過ごすことができる? どうしよう、どうしようと考えていると、風呂場と脱衣所を仕切っている扉が小さくきしみながら開いた。


「失礼します。エル様のお背中を流しに参りました」

「……」


 どう見ても全裸です。本当にありがとうございました。せめて、タオルを巻いてくれ!

 すでにのぼせたかのように真っ赤になったパメラ。大事な部分をピンポイントに隠しながら、それでもおずおずと入ってきた。ああああああ、負けました。私負けましたわ。


「パメラ」

「なんでしょうか」


 声が少し震えている。寒さのせいだけではなさそうだ。すぐに目をそらせたのでしっかりとは確認できなかったが、体も震えていたような気がする。


「風邪を引くといけないから、まずは湯船につかるように」

「は、はい!」


 うれしそうに俺の隣に滑り込んだパメラ。少し開いていた扉の隙間からシロがのぞいているのが分かった。……なるほど。さてはけしかけたな?

 俺が険しい表情をしていることに気がついたのか、パメラが恐る恐る聞いてきた。


「あの、エル様、怒っていますか?」


 俺は一つため息をつくと表情を緩めた。


「いいや、怒っていないよ。明日からは一緒にお風呂に入ろう。今日はもう体を洗ってしまったから、背中を流してもらうのは明日でもいいか?」

「はい、もちろんですわ! ……あの、シロちゃんのことも……」


 その言葉がうれしかったのか、パメラが俺の左腕に抱きついてきた。胸、凄! そして俺の腕を胸の谷間に挟んだまま、上目遣いで聞いてきた。

 これ、下手に腕を動かすと、当たっちゃまずい部分に当たってしまう可能性があるな。動かせないよ。

 パメラの方に視線を向けるわけにもいかず、ただただ正面の壁を見ていた。


 自分だけでなく、シロのことも許してくれるか? と聞いているのだろう。ここでもし、「パメラは許す。ただしシロ、テメーはダメだ!」とか言ったら、多分パメラが泣いちゃうんだろうなぁ。もう過ぎたことだし、許すしかないな。


「シロのことも怒ってないよ。怒るなら、こうなる事態を予測できなかった自分のことかな」

「そんな! エル様は何も悪くありませんわ。シロちゃんだって、エル様のことを本気で『ヘタレ』だなんて、思っていませんわ」


 あいつめ……余計なことをパメラに教えやがって。生粋のお嬢様が「ヘタレ」だなんて単語、知っているはずがない。間違いなくシロの仕業だろう。やっぱり「テメーはダメだ!」って言っておくべきだった。


 この分だと、間違いなく布団にも潜り込んで来ることだろう。それを踏まえて今後の作戦を練らなければならない。ないとは思いたいが、「既成事実」を作ろうと動く可能性も無きにしもあらずだからな。あああ、どうしてこうなった。


 だがまずは今の状況を何とか乗り越えねば。俺の理性が残っているうちに。持ってくれよ、俺の相棒!

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