第163話 想いを胸に

 黎星祭が終わると学園内はそれまでのどこか浮ついた空気がピリッとしたものに変わる。

 特に2年生ともなると顕著なのだが、それはそうだろう。

 2学期最後の定期試験の結果を基にいよいよ進路を選定する時期になるわけで、付属の大学があるとはいえ一定以上の成績が保たれなければ進学できないし、黎星学園大学は怠惰な生徒を受け入れるほどおおらかではない。

 ましてや実家の事業を受け継ごうという生徒たちは、そのために外部の大学を目指すことも多い。

 そのためにも2学期の期末試験は重要なイベントである。


 そのはず、なのだが、いつもなら目の前にするべきことがあれば周囲が心配するくらいのめり込む陽斗の様子がおかしい。

 授業中もどこか集中できていないようで、時折何か考え込んだり、穂乃香の方をぼんやりと見つめていたかと思うと、目が合うと茹で上がったカニのように顔を真っ赤にして俯いたりしている。

 クラスメイトや友人たちとの受け答え自体は普通で、特に体調が悪そうな様子はなく、悩みがあるふうでもない。

 ただ、穂乃香に対しては会話はするし避けているわけではないのにどこかよそよそしいというか、視線を合わせないようにしている。


 つい先日まで周囲が砂糖を大量生産しそうなほど仲が良かった男女がそんな雰囲気になれば何かあったのかと勘ぐるだろう。

 ただ、時期と陽斗の性格を理解しているクラスメイトたちはその理由をすぐに察する。

 そしてそれは穂乃香も同じようで、目が合うたびに赤くなる陽斗に時折何かを期待するかのような視線を送っていた。


「……聖夜祭」

 昼休み。

 穂乃香がセラに連行されてしまったために賢弥と壮史朗、陽斗の男子3人でやって来た食堂で昼食を摂っている途中で、不意に呟いた壮史朗の言葉に、陽斗が大げさなほど肩を震わせる。

「え、あの、天宮君、なに?」

 聞こえていないはずがないのに不器用な誤魔化しで聞き返す小さな友人に、壮史朗は苦笑する。


「四条院をファーストダンスに誘ったのか?」

 今度こそ陽斗が頭の先からつま先まで、と想像できるほど真っ赤に染まる。急激な血圧の変化が心配になるほどだ。

「え、えっと、その、あの、ま、まだ……」

 しどろもどろになりながら聞き取るのがやっとの小声で言う陽斗に、二組の心底呆れた視線が注がれる。

「誘いたいのならさっさと本人に言えば良いだろうに。断られることは無いんだから」

 壮史朗が溜め息交じりに返すが、それも当然だろう。

 

 陽斗と穂乃香がお互いを恋愛的な意味で意識していることなど、いちいち宣言するまでもなく学園中の生徒のみならず教職員ですら知っている。というか、二人が揃っているところを見れば一目瞭然なのだ。

 ところ構わず甘い空気を振りまき、突発的な胸焼けや背中のそうよう感に悩まされる生徒を大量生産しているのだから。

 にもかかわらず一向に進展が見えない関係に、いい加減周囲のイライラがピークに達しつつあるらしい。

 セラなどは『大人の階段を上らなければ出られない部屋』に閉じ込めてしまいたいとか言っているほどだったりする。もっともそんなものは実在しないし、どこでそんなシチュエーションを見聞きしたのか気になるが。


「だが、唐突に思えるな。何かあったのか?」

 意外なことに、こういった会話に加わることが珍しい賢弥が聞き返すと、陽斗が小さく頷き先日の出来事を話し始めた。



 重斗の仕事を見学して数日後。

 学園から帰宅した陽斗が復習と予習を終えて書斎を出ると、リビングで桜子が寛いでいた。

「お疲れさま、陽斗。勉強は終わった? それとも休憩かしら」

「桜子叔母さん、うん、今日の分は終わったから少し休憩して試験勉強をするつもり」

 朗らかに笑う陽斗を見て、桜子も微笑みで労う。

 こうして桜子が陽斗の部屋に来るのは珍しいことではなく、変に気を使っている重斗よりも多いくらいだ。


「? どうかしたの?」

 陽斗が対面に座るとすぐに湊が温かいココアを出してくれ、両手でカップを受け取ったのを桜子がどこか悪戯っぽく見ている。

「なんでもないわよ。あ、そうそう、陽斗の学校って、クリスマスイブの日に聖夜祭ってのがあるでしょ?」

「う、うん」

「……もう穂乃香ちゃんにダンス誘ったの?」

「っ?! 熱っ!」

「陽斗さま!」


 わざと陽斗がココアに口を付けたタイミングで訊き、思わず慌てて飲み込んでしまって熱さに悶えるのをケラケラと笑う桜子を、涙目で陽斗が睨む。

 とはいえまったく迫力は無く、むしろ可愛らしいくらいなのだが、湊は慌ててコップに水を入れて手渡しつつココアのカップを回収する。ついでにもの凄い形相で桜子を一睨み。

「ごめんごめん。大丈夫だった?」

「うぅ~、桜子叔母さん酷いよ」

 謝りながら抱きしめる叔母に頬を膨らませて抗議する陽斗。

 ようやくこういうやり取りができるようになったのは彼が甘えることに慣れてきた証左と言える。


「まぁ、冗談はこの辺にしておきましょう」

「ふざけているのは桜子様だけですけどね。このことはしっかりと比佐子さんに報告しておきますから」

「だから悪かったってば!」

 当主の重斗すら叱り飛ばすメイド長は、さすがの桜子も怖いらしい。盛大に引きつりながら宥めようとするが、全使用人の庇護対象たる陽斗に対する悪戯は最重要報告事項なので湊はにべもない。


「と、とにかく! 私のことは置いておいて、聖夜祭の件よ。陽斗は穂乃香ちゃんをファーストダンスに誘うの? 誘わないの?」

「え、えっと……」

 昨年の出来事から聖夜祭のファーストダンスの意味は理解している。

 あの時は2曲目を踊ったが、この一年の間に、陽斗の穂乃香に対する想いはより明確に変化していて、完全に異性として意識している。

 そして、穂乃香の陽斗に対する感情も、単なる友人とは異なっているということも察していた。


「さ、誘いたい、けど」

「彼女なら私も兄さんも反対しないわよ。むしろこれからもずっと陽斗を支えてくれるって思ってるから大歓迎ね」

 桜子はそう言うが、それでも陽斗の態度は煮え切らない。

 穂乃香は家柄や容姿だけでなく、優しく思いやりに溢れていて、しかも努力家だ。

 陽斗にとって憧れの対象であり、自分がその隣に相応しいという自信が持てずにいる。

 資産や家柄など、他人から見たら十分すぎるほどなのだが、陽斗はどうしてもそれが自分の価値とは結びついていないのもある。

 そんな内心をしっかりと読み取って桜子は小さく溜め息を吐いた。


「あのね、古くからの名家である四条院家の令嬢である穂乃香ちゃんよ。少し前の時代ならとっくに家が決めた許嫁が居たでしょうし、今ですらきっと縁談の話なんてしょっちゅう来てるはずよ」

「そ、そうなの?」

「あれだけの家柄だもの。繋がりを持ちたい家なんていくらでもあるわよ。中には四条院が断りづらい相手だって居るかもしれないわね」

「…………」

 その言葉に陽斗の表情が沈むと、桜子がさらに追撃する。


「昔ほどじゃないけど、学生の時に婚約者が決まることも珍しくはないのよ。穂乃香ちゃんは良い娘だもの、グズグズしてると変な男に盗られちゃうわよ」

「それ、は」

「良いの?」



 真っ赤になりながら、それもだんだん小さくなる声で語る陽斗の言葉に、壮史朗と賢弥は微妙な顔を見合わせる。

 確かにこの学園の生徒の場合、一般の家よりは家同士の繋がりや家業との兼ね合いなどを気にする家も多いのは確かだ。

 ただ、それでも親世代とは違い、結婚相手を親が選んだり、学生の頃から許嫁が居るような家はほとんどない。

 もちろん交際相手に親が口出ししたりするのは少なくないが、基本的には自由恋愛なのが普通だろう。とはいえ、相手選びには慎重になるように教育されているが。


「あのな、西蓮寺……」

「確かに四条院なら方々から縁談くらいは持ちかけられてるだろうさ。中にはかなりの条件を提示するところもあるかもしれないな」

「お、おい、天宮!」

 賢弥が桜子の言葉を否定しようと口を開きかけた瞬間、壮史朗はそれを遮るように言葉をかぶせる。


「あぅ……」

 それを聞いた陽斗がますます小さくなる。

「そう言えば、去年の聖夜祭の前にも何人かの先輩や同級生からダンスを申し込まれていたのも見かけたな」

 さらに追い打ちを掛ける壮史朗の肩を賢弥が掴んで少し離れた席まで引っ張っていく。


「天宮、何のつもりだ?」

「このくらいしないと西蓮寺は尻に火がつかないだろうが。ただでさえ見ていてイライラするのに、クラスの連中に二人の進捗を聞かれるのも鬱陶しいんだ」

「だからといって周りが強引に焚きつけて上手くいかなくなったらどうする」

「上手くいかない可能性があるとでも?」

「…………」

 賢弥の常識的な指摘も、壮史朗の反論を受けて思わず目を逸らすしかない。

 陽斗と穂乃香の関係は、見ているものからすれば「もうお前ら付き合っちゃえよ」を通り越して「ウソだろ? まだ付き合ってないの? あれで?」という状態で、どう考えても玉砕する要素が見当たらない。


 そんなふうに二人がコソコソと話していても、陽斗は俯いたまま思考の渦に囚われているようだ。賢弥と壮史朗が顔を見合わせて肩をすくめる。

 しばらくして、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る直前になってようやく顔を上げた陽斗はおもむろにポケットからスマートフォンを取りだした。

「……あ、ほ、穂乃香さん? えっと、じゅ、授業が終わったらちょっと話がしたいんだけど、良いかな?」


 緊張気味に、どもりながら絞り出した言葉に穂乃香がどう答えたのか壮史朗たちには聞こえなかった。

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